“核の平和利用”という虚像が推進された背景
原発推進の片棒を担がされた平和運動今日世界史上初の「原爆の日」にどうしても語らなければならないことがある。
それは「核の平和利用」をどう平和団体が推進してきたか。
核の軍事利用を“否定”し、核の軍事利用としての価値を“相対的に削減”し、核の平和利用を“促進する”―平和団体は、この理念のもと原発推進者となった。
核の軍事利用を“否定”し、核の軍事利用としての価値を“相対的に削減”し、核の平和利用を“促進する”―平和団体は、この理念のもと原発推進者となった。
世界連邦運動などの平和団体による原発推進は、元々は平和理念に基づく「反核」としての運動だった。平和利用の促進が、兵器利用の価値を下げると確信していた。
この価値観は、後に核不拡散防止条約(NPT)というひとつのレジーム(体制)の確立により強化される。核の拡散防止のために平和利用促進が是とされたのだ。
この価値観は、後に核不拡散防止条約(NPT)というひとつのレジーム(体制)の確立により強化される。核の拡散防止のために平和利用促進が是とされたのだ。
核の平和利用が原発ビジネス推進のために国際原子力機関(IAEA)やNPT体制によって支えられた謀略なのかどうか、そこまでは確信を持っていえない。判っているのは、謀略の有無に関係なく、世界連邦運動という国際平和運動は、“国際規模で原発を推進する片棒を担がされてしまった”ということだ。
マージナライズされた反核運動
世界連邦運動などに代表される「平和運動」が「核の平和利用促進」のために原発推進に柁を切った一方で、原水禁などの「反核運動」は、核の兵器利用も平和利用も両方認めないというスタンスで一貫して運動を続けてきた。そしてその頑ななスタンスは、原発推進勢力に政治的に逆利用されてしまった。
非核三原則のもと、核の平和利用は例外的に認めることを国是としている我が国で、核の利用を一体化視して「核の平和利用」をも認めないというスタンスをとることは、国是に反するだけでなく、“非核の精神をも否定する”という論理のすり替えが行われ、反核団体は社会の中でその存在をマージナライズ(矮小化)された。
反核運動が核の兵器利用への反対運動として“のみ”認められる形へとマージナライズされていく一方で、核の兵器利用には反対するが核の平和利用は、“兵器利用の削減のためにも推進すべき”とする平和運動は、その政治的利用価値を高めていき、いつしか、“核の平和利用に反対できない環境”が構築されていった。
つまり、総合的にみれば、平和運動も、反核運動も、両者とも核の平和利用には反対できなくなっていった。日本に核の平和利用に反対する有効な勢力は存在しなくなったのである。しかし振り返ってみれば、これはいま脱原発を主張する多くの国民にとって、非常に大きな痛手であった。
福島原発事故以降、国民の多くが頼りにするようになった情報・データの源(核情報、原子力情報資料室、等)はどこだったか。長年、核の平和利用としての原発を問題視してきた反核運動コミュニティそのものではなかったか。たとえばピースデポという自他共に認める核シンクタンクは長年、原発と核開発の一体化構造に警鐘を鳴らしてきた。
だがピースデポの研究・調査内容はあくまで「反核」のコンテクストにおいてのみ有効な情報とされ、「反原発」の部分の価値はマージナライズされたままだった。
結果、原発の危険性、核開発との一体性という危機認識は一般の中に育たず、多くの国民が無知・無関心のまま2011年3月11日を迎えることとなった。
結果、原発の危険性、核開発との一体性という危機認識は一般の中に育たず、多くの国民が無知・無関心のまま2011年3月11日を迎えることとなった。
これら一連の平和運動・反核運動の発展の歴史が、原発推進勢力の謀略によって導かれたかどうか、そんなことは、もはやことの本質とは関係がない。問題は実態であって、背後に何があるかではない。
本質は、いずれの運動も「核の平和利用」に反対しにくくなったということだ。
本質は、いずれの運動も「核の平和利用」に反対しにくくなったということだ。
だが、それはもう過去の問題であることは周知の通りである。
もはや現体制では“核の平和利用”は不可能
核の平和利用=原発が抱える問題の本質とは
現在日本が抱える「核の平和利用」の問題の要は、その管理体制と意識にある。遡れば、地震列島日本に原発を建設すること自体に問題があるが、これは多くの国民が巧みな情報操作によって「安全」と信じ込まされ、「容認」してきたこと。問題はその後にある。
安全性は確保されてきたのかということだ。
311以後、多くの国民が認識したのは、仮に原発が完璧に運営されていても、そこに“厳格な安全基準(設計と運営の両方)の運用と、明確な危機管理意識と、それを明文化した対応、厳格な訓練が行われ、常に改善が繰り返されるような体制”がなくては、「原発の安全性は確保されない」という事実だ。
これは今年初め、「終末時計」を1分進めた理由としても指摘されている。
2012: "safer nuclear reactor designs need to be developed and built, and more stringent oversight, training, and attention are needed to prevent future disasters;"(より安全な原子炉が設計及び建造されなければならない。また、将来の災害を防ぐために、より厳格な監督、訓練が行われ、かつ十分な注意が払われる必要がある)
原発事故から1年以上が経った今も、これらの改善はなされていない。民間・国会事故調の両方により「人災」認定されても、行政監視機関の国会は、新設する原子力規制委員会の人事の状況を見ても、「人質」(じんしつ)の改善を徹底できない。
「歴代の規制当局と東電との関係について、「規制する立場とされる立場が『逆転関係』となることによる原子力安全についての監視・監督機能の崩壊」が起きた点に求められると認識する。何度も事前に対策を立てるチャンスがあったことに鑑みれば、今回の事故は「自然災害」ではなくあきらかに「人災」である。」(国会事故調報告の「結論」より)
すなわち、これまで繰り返し述べてきたように、この国に原発を管理する資格はない。
67年目の誓い
我が国は、67年前の今日を境に3度、核に被曝した。2度の“被爆”は戦争によるものだったが、政府は被爆者の補償すら満足にしてこなかった。3度目の“被曝”は天災に端を発するが被害を拡散する結果を招いたのは“人災”だった。
我が国の政府は、核から国民を守る意思を有していない。
我が国の政府は、核から国民を守る意思を有していない。
だからこそ、核被爆67年目の今日、新たに誓おう。
今度こそ、全国民を核の恐怖から守る政府を選択しようと。
今度こそ、全国民を核の脅威から守る行政を創ろうと。
今度こそ、全国民を核の危険に曝すことを許さない立法府を創ろうと。
そして今度こそ、教訓を学ぼうと。4度目の被曝を経験しないために。
今度こそ、全国民を核の恐怖から守る政府を選択しようと。
今度こそ、全国民を核の脅威から守る行政を創ろうと。
今度こそ、全国民を核の危険に曝すことを許さない立法府を創ろうと。
そして今度こそ、教訓を学ぼうと。4度目の被曝を経験しないために。
だが、現政権・体制には、これらの理想を実現する意思も力もない。
震災後1年強、行政・立法・当局・産業の対応・議論・施策により、
現体制への評価はもはや決した。すべてを作り替える必要がある。
まずは、行政を構成する立法府からはじめよう。
その為に、現政府は退陣しなければならない。
2012年8月6日
平和を祈念する原爆記念の日に
4度目の被曝回避を祈念して
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