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2015/02/11

個別的・集団的自衛権に関する最新議論~米国務省法顧問のヨルダンに関する記事から~

個別的・集団的自衛権に関する最新議論(ヨルダンの場合)


7日付で興味深い寄稿記事が法律関係者の集まるブログサイトに掲載された。バージニア大学法学部助教授で元米国務省政軍関係担当法務顧問を務めたディークス女史(Ashley Deeks)が書いたもので、仮にヨルダンの"報復"としてのISIS空爆が個別的自衛権に基づくものであるならば、”比例する手段と規模”でなければならないというものだ。


ヨルダンはシリアと友好国ではない。したがって、ヨルダンが有志国連合軍に参加する正当化事由は、シリアのための集団的自衛権の行使ではなく、イラクのための集団的自衛権の行使である。しかし、今回ヨルダンが行った空爆は、自国民の殺害に対する報復しての攻撃。即ち、個別的自衛権に基づくものだった。というより、でなければ説明がつかない。

ヨルダンによる空爆が、”人質1名の火刑”に対して、比例的であるか、という議論は国内でも少しは聞かれるが、国内の国際法の専門家がこの問題を提起している議論はあまり聞かれない。しかし、これは日本において「自衛権」を考える際にも重要な考察のポイントであると思われる。

ディークス女史は、まずそもそも、"火刑"を「武力行使」と捉えてよいのかどうかを疑問視する。しかし、ヨルダン外相は、「どこにいようとも、全力で連中を叩き潰す」と、パイロットの死に対する報復で空爆を開始したことを明言している。

つまり、国際法上、ヨルダンの行動を説明するには、ヨルダン政府がパイロットの死を武力行使と受け止めていると解釈される。そして、その場合、国際法上の「武力行使要件」を満たすかはこの際別として、ヨルダン政府は空爆を武力行使に対する比例的手段だと捉えていることになる。

国家首脳の発言の重さ


ここでディークス女史は、主権国家が歴史上往々ににして、国外の自国民に対する攻撃を防止する名目で、「自国民に何かがあれば攻撃する」という文句をのちに個別的自衛権の発動による武力行使の”前提条件”とする場合があることを指摘する。

ここで、最近安倍首相が行った発言を振り返ってみよう。

「必ず償わせる」
「日本人には指一本触れさせない」

もしヨルダン外相のような発言が、国家が個別的自衛権を発動する前提条件として認められるのならば、安倍首相は国際法の解釈上、既に個別的自衛権の行使を前もって宣言していることになる。国家首脳の発言がいかに、国家の宣言として重要な意味を持つかがわかるだろうか。

そもそも「武力行使」とは?


武力行使の発動要件は、集団的自衛権を巡る議論でも散々取り上げられてきたし、また政府にとっても閣議決定の核を占める問題だった。だが、そもそも「武力行使」とは何か。我々は理解しているのだろうか。

武力行使(use of force)とは、平たくいえば、「国家又は国家に準ずる主体が、自己の主権を守るために武力により実力を行使すること」をいう。国家の主権とは、領土・国民・機能する政府で成り立ち、即ち国民を守るために行う武力による実力行使も、武力行使と定義できる。つまり、主権国家には、国民を守るためには武力行使を行ってよいという、自然の権利が備わっていると考えられている。

911への"報復"として行われたアフガン攻撃は、米英共同の軍事作戦として、個別的・集団的自衛権の行使として行われた。その理屈はこうだった。

”2001年9月11、アフガニスタンのタリバン政権は、アルカイダを匿い、一体となって米国に敵対し、大規模テロという敵対行為を行った。タリバン政権は実効支配政権で、国際的には認められていなかったが、国家に準ずる組織であり、その組織が庇護するアルカイダが911テロを起こした。したがって、実行犯であるアルカイダ及びこれを匿うタリバン政権は、アメリカの国家安全保障上の脅威であり、主権を侵害した。なので、民間航空機による同時多発的な自爆テロという手段に対し、空爆で応じる。”

こうして始まったのが、来年2016まで続くといわれるアフガン戦争である。実に15年にも及ぶ戦争で、その成果はどうであったかというと、犠牲や破壊が圧倒的に多く、復興・建設需要を起こしただけで、タリバン政権は壊滅したものの、アルカイダは生き残り、現在はイラクのアルカイダとISISを生み出し、いまも増殖中である。つまり、勝てない戦争だった。それは、個別的・集団的自衛権に基づく非対称的な主体に対する武力行使のひとつの歴史的顛末である。


「巨額の戦費と失われた人命と引き換えに得られたものはほとんどない。それさえもわれわれが撤退すれば長くは存続しないだろう」CIAでパキスタン・イスラマバードの支局長を務め2006年にCIAを退職したロバート・グレニア氏


話は戻って、ヨルダンのパイロット殺害についてISISが行ったのは、ISISの空爆に参加したパイロットを拘束して略式処刑しただけのことである。つまり、軍人を拘束し、ジュネーヴ条約の戦争捕虜の取扱には則らないが、軍人として処刑した。これは、戦争では当然のことである。

軍人として武力行使に参加した人間を、敵側が軍人として処刑することは「武力行使」になるのだろうか。否、軍人という戦争捕虜を、敵国が処刑することを決め、実行しただけのことである。その方法がなんであれ、極刑は極刑であり、国によって絞首刑もあれば、斬首刑もある。

とことんドライに考えるとそういうことである。

その手段が「火刑」であれ「銃殺」であれ、それは敵国の軍紀のようなものに従って行われている。もしそうでなければ、軍の統制が執れていないことを意味する。したがって、どのような形をとろうと、それは「武力行使」ではなく、単なる捕虜の処刑手続に過ぎない。誘拐拉致された一般人の処刑とは性質が違い過ぎるのである。

「イスラム国」は国家足りえるのか?


