今日のお昼に頂いたひとつのツイートから、自分の思いを綴ってみました。
何もなかったみたいに、見ないようにして、聞かないようにして、声にしなかったら、3.11前と同じようにおもしろおかしく暮らしていけるんだろうか?そんな風に流れている日常を目にすると、何だか悪い夢の中にいる気がしてくる。もうすぐ1年になるのに。(@urutobiさん)
人には、自分の力で拒めることと拒めないことがある。情報の遮断は前者。忌まわしい記憶による苦悩が後者なのだと思う。しかし拒めないものがあることを憂い嘆く必要はないと思う。それは弱さではなく、人間らしさなのだから。すべてにおいて強くあろうとしたら、心が折れてしまう。
時には刻の流れに身を任せ、時には逆らう。それが人間。
ただ、逆らえるものには常に逆らえるようでありたいとも思う。
ある寓話の教訓
日本昔話か、ドラえもんかなんだかろうか。昔、こんな話を見たことがあった。
海底に生える昆布の話・昆布の兄弟の中で一人気の強い子がいた。5人兄弟の末っ子のその昆布は、いつも潮に流されてフラフラとしている兄たちをふがいなく思っていた。ある日、激しい海流が昆布たちを襲う。末っ子の昆布はここぞとばかりに背一杯根っこ(?)を伸ばして踏ん張った。兄たちは口々に「流れに身を任せるんだよ~」とのんびりと言う。末っ子昆布は「なんて情けない!僕は絶対に踏ん張ってみせるぞ!」と、あくまで海流に逆らう。必死に踏ん張る末っ子の昆布。でも海流の力は圧倒的。容赦がない。流れに逆らおうとした末っ子昆布は引きちぎれて四散してしまった。残った4人兄弟はゆらゆらゆらゆらと、激しい流れに身を任せ、なびいている。そして生き残った。
この話の教訓は、力あるものに逆らうなとか、そういう意味ではない。自然界の力は人智を超越している。自然に逆らうより、自然と共に生き、その力を受け流せということなのだと思う。
地震とともに生きる我ら日本人にとって、これは何を意味するだろう。
地震の力なんて、受け流したってそれで生き残れるものではない。ならば、共に生きることを選択することは賢明ではないのではないか。だが地震という自然の脅威を、抗えないものとして心の中で受け入れたらどうだろうか。それだけで、日々の恐怖からは解放される。そう自分の中で選択しているから。
抗わなければいけないのは、自然の力の及ばないところで、自らの選択で生き残る可能性を少しでも伸ばすことのできることだと思う。三船敏郎が出演した『生きものの記録』という反原発映画の中で、三船扮する中島喜一がこう叫ぶシーンがある。
「死ぬのはやむを得ん。だが殺されるのはいやだ!」 と。
これに尽きると思う。自然災害によって死ぬかもしれないということは、受け入れることができる。けれども、条件さえ違えば生きられるかもしれない。生き続けられるかもしれないと思えば、抗うだろう。それが人間であり、人の営みを続けるということだ。誰でも、「殺される」のは御免だろう。
昨日、なにげに開いた漫画『日本沈没』の第六巻に、恐ろしい「記録」を確認する記述があった。それは、関東大震災でどれだけの人間が、知識不足により死亡したかということ。そしてその記憶を、現代日本人は全く「忘れてしまっている」(記憶喪失になっている)こと。たとえば、こんな記述がある。
東京墨田区の横網公園にて、それを「語り続けている」モノがある。
『大正十二年九月一日の関東大震災の時に猛火と熱風で溶解した丸善ビル・鉄柱熔塊』。
「屋外展示のオブジェではない。火炎で熔解したビルの鉄骨である」(参考)
さらにこう続く。
「14万2千人といわれる総死者数のうち3万8千人とも4万ともいわれる人々が…正午の地震から数時間後の午後3時頃…10数分の間にその広場でまとめて死んだ。建物の倒壊、火炎での焼死を逃れ、着の身着のままではあるが、命は助かりひと安心…そうした約4万人の人々は…川幅200mの隅田川を渡って襲ってきた火炎旋風によりほとんど一瞬で絶命した。それが陸軍本所被服廠跡地の惨事である」(『日本沈没』第6巻「記憶喪失の国、記憶喪失の首都。①」より)
これは火炎旋風を発生させる物理的条件が当時の東京に揃っていたからだ。
そして近代都市化した今も、その構造は残っているという。
漫画『日本沈没』第6巻では、西新宿で将来起こりうる「火災の成長」による被害を、現代の建築学、物理学の知識を総動員してシミュレートしこれを「第二次関東大震災」と命名した。大正の大震災で4万の人間を焼失させた「火炎旋風」が起こる条件が今も揃っているという前提だ。
だから、抗う
長い前置きになったが、要は住む場所によっては、自然災害によってもたらされる被害からは容易に逃れようがない。よほど正しい知識を持って、正しい判断を随所で行わない限り、都市部で生き残るの至難の業だろうということだ。これは自分の置かれた条件によるものなので抗いようがない。
だが、抗えるものはまだある。仮に都市部での被害を生き延びたとして、その後に安心して暮らせる条件を確保するためだ。
私にとっては、それが脱原発だ。自分が、家族が、子供が生き残る、生き延びるチャンスを少しでも伸ばすために、人工の条件は極力取り除かなければならない。折角生き延びるのだから。
私にとっては、それが脱原発だ。自分が、家族が、子供が生き残る、生き延びるチャンスを少しでも伸ばすために、人工の条件は極力取り除かなければならない。折角生き延びるのだから。
命からがら生き延びても、その後に「震災以外の原因」によって安心して生きられないなんて、納得できないし、してはならない。「条件さえ違えば、生き延びれるかもしれなかった」━人々が生きる機会を少しでも残そうと思うのならば、リスク要因は限りなく減らすべきだ。
だから、原発に抗う。
だから私は、原発に抗う。
いざというときに一人でも多くの人が生き続けられるように。
大惨事は既に起きてしまいました。そうした世界に私たちは生きています。私が最も恐れるのはセシウムでもなく、原発でもありません。私が最も恐れるのは、考えることを止めてしまうこと。行動すると言うことを止めてしまうこと。その事です。
返信削除ありがとうございます。
返信削除止まることなく歩み続けたいですね。
そうしなければ、今後生き延びれない。