概論
第二次安倍晋三内閣は、これまでの政府解釈で日本国憲法第九条により禁止されていると解釈されてきた集団的自衛権を容認するのが合憲であるという新解釈を、国会閉会後の7月初旬までに閣議決定する予定だという。
これは事実上の解釈改憲で、これにより我が国は、同盟国の自衛のための戦争に巻き込まれる蓋然性が高まる。また国連の集団安全保障措置においても、法手続的には合法であっても、我が国の憲法上疑義の残る国際紛争に荷担することになりかねない。
閣議決定が行われるそのぎりぎりまで、与党内の協議が続けられるが、自民党側が譲らない「権利容認」について「限定容認」で妥協した公明党が、最後まで抵抗し続けるとは考えにくい。
もし公明党が土壇場で協議を決裂させるようなことがあれば、はじめて公明党が「ストッパー」としての役割を満足に果たしたことになるだろう。
だが、希望的観測は禁物である。
歴代政府がこれまで固持してきた憲法解釈は、同盟国が関わってきた数々の戦争から我が国が参戦することを防いできた。
みえないばくだんさんのツイートより |
湾岸戦争では我が国は原則を守って参戦を拒否し、経済支援のみを行った。ところが、このことに対する国際的批判の高まりと評価の低迷を危惧し、歴代政府は徐々に、国是をねじ曲げ、本来憲法上許されない国際紛争解決のための自衛隊の海外派遣を実施してきた。
PKO協力法の制定に始まり、防衛省の格上げ、イラク戦争、アフガン戦争、ソマリア海賊対処など、国際紛争に限らず、我が国は国際的な軍事活動への参画姿勢を強めていった。
我が国が国際社会の責任ある一員として、国連や地域的な国際平和・治安維持活動に参画するのは歓迎すべきことであるし、積極的に推進すべきことだと思う。
だが、それには我が国独自の原則が常に適用され、我が国はこの原則を逸脱しないという姿勢を国内外に示す必要がある。しかし、これまでの我が国の足跡は、我が国がいかにして原則を形骸化させてきたことを物語っている。
憲法第9条と集団的自衛権―国会答弁から集団的自衛権解釈の変遷を見る- 国立国会図書館政治議会課憲法室(レファレンス 2011.11) |
時代の要請とともに、国は変容する。しかし、憲政の成立来以、国民の精神の礎となった精神は、時の政府の選択によって変節してはならない。
現在の時の政府は、国民不在の中、国会の監視も機能しない中で、一部の権力者たちの会合で、これを行おうとしている。
しかも、表面的な、些末な議論しか行わずに。
以下の十数編のコラムは、そうした些末な議論の内容を一つ一つ取り上げ、その問題点、錯誤、国際社会における現代論的解釈などを交え、時の権力が行おうとしている暴挙に光を当てようとするものである。
皆さんの議論の一助となることを願って
2014年6月22日
元外交安全保障政策担当
私設参議院議院秘書
私設参議院議院秘書
勝見 貴弘
湾岸戦争で批判したのは何所ですか?アメリカをはじめとする参加国側ですよね。クェートが感謝発表した新聞に我が国の名前がなかった事は、彼の国も失敗した、と思ってるのではないですか?
返信削除だからこそ3.1.1に措いて中近東一の救援をしてくれたのではないでしょうか。そして今も続けてくれているのです。
PKOなどに参加することに賛成していますが、そのような事を少しずつ行って、今が有るのではないでしょうか。それよりも我が国の外務省を始め政府が怠けた対応が紛争を拡大してしまうのではないでしょうか。又、紛争を拡大したい国に頭が上がらないから、そこへ行かなければならないだけではないのでは?
それこそ「貴国に押し付けられた憲法を使って我が国は、平和を構築する為に紛争の間に入って汗をかきます」と言えるようになるべきなのではないでしょうか。
このようにしてこなかった事が安倍政権のような危険政権を生み出した原因だ、と私は考えます。
憲法を活かすことをしてこなかった点についてはまったく同感です。たとえばアフガン戦争にしたって、日本が兵站支援もせずに中立の第三国として和平調停を行っていれば、あと5年は早く戦争は終わっていたでしょう。民主党政権の時に、その芽をつくったのです。
返信削除http://uneps-jp.blogspot.jp/2009/11/blog-post.html
ところが、民主党政権には政権担当能力が欠けていた。せっかくの平和構築ビジョンも日米国防官僚の策謀により潰えました。まさに活憲が必要だった局面で、です。
それが、反動で安倍政権の台頭を招いたというご指摘はごもっともだと思います。ですから、左派政党はより具体的な平和構築論・政策を提案しなければなりません。
しかし残念ながら、現在の政治勢力にそれができる政党は存在しないようです。情けないことですが、これもまた現実です。彼らにもっと力を付けさせ、我々国民も力をつけなければなりません。