ISISは「イスラム国」を名乗るが、その実態として国家として機能しているか、或いは定義できるかは疑問だ。まず、基本的に国家の要件である、領土・国民・政府を満たしているのか。なるほど実行支配している地域はあるかもしれないが、国家としての統治を行う機能する政府は存在するのか。

実はこの疑問をもっとも抱かせるのが、今回の邦人人質殺害事件で自称「イスラム国」が用いた通信・伝達、即ち外交的手段である。それは、無かったといっていい。およそ、近代の国家が用いる手段ではない。ソーシャルメディアを通じた脅迫が国家の外交行為?茶番もいいところである。

私は以前、ISIS自爆要員を名乗る者と”対話”を試みたことがあったが、その中で、国家成立の三要件を並べたら彼は黙ってしまった。若干22歳と語る(そしてそのように振る舞う)彼の知識レベルがISIS戦闘員全般のレベルとは決めつけられないが、少なくとも彼はISIS=「イスラム国」の一員でありながら、国がなんたるかの理解を持っていないようであった。

もっとも、彼らの信奉するシャーリア法では、「国家」の定義は近代国際法における定義とはまるで異なるのかもしれないが、それでも”国家”を名乗る限りは、より大きな”国際社会”の一員としての振る舞いを求められる。国家として認められたいならば、国家であることを証明しなければならない。それが、”国際関係”の成り立ちであり、であるからこそパレスチナのような準国家的存在は、その正当性を主張するためにあらゆる努力を行っているのである。

したがって、「イスラム国」は近代国際法の定義における国家ではなく、「イスラム国」という名の過激派組織でしかないという結論に達する。即ち、「国家に準ずる組織」であるという認定が、現代国際法では精一杯ということだ。



「国家」でないことの功罪


まともな外交手段もなく、決まった領土も国民もなく、外交権を発揮することのできる機能する政府を持たない「イスラム国」(以下、ISIS)は、"国家"ではないことはわかった。では、「国に準ずる組織」であるとしたら、ISISの行うテロ行為は「武力行使」と捉えることができるのだろうか。とくに、ヨルダンのパイロット拘束・処刑は?

戦時国際法(ジュネーヴ諸条約等)により国際紛争であれ国内紛争であれ、交戦状態にある国家では戦争捕虜の取扱に関する規定が適用される。とくに捕虜の取扱については、いわゆる追加議定書が適用される。日本も2008年にやっと、武力事態対処法(有事法制関連7法)の一部として加入した。国際刑事裁判所に加入するための法整備の一環であった。

世界の殆どの国は、この戦時国際法(国際人道法ともいう)の庇護と制約を受ける。戦争捕虜の取扱いには了解事項があり、これに違反する重大な行為は国際刑事裁判所の管轄となって裁かれるという、国際刑事司法システムが現在は確立されている。ISISが国家ならば、まずはこうした国際人道法を遵守する姿勢を見せる必要がある。しかし、彼らはそうしない。

一方で、厄介な問題がある。

かつて911以降、キューバのグアンタナモ基地やイラクのアブグレイブ刑務所に拘束者を収監した米国は、ブッシュ政権下で彼らを「戦争捕虜」 "prisoner of war"ではなく、「不法戦闘員」 "enemy combatant"であるとして、ジュネーヴ諸条約の適用外であるとしたことがあった。そして、基本的公民権の一つであるhabeas corpus(人身保護請求権)を否定した。

しかしその後、連邦最高裁によりこのブッシュ政権の判断は違憲とされ、その後、米国はテロとの戦いの中でもジュネーヴ諸条約を遵守するようになった。米国にもそんな暗黒の歴史があった。そして現在もオバマ大統領は様々な政治的障害のおかげでこの悪名高きグアンタナモ収容所を閉鎖できずにいる。

先の新国家安全保障戦略(NSS)の発表でスーザン・ライス国家安全保障担当大統領補佐官は、グアンタナモに収監されていた囚人の半数を移動できたと報告していたが、オバマ大統領が就任してからもう二期目である。ブッシュ政権が残した負の遺産であるグアンタナモ問題は、オバマ政権の大きな悩みの種のひとつといえるだろう。

つまり、米国は実は、この「不法戦闘員」のことを対外的に強く言える立場にない。もしISISが捕虜の扱いについて「不法戦闘員」を持ち出したら、米国は過去に修正した歴史があるとはいえ、扱いに困るだろう。おそらく米国民はそんな不名誉な歴史は都合よく忘れ去っているだろうが。

ISISが国家であってもなくても、それが自動的に国際人道法を順守しなければらない訳ではないということを、図らずしも対ISIS空爆作戦を主導する米国が、悪しき前例として残してしまっているのである。国際法を遵守する姿勢のなかった国に、国際法を遵守しない非合法集団を糾弾する資格はない。それは英国も同じである。

米英の作った悪例により、ISISは悪びれないで堂々と国際人道法を無視する。それを糾弾することはできるが、だからといって彼らが自称する「イスラム国」を国家或いは国家に準ずる組織として認めてしまったら、それはタリバン政権のように実効支配のできる勢力であることを認めることになる。ただのテロ組織ではなく、反政府勢力としてその正当性を認めることになるのだ。

このように、「イスラム国」を国家或いは国家に準ずる組織として認めるかどうかは、有志国連合軍によって痛し痒しの問題である。国家として認めなければ国際法が適用できない。国家に準ずる組織として認めれば、テロ組織ではなく反政府勢力と捉えなければいけなくなる。そして、最終的にはこの問題にぶち当たる。

「国家に準ずる組織」による拘束・処刑は「武力行使」か


かつて911後のアフガン攻撃の標的となったタリバン政権は、実効支配政権だった。しかし、「政権」"regime"として認められていた。アフガン内戦を勝ち残り武力で全土を制圧したタリバン政権には、外務大臣がおり、即ち外交権を持っていた。外務大臣は政権のスポークスマンとなり、度々報道の場に表れた。現在の「イスラム国」のように、固定のスポークスマンがいない体制とはまるで異なり、正に、準国家的な存在であった。

アフガン攻撃時、米英及び有志国はタリバン政権を認めていなかったが、結局交渉のチャンネルは外交ルートを使って行うしかなく、実質的には国家扱いしていた。そのタリバンが、直接ではなく、国際テロ組織アルカイダを匿い、訓練する場を与え、脅威であり続けるというのが、米英がアフガニスタンという主権国家に対し、個別的及び集団的自衛権の行使に基づく武力行使を行った理由であった。

つまり、タリバン政権は直接米英に武力行使を行っておらず、また米英側もそういう認識ではなかった。にも関わらず、米英はアルカイダを匿っているとされるタリバン政権を崩壊させるために、「自衛権」と称して武力行使を行った。アフガニスタン攻撃が、国際法でいう「侵攻」 "invasion" や「侵入」 "intrusion"に当たるのはこのためである。ちなみに、2010年6月以降、この「侵入」や「侵攻」は国際刑事裁判所が管轄する「侵略犯罪」"Crime of Aggression"の定義の一部として解釈される。

他国が「イスラム国」を国家であるか或いは国家に準ずる組織とするかは、それぞれの国の認定基準に基づく問題なのだが、厄介なことに、そう認定しない限り、イスラム国に対する空爆という個別的(イラク・シリア)・集団的自衛権(有志国連合軍)の攻撃手段は、イスラム国の行っている"攻撃"が一般人・軍人の拉致・拘束・拷問・処刑なのだとしたら、あまりにも反比例的である。

先にも定義を示した通り、武力行使とは、「国家又は国家に準ずる主体が、自己の主権を守るために武力により実力を行使すること」を言うのであって、自らを国家とみなす「イスラム国」”内”で起きる拉致・拘束・拷問・処刑は、単なる司法・警察行為でしかない。ISISというテロ組織ならば、それは”犯罪行為”となるが、イスラム国を実効支配力のある国家に準ずる組織と認めた途端、それは国家に準ずる組織としての警察主権の行使となる。「武力行使」ではないのである。

アフガンロジックを適用するとシリアもイラクも「敵国」にならざるを得ない


このロジックに関する議論は、ほとんど行われていない。ISISをテロ組織として認定するならば、国家は警察権しか行使できない。それでも武力行使を行うなら、それは、911のロジックでえばISISを匿うシリア或いはイラクに対する武力行使となるのである。だが厄介なことに、イラク政権もシリア政権もISISを抵抗勢力とみなし攻撃している。つまり有志国連合は、イラクもシリアも攻撃できないし、本来は主権侵害(侵攻・侵入)もできない。

国際法に照らせば、イラクは親米なので国内の反政府勢力に対する”支援”を英米に仰ぎ、その同意を得て同盟国に対する集団的自衛権を行使しているというのが建前になる。しかしシリアからは同意が得られておらず、シリアが米英軍の自国領内に対する攻撃を「侵略行為」と非難するのは最もなのである。

有志国連合軍に参加するヨルダンも、立場は同じである。そしてこれから参加する日本も、基本的に立場は同じである。イラクは同意しても、シリアは同意しない。ISISを「イスラム国」という国家に準ずる組織として認めるならば、シリアの主権(警察権)を侵害することはできない。それでも武力行使する有志国連合軍は、実は無法者集団なのである。

なしくずしに法秩序が崩壊する危険を孕む『新テロ戦』


元米国務省顧問のディークス女史は、ヨルダンが有志国連合の一員として、或いは独立国家として、どの意図で”報復”の空爆を行ったのかは、「今後のヨルダンの言動によって明らかになるだろう」としている。女史のいうように、仮にこれまでの言動が純粋に「政治的動機」と計算に基づくものであったとしても、「イラクに対する集団的自衛権の行使」という自らの法的立場をどう維持するのか、あるいは変えるのか、変えるとしたらどうやって、どのようなロジックで変えるのかが、今後注目される。

もし主権国家が武力行使の判断を行う基準を曖昧或いはうやむやにするようであれば、それは悪しき先例となり、また現代の国際関係を維持する国際法秩序の崩壊を意味する。本来なら、今般のヨルダンの攻撃は、国連安保理の検討事項となってもおかしくないのである。それがまったくなされないで、問題視もされず、看過されるのであれば、今後ヨルダン以外にも同様の行動の国をとる国が現れるだろう。それが、この新テロ戦が孕む危険性―法秩序の崩壊の促進だ。

実際、すでにUAEがヨルダンに続いている。
米国も、シリアへの空爆を再開した。

我が国日本がこうした情勢をどう見て、どう判断し、どう行動するのか。国際法秩序を維持する責任を負う、次期国連安保理非常任理事国として、賢明な判断が求められるところである。

以上

【和訳】イタリア経済紙特派員が行った邦人人質全員殺害事件に関する総括

 『安倍政権が犯した7つのミス』 邦訳完全版(注釈+参考ソース付き)


イタリア版経団連といわれるコンフィンドゥストリア(イタリア産業総連盟)が発行する1965年創業の老舗経済紙"Il Sole 24 Ore"のStefano Carrer特派員が行った人質事件に関する総括が、News Picsで扱われ一部話題となっている。

以下は、『安倍が犯したミスのすべて』と題されたこの興味深い記事を、伊→英→日の順で逐次翻訳した(伊→英は機械翻訳)もの。機械翻訳からの二次翻訳なので正確さは保証できないが、その限られた解釈から導かれた、イタリア老舗経済紙"Il Sole"が指摘する安倍政権が犯したミスは、次の7つである。

■安倍政権が犯した7つのミス
  1. 民間による仲介努力の阻害
  2. 長きにわたる意図的な沈黙
  3. カイロ演説の内容と前後の対応
  4. "アベ・イスラエル"に対する反応の計算
  5. 対策本部の選定ミス
  6. 連絡手段の乏しさ
  7. 事件が政府を利するという疑惑

平成25年12月9日安倍内閣総理大臣記者会見発言

"Tutti gli errori attribuiti ad Abe"

『安倍が犯したミスのすべて』(邦題:安倍政権が犯した7つのミス)


著:Stefano Carrer特派員
訳:Office BALÉS

(東京 1日)その日は、後藤健二氏の斬首刑という悲劇的なニュースと、首相官邸前での平和主義者たちの抗議デモという形で始まった。

護憲団体により開催されたこのデモでは、安倍首相が国際安全保障への貢献と称して、解釈改憲という改正を経ない憲法改正により海外への軍事介入の可能性を広げ、国際的な立場を強化しようとしていることに対する抗議がなされた。

それは、安倍首相が、後藤氏の斬首の恐怖や、ISISの脅迫(”日本の悪夢がこれから始まる”という明白な脅し)、そして政府の事件への対応の不満を利用して、いわゆる「積極的平和主義」("pro-active pacifism")を推進しようとしようとしていることに対する危惧の表れだった。

本件で安倍政権が犯した一連のミスを以下に列挙する。

①民間による仲介努力の阻害


最初の人質の湯川遥菜氏が捕まった時(1週間前に斬首刑にかけられた)、イスラム教に改宗した二人の日本人が解放のための交渉に備えていた。ジャーナリストの常岡浩介氏と、イスラム法学者の中田考氏である。彼らはシャーリア法に基づく裁判プロセスで通訳を務めるためにISIS側に招致されていた。

しかし日本の警察は土壇場(昨年10月の段階)で彼らの渡航を阻止。学生のシリア入国を手伝った疑いで彼らのパスポートを差し押さえた。

後藤健二氏の出発も、彼の友人である湯川氏を再び救出するためだった。一度目は、彼は湯川氏の救出に成功していたからだ。

※訳注1:その後、今年1月になって両氏の拘束が発覚してから中田氏らが独自のルートで交渉を模索したことは、『報道特集』の報道や外国人特派員協会での会見内容から明らかになっている。

政府は中田氏が警察に捜査を受けた問題人物であるという理由でこれらの努力も一顧だにせず、まったく彼らのルートを活用しなかった。後藤氏に至っては、3回にわたり渡航の自粛を要請し、湯川氏の救出に成功したことのある後藤氏の実力を信用し援用しようとはしなかった。

②長きにわたる沈黙


日本政府は昨年11月の中頃には確実に、ISISにより二人の邦人が拘束されていることを把握していた。しかし政府はこれを公にせず、また公にしようとする者には箝口令を敷いた。例えば『週刊ポスト』は、外務省から明示的にそう要請されたと報じている。その理由は、人質の命を危険に晒すことなく、解決策を模索するためだったというが、意地悪な見方をすれば、12月中旬に安倍首相が行った解散総選挙の争点になることを避けるために公にすることを避けたのではないかと疑うこともできる。

※訳注2:湯川氏が8月末に拘束されたことは政府は承知しており、交渉を行っていることも昨年時点で明かしていた。しかし解散・総選挙の機運が高まるにつれ湯川氏に関する発表や報道は消え、総選挙前後のあいだ政府の対応は事実上「沈黙」した。選挙期間中の事件対応の争点化を避けるためだったという分析はもっともである

③カイロ演説


漏れた伝わった情報によれば、中東への長期歴訪(エジプト、ヨルダン、イスラエル、パレスチナへの6日間の日程)の直前に行われた定例の国家安全保障会議において、ISISにより拘束されている邦人人質について安倍首相に進言した者は一人も居なかったという。

カイロで行った演説で安倍首相は、イスラム国と対峙する国々に対し2億ドルの支援を行う用意があるという点を強調した。そのすぐ後に、ISISは邦人人質二名の解放のために同額の身代金を要求した。日本政府が、支援金は人道支援目的のもので、難民救援のためだということを主張したのは、後になってからだった。

※訳注3:政府はカイロで行った演説の後で、公にISIS対峙国への支援は人道支援であることをしきにりアピールするだけでなく、民間を通じて中田氏に日本政府の同様のメッセージをISISに伝えさせようとしたことが『報道特集』の取材により明らかになっている。この”民間”というのは、政府が仲介を委託したCTSSである可能性があるが中田氏はその正体は明かさない。しかし、これはISISが求める「身代金支払いの可否」への回答にはなっていなかったため、「それでは即人質の処刑に繋がる」と不測の事態を恐れ、中田氏はそのメッセージの仲介を拒否したという。個人的には中田氏のこの判断は賢明だったと思う。問題はその後の政府の対応だ。


④アベ・イスラエルに対するアラブ世界の反応


アラブ世界からすれば、安倍がイスラエルで行った最初の記者会見の内容は、イスラエル側からの恫喝ともとれるものだった。あと数時間待てば、故アラファト議長の眠る大霊廟に花輪を添えようとしていたパレスチナから、同じ宣言を行え、より効果的であったのにもかかわらず。

※訳注4:6日間の日程のうち3日間をイスラエルに置いた安倍首相の中東歴訪は、結局事件対応のためイスラエルに長く居座り、パレスチナ訪問を数時間で済ませるという結末になった。エジプト、イスラエルで対ISIS対峙国支援を打ち出したため、ISIS側をより強く刺激し、法外で実現不可能な身代金要求に至らしめた責任は否めない。著者の指摘通り、パレスチナで支援の表明を行えばより効果的かつ正当な人道支援であると受け止められたことだろう。

⑤対策本部設置場所の選択ミス


多くの者が最も深刻なミスだと考えているのは、アブドラ国王の命により対ISISの有志国連合に参戦したヨルダンに、外務副大臣が率いる対策本部を設置したことだ。よりよい選択は、最近人質の解放に成功したばかりのトルコだっただろう。

※訳注5:この指摘も最もで、米欧メディアでも最も指摘されているのがこの点である。なぜイスラム国と明示的に対立しているヨルダンを選んだのか。ヨルダンは自身も昨年12月人質を抱えており、自身の問題で精一杯だった。しかし日本政府はヨルダンに対策本部を置いたため、そのことをISIS側が知り、両国がつけこまれ、ヨルダン側は知らなくてもよい真実を伝えられることになり、空爆再開の火蓋が切って落とされた。結果的に独善的な選択でヨルダンを深みに嵌らせた日本政府の業は深い

⑥連絡手段の乏しさ


日本政府は、誘拐犯らと有効な連絡手段を確保できていないことを公言していた。その割に、米国や英国に対しては公に支援を要請するのだから、まったく非生産的であった。かといって、何か創造的な解決力を発揮した訳でもない。例えば、現代イスラム研究センターの宮田律理事長は、外国報道陣に対し、例えば人道支援をISIS支配地域の人びとに配る意思を見せるべきだと、日本政府はもっとポジティブに受け取れるメッセージを発信するべきだと訴えていた。

※訳注6:国内のイスラムコミュニティから知恵は出されていた。「人道支援をISIS支配地域にも」というのは、何もエキセントリックに思える中田考氏だけのアイディアではなかったのである。政府が「人道支援」であるという点に固執するからこそ、イスラムコミュニティでは、「人道的」であるならば、敵味方隔てなく支援されるべきだという観点から、ISIS支配地域で苦汁を舐める住民にも支援の幅を広げれば、その主張が通りやすいという配慮だったのである。また政府が勝手に問題視した中田氏は、ISIS側も一目を置く存在であり、湯川氏の裁判では通訳を依頼するほど信頼があった。にも拘わらずそのルートを全く利用せずに頓珍漢な主張だけを押し付けてくるのだから、日本政府の状況判断力と連絡手段の無さはほとほと深刻である

⑦「誰が最も得をするのか」という疑惑


日本国内では、仮に人質の拘束場所を特定できたときに特殊部隊を組織して送り込むことの法的可否について日本政府が答申を求めたことがリークされた。さらに、平和憲法の制約によりそれは不可(「ノー」)であるというその回答までもがリークされた。

この事実だけでも、政府がいわゆる「集団的自衛権」(同盟国との海外での武力介入)の行使実現に向けた憲法改正を目指すことを正当化する理由として、この件を利用し、その道筋を開こうとしているのではないかと疑うに足りるという考え方もある。

この議論は今後数か月白熱することだろう。

※訳注7:日本政府が純粋に人質事件の実効的な解決を目指すのであれば、憲法上・国際法上・国連システム上、今回の案件には適用できない自衛隊の派遣を検討していることをリークするのは、決して適切な行動ではなかった。まして、それが現行憲法のみにより阻まれているかのように世論を誘導すべく更なる情報をリークするのでは、今回の事件を最大限に利用しようとしているという意図を疑われてもやむを得まい。またISIS側も当然その情報をキャッチしていることを念頭にいれるべきだった。将来、着実にISISに対する脅威をなろうとしている国であれば、ISIS側にも交渉の余地は無くなるだろう。そうしたリスクを、このリークはまったく顧みていなかった

2015/02/03

【緊急コラム】邦人人質全員死亡事件: 政府にはどのような責任があるのか #IamNotAbe #IamKenji

大本営発表ここに極まる(3日の読売)
政府にはどのような責任があるのか


2日付けのリテラも挙げていた政府の明白な責任は3つある。

両人質拘束後、官邸が解放に向けて本気で動こうとしなかったこと
交渉の窓口をトルコではなく、ヨルダンとしたこと
中東歴訪でぶちあげた2億ドル支援だ

第一に、①14年8月・10月以降人質解放交渉に真摯に取り組まずに今年1月まで放置してきたこと。第二に、②15年1月以降の解放交渉を自ら行わずまた妥協もせずに他国(よりによってヨルダン)に丸投げしたこと。第三に、③解放交渉中にあからさまに犯人勢力を刺激する言動をとったこと。

①はまず『言語道断』だが、解放交渉中に解散総選挙を行うというのはもはや常軌を逸していると言わざるを得ない。自国民の保護は国家の第一義の義務である。NSCの陣頭指揮を執ってことの迅速な解決に当たらなければならない首相が自らも選挙に出馬し遊説に回っていたのである。その間何ができたのか政府首脳部の怠慢の検証が必要だろう。

②「両名を殺害する」と、犯人グループにより明白に国民に危害を与える表明がなされていたにも関わらず、ただ「テロには屈しない」の一点張りで何の譲歩もせず、交渉もせず、まず人質一名を死に至らしめた。この過程で政府が行ったことは、交渉・妥協をしないで他国(よりによってヨルダン)に汚れ役を任せる。それのみである。

任せられた王国ヨルダンはさぞ困惑したことだろう。すでに同国はISISと死刑囚の解放について12月から交渉を行ってきていたからだ。そこに、国民が望む英雄との交換ではなく、単に経済支援国であるという理由だけで義理のある日本の人質と交換するという条件を突きつけられたのである。結果、ヨルダンはパイロットの交換を優先し、交渉はISISの目論見通り決裂した。

これで仮に、日本の行動の結果、パイロットが殺害されていたとしたら、日本政府はどのようにして責任をとるつもりだろうか。解放を訴えるデモを起こしている百数名のパイロットの親族にどう申し開きするのだろうか?

大いなる禍根を残したと言わざるをえまい。
もちろん、多大な援助をもらっている手前公に批判はしない。

③水面下で外務省が交渉を行っているなかで、官邸側はそれを知りながらその動きを全く無視し、外務省の警告も無視して独自のアジェンダで中東外遊を企画・指図し結果的にテログループに要求を表面化させる絶好の機会を与え、既存の人質二名を危険に晒した。

その結果テログループに演説の言質をとられる始末で、演説で表明した金額そのままを身代金に要求された。230億円という法外な金額は、どの国家も支払きれないし、支払わないだろう。そのことは既に前提にあって。その上で何をなすべきか政府は検討するべきだった。


 幻の軍事オプション

しかし軍事オプションは初めからなかった。仮に自衛隊に邦人救出任務が付加され超法規的に許可されたとしても、他国における軍事行動は憲法以前に国連憲章により厳に禁じられる。シリア政府から①許可あるいは②要請されるか、③国連安保理決議により集団安全保障措置として当該行動が明示的に許可されていない限り、仮に国内法制が整備できていても自衛隊を派遣するオプションはなかったのである。

有志国連合軍が成立している背景には、そもそもシリアに対する軍事作戦が中露の反対により国連授権の活動として容認されていないからだ。即ち、安保理に許可された行動としての軍事行動ではないため、日本は国連中心主義を掲げる現行の法体系では参加しようがないのである。かといって、敵対するシリア政府から要請を受けられるわけもない。単独軍事オプションは、はじめから「あり得ない選択肢」だったのえである。つまり、他国(有志国連合軍)に救出を要請するほかなかった。しかし、日本政府がこのオプションを検討した様子はない。

つまり、身代金は払わない(これは○)、交渉はしない(これは×)、他国要請を含む軍事オプションをとらない(これは△)ことで、実質的に政府は『何も』しなかったも同然なのである。

その上で、カイロで人道支援目的とはいえ「イスラム国と対峙する国」に対する支援として、巨額の支援を表明し、また訪問先のイスラエルでイスラエルの国旗の側に立つパフォーマンスを行い、あからさまにISISに対する敵を丸出しにした。自国民の解放で交渉中の一国の首相が、である。


 政府のいう『苦渋の選択』のレベル

国際的なすう勢を鑑みて、対テロ戦への参戦を一刻も早く表明し国際連帯の輪の中に入らければならなかった、という国益が絡んでの判断だということはわかる。しかし、それをするにもタイミングがあった。しかも、ただ連帯を表明するよりも一歩踏み込み、明確に米英側=「敵」としてISISに認識されるようなパフォーマンスを行った。

その結果、ISISは水面下で行っていた交渉をとりやめ、身代金要求額を法外なものに吊り上げ、日本政府の姿勢を試した。つまり、本当に有志国連合の一員として対峙する覚悟があるかどうかを試したのである。結果、日本政府は自国民一人を犠牲にすることで、その覚悟を示した。先進国として称賛されるべき行動ではない。

これのどこが『苦渋の選択』なのだろうか。
国民の生命・財産よりも国家のメンツという名の国益を取っただけの話ではないか。

日本政府の覚悟の拒絶に対する応答としてISISは一人目の人質、湯川遥菜さんを処刑・殺害し、交渉は次なるステージに移った。ヨルダン死刑囚との交換である。これも、土台無理な注文であった。ヨルダン側がパイロットの解放を最優先とするのに対し、ISIS側は後藤氏との交換にしか応じないというのだから。取引不成立となって当然の、無理難題な要求だった。

米CNNは、リシャウィ死刑囚の捕虜交換要求は、リシャウィが持つ「最高権力の継承」という象徴的な重要性によるものだろうと分析していたが、一理ある。ISIS側は、今回の騒動を起こすことによりリシャウィの死刑を延長させることに成功した。そしてヨルダンは今も、パイロット解放のための交換に応じると表明している。

パイロットの生存は未だ確認されていないが、ヨルダン側としてはISIS側は唯一提示した条件をなくせば、取引の材料がなくなる。完全にテロ組織に翻弄されている状態だ。もし日本の事件に巻き込まれずに単独で交渉を進めていれば、あるいはパイロット(軍人)とISISの重要人物との交換は成立していたかもしれない。その芽を潰したのは日本政府の独善的行動だ。

このように、2014年の8月から両人質に殺害が確認される2015年1月まで、安倍自公政権は決して満足な対応を行ってきたとはいえず、あまつさえ国民の命が危険に晒されている間に解散総選挙を行い、挑発行為を行い、そして交渉も妥協もせず、国民二名の死亡を招いたのである。

ハッキリ言おう。

本件、現行安倍政権の人間こそ万死に値する。

2015/02/02

【緊急コラム】邦人人質全員死亡事件: 政府の反省・責任は?どうやって責任を問う? #IamNotAbe #IamKenji

自衛隊の活用 首相が意欲 現実味薄く、自民も慎重

ハコモノ行政マインドを脱せよ

東京新聞(1日)
だからさ、自衛隊の能力云々じゃないんだよ。今回の件だって、ヨルダンは特殊部隊を派遣することができたわけだ。 それをずっとしてこなかった。なぜだと思う? いくら普通の国でも対象国の了解と協力なしに地上部隊を派遣することなんてできないんだよ。 その外交力が日本政府にあるか?
アルジェリア人質事件を教訓に 日本政府は 日本版国家安全保障会議を作った。それが今回の何の役に立った? どう司令塔の役割を果たしたというのだ。 ヨルダン政府に対して戦略的に日本の要求を通すことができたか?できなかったろうに。 文民政府の人の質に問題があるんだよ。
いくら強行的に実力を行使する手段を持っていても、 それを指揮する文民側が危機管理能力も、緊急対処能力も、交渉力もろくに持ち合わせていない状態では、 宝の持ち腐れにすぎないんだよ。 即応部隊は政治家の点数稼ぎのための道具じゃないんだよ。具体的な戦略あって初めて機能するんだよ。
在外公館の強化は麻生政権の時代から自民党はやってきたんだよ。 それでも形だけの数合わせの強化で結局のところ 情報収集能力は向上してない。 今回のような事件でまず鍵となるのは 情報処理能力だろうに。現地のインテルが確実だからこそ部隊が有効に機能する。その"お膳立て"が必要となる。
このお膳立てを行うには 地元に根ざしたヒューミントのネットワークが必要。 在外公館の警護能力を強化すればいい話ではない。まさに地道な地に根を下ろした活動が必要。その殆どは非軍事。即応能力があっても使える環境を整備しなければならない。その能力が決定的に無いことが今回判明した。
軍事対応や軍事力を見せつけることが敵への有効な抑止力となると思ったら大間違いだ。 そんなんだったら中東の「普通」の国々は今頃イスラム国を壊滅させている。人質交渉だって長引かせない。問われるべきは指揮をとる文民政府の能力で部隊の即応力ではない。国会議員はこれを踏まえて議論せよ。
対応のオプションを拡げるのは賢明な措置ではある。だが、状況に対して有効なオプションであるかを判断する能力が指揮する側に必要になる。これは指揮統制する側に訓練とプロトコルの確立が必要だということだ。日本版NSCは全く役立たずな代物だった。まずはその反省に立つ必要がある。 
「私たちが今、やらなければならないのは、イスラム国へのヒステリーを起こす事ではない。この間、政府がどんな交渉をしていたか、安倍政権がどんな意図でどう動いたかをきっちり検証することだ。」田部祥太

交渉を妨害し後藤さんを見殺し! イスラム国事件で安倍政権が犯した3つの罪

邦人二名死亡の最大の責任は政府にある

リテラ(2日)
昨晩は激しい憤りに任せて政府の怠慢を書きなぐってしまったが、今朝リテラの記事を読んで平静を取戻し、あらためて今回の悲劇の最大の要因が日本政府の失策にあることを確信した。犯罪者集団に実行の責任があるのは当然だが、問題は犯罪者にどう当局が対応したかにあるからだ。
通常の国内の誘拐事件でもそうだが、警察が明らかに尽力していることがわかれば批判は少なく評価が高くなる。今回の事件は、政府が火種を撒きつつ、自らの失策を挽回するに足る体制も方策もなかった。13年に日本版NSCを造り豪語したのにも関わらずだ。
国民二人も自らの失策により死なせておいて、それで「自衛隊が派遣できれば」という論理のすり替えを行うとは、それこそ『言語道断』である。私はこんな狂ったロジックで失策の責任も言明せず、経緯の検証も反省もせずに安易に実力行使一辺倒を宣う政権には”屈しない”。
「NSCはできて1年も経たないのだから期待し過ぎるのは筋違い」という主張も聞かれるが、構想に20年近くかけ、07年にも一度設立しかけているのだからそれなりの働きをすると期待して当然だろう。まして、邦人人質事件が教訓となって設立されたのだから猶更だ。
リテラによれば、安倍政権の犯した第一の失策は、対策本部をヨルダンに置き、ヨルダンを拠点に邦人救出を試みたことだという。これは合点がいく。ヨルダンは有志国連合の空爆に直接参加する数少ない中東三か国でISISからすれば仇敵なのだから。
しかもヨルダンは、邦人2名が捕まるはるか以前からパイロット解放の交渉をずっと行ってきていた。そこに付け込み、利用されるという不遇をヨルダンの人々にもたらしたのだから、まったく迷惑極まりない判断だ。この判断を行ったのがNSCなのである。
07年時にの20人規模よりも増強されて70人体制で発足し、安保PRで頼もしい礒崎安全保障担当首相補佐官を政治任用側のトップに、外務省の帝王の谷内元事務次官を据えたNSCは初の邦人人質事件で致命的な選択ミスを行ったのである。
結果的に日本政府はヨルダン国民に偽りの希望を与え、この機にパイロットの解放を公言したヨルダン国王に恥をかかせたことになる。これは後に、外交儀礼による謝意とは関係ないところで亀裂として表面化することだろう。そこも、ISISにしてやられた。
230億円という法外な身代金を要求したのも、ヨルダンに収監される死刑囚との交換を要求したのも、実現不可能と分かっていてのこと。真の目的は有志国連合に揺さぶりをかけることだった。新参者の日本はもとより、空爆に参加するヨルダンを揺さぶることが目的だった。
身代金支払いも捕虜交換も、米英のノーコンセッション方針に従えばどのみち実現薄だった。ところが、ヨルダン側は犯人側の真意を確かめるために死刑囚の解放を実現しようとした。ヨルダンは米英のくびきを離れ自己判断した。同盟関係にくさびが打ち込まれたのである。
ところがISIS側はもとより切り札のパイロットを解放するつもりはなかった(更に、既に死亡している可能性もあった)。結果としてパイロットの生存が確認できず、ヨルダンとの交渉は決裂し、故・後藤氏の解放は実現しなかった。日本・ヨルダン両国がISIS側に完全にしてやられた瞬間だった。
我が国は、安倍首相の陣頭指揮の下、テロに屈しないどころか、テロに完全に翻弄されてしまったのである。政府の初動のまずさのおかげで、人質解放の条件が劣化し、他国を巻き込むことになり、そして国民二名を死亡させたのである。
ないものねだりでハコモノ行政を展開した結果が、これである。国民2名の死亡と、テロとの戦いの同盟国との関係悪化である。今後、ヨルダンが日本の支援を受け続けるかどうかが、そのひとつの証明となる。国外の報道にアンテナを張ることだ。
外交判断は、当たり障りのない外交儀礼とは異なるところで冷徹に行われる。パイロット解放交渉の日本政府を挟んだ故のとん挫は、今後のヨルダンとの外交関係に間違いなく暗い影を落とすだろう。ヨルダンの有志国撤退もあり得る。かつてフィリピンがイラクでこれを行った。
またヨルダンだけでなく、他の有志国の間でも日本政府の評価は(外交儀礼による称賛とは異なり)地に落ちているだろう。13年のアルジェリア事件に加え、邦人人質殺害はこれで2件目。短期間に失態を繰り返し、その改善が全く見られていないのだから。
今回の事件により、日本の有志国連合の中でのポジションはかなり劣化し、ジュニアパートナー扱いを免れなくなるだろう。事実、日本政府は有志国連合に対する後方支援をしないと公言してしまった。これは参加する前に「いち抜けました」と表明するようなものである。
また情報の取扱についても、今回日本政府はその能力の危うさを露呈してしまった。ヨルダン政府とISISとの交渉が大詰めに入っていた時に、現地対策本部の責任者が「こう着状態にある」と交渉の状況を漏らしてしまったのである。これには流石に国際社会も呆れただろう。
これまで各国の交渉に関する発表内容を見ていても、言葉巧みに情報の露出を控えていることがわかる。状況が分かるような言葉は口にせず、逆に相手にゆさぶりをかけるようなハッタリもかます。そうして裏表を使い分けて交渉を有利に進めようとする。
ところが日本政府の当事者は、交渉の当事者でないせいかこの緊迫感が全くなく、つい「こう着状態にある」等と国際メディアに漏らしてしまう体たらく。秘密保護法があっても発表の場で情報を的確に扱えないのでは危なっかしくてしょうがない。日本の信頼失墜はもはや自明だろう。

政府責任をどう検証するか

対テロ戦”再”参戦を目論んで政権発足早々に制定された特定秘密保護法だが、これから国会審議等で威力を発する可能性がある。既に予算委審議でも「つまびらかには話せない」という表現が使われていると思うが、これは"外交上の機微"に触れる程度の情報である。
米上院外交委員会ならばここで秘密公聴会を開いていわば外交施策の失態に関する”査問”が行われる。リビア大使襲撃事件でペトレイアス元NATO司令官が査問されたように。NSCの人間が査問にかけられて然りである。それが責任履行アカウンタビリティーである。
国会の通常審議では「つまびらかには話せない」程度の表現で済むが、”外交安保上の機密”に触れるものとなれば、それは「国家安全保障上の問題で話せない」と述べることになる。そのベースとなるのが、特定秘密保護法である。
だが仮に、秘密保護法に触れるような問題であっても、それを国会が審査しないのでは意味がないし、三権の相互監視が成り立たない。国会には審査権があり、これを適用するにはまず秘密公聴会を与野党合意で開く必要がある。
安保法制や自衛隊派遣論議の前に、まず国民二名を死亡させた政府の責任を問う特別審議が国会でなされて然りなのである。常任委員会の委員長は全て与党が握っているので、特別委員会は野党が議長を務める体制にする必要がある。
野党は責任追及のための特別委員会の設置を提案するべきであり、通常の予算委員会等総理が出席する委員会では外交上の機微の問題だけで逃げられ、厳秘事項については秘密保護法で逃げられるので、”逃げられない場”の構築が必要である。
この検証では残念ながら全ての事実は国民には明らかにならないが、せめて国会内で十分に時間をかけて審議し、与野党がその内容に合意し、外に漏らさないことを保証できる。アメリカの秘密法制を模倣するなら、そうした枠組みも模倣してほしいものだ。形だけ真似ても意味がない。
与党が全ての情報を握り政府とツーカーで、国会に正当な審査を認めないのならば国会など不要である。与党の責任を問うために特別な場が必要なら、それを与野党合意のもとつくればよい。それが政治の行える本件の検証作業だ。何もかも公開で議論すればよい訳ではない。
そして、機密に触れない範囲の情報は適切に国民に開示する必要がある。それこそ、911検証委員会のようにである。福島原発事故後に国会で行った調査も、一般刊行物として出版された。同等レベルの情報開示、即ち透明性の確保が、秘密法制の健全な運用には不可欠である。
二人の邦人の命が失われたシリア邦人人質殺害事件の事後処理については、開示できる情報は開示し、整理し、検証し、そうして初めて、その反省から改善が促されなければならない。政府はもとより国会でもこの議論は十分になされていない。
そのような中で、自衛隊派遣や安保法制絡みの議論が先行するのは時期尚早である。国会議員は、国家の重大事案の後始末について、国としてどうすべきか、どう再発を防ぐべきかを慎重かつ綿密に検討し、結果を適切に開示する必要がある。
それが、二名の国民の尊い命を奪い、国際テロリスト組織にその利用価値をあらためて認知させた結果、全世界で不用意に安全を脅かされることとなった国民に対し、政治に携わる全ての者が課された最低限の説明責任である。