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2012/09/29

日本の戦後を考える:現代日本人の自虐史観と実態の伴わない歴史的贖罪の姿勢


以下は次の対照的な引用とツイートに端を発した連続ツイートの内容を再編成したものです。

「我々ドイツ人は何年もの間、ユダヤ人を迫害し、罵声を浴びせる社会を許容してきました。たとえ何千年が経とうとも、我々の罪の意識が消え去ることはないでしょう」被告人ハンス・フランク(ニュルンベルク裁判にて)

どのくらい時間が経ったら敗戦の責任は消えるのだろう。被害者が加害者を許す日がいつか来ると信じたい。@tomisaka55氏

加害国の国民がその総意として加害の事実を認め贖罪しないうちは、いくら時間が過ぎても許されないだろう。「謝ったじゃん」「金払ったじゃん」「援助してるじゃん」「平和主義になったじゃん」「軍なくしたじゃん」「これ以上何を望む?」―というのは、贖罪してる者の姿勢ではない。

日本が被害国だったら、どのくらいで許しているか。何をしたら許しているか。
その辺を、想像力働かせて考えてみたらどうだろうか。

国家が加害者であり、その為の責めをすべて負い、国際的責任をすべて果たしたことと、国民ひとりひとりが背負うべき呵責という罪の意識はまた別のものだ。

他方、いつまでも加害者であったことを武器にして不当な要求を続ける輩(国・人々)には、国家としての責任は果たしてきた、という正当な理由を背景に毅然とした姿勢で臨まなければならない。

これは、それぞれ別の話なのだ。

だが、日本人の中では、これらが一体となっている。そこに例の「輩」がつけこむ隙があるのだ。国家が責任を果たしていることと、国民が自らの意識としてその責を永久に負う姿勢を保つかは別の問題だ。その姿勢が見えないから、つけこまれるのだ。

いつから日本人は、自らの行動に裏付けられた正当性に対する自信というものを失ってしまったのだ。その正当性を否定する輩に対してなぜ自らをその程度まで貶めて張り合おうとするのだ。

何の益があるのだ。

要はバランスの問題であり、区別の問題なのだ。国の問題は国の問題、国民個人の意識としての問題は別の問題。国が行ってきたことは、自分の意識と符合してこそ価値がある。でなければ、ただ「国がやってくれていた」だけのこと。そんな意識で被害者が納得する訳がない。

つけこむに決まっている。

ひとつ確かなのは、国の贖罪行為については、我々国民も血税を差し出すことで確実に関わっているし、関わり続けているということ。金額的には途方もないだろう。だが受け手はこれを賠償金代わりだとは思っていない。国民もそうだ。ここに意図と実態の解離がある。

これが我々納税者には歯がゆい。

だがここで誤解してはならないのは、対中・対韓ODAは通常の課税の範囲で賄われてきたということだ。つまりそのための増税というのは起きていない。我々納税者は無理に賠償金がわりのODAや円借款のために追加課税されていた訳ではない。政府は通常の予算枠から賄っていたのだ。

暴言承知で言わせてもらえば、我々国民は政府が税金をどう運用しているかについて、長年関知することもなくただせっせと求められる税金を払い続けてきただけで、そこに呵責や罪の意識、贖罪の気持ちなどはじめから介在していない。仕方ないと、いう意識すらない。

つまり、何もしていないも同然なのである。

全てが政府や、一部の民間交流団体任せとなっていては、国民ひとりひとりの意識に贖罪の気持ちなど芽生えよう筈もない。そうした国民の中から、いま「極右」と世界に揶揄されてしまうような政治家が台頭し、支持を集める。

さて、端から見て、この国の住民は反省しているように見えるだろうか。

本来、ここをうまく「調整」するのが政治と外交の役割である。単に形式通りの支援や交流を行うのではなく、両国民の和解を推進する役割を、歴代政権は担ってくるべきだった。しかし政府任せにしていたら、政府がここを一番疎かにしていたことがわかったのだ。

だから民意のブレーキが効かない。

このことは何度も触れているが、私の祖父は満州で中国人を裁いていた罪で戦後シベリア送りになった人だ。帰国後祖父は日本国憲法を一から学び直し、法曹界に身をおき続け、生涯を法治と司法の発展のために尽くして80代で他界した。それが祖父の贖罪行為だった。だがそれで終わりだとは思わない。

考えてみてほしい。

戦後、焼け野原の中から復興と国家再建に努めた人たちが、すべての責めを負うというのは道理に合うんだろうか。実際に戦場にまで行って捕虜としての待遇を受けた祖父の世代が、全ての責めを負って贖罪して生涯を全うした。それで終わりにしていいのだろうか?

なぜ、私たちよりもはるかに過酷な時代を生きてきた人たちに全ての罪を着せて安穏としてられるのだ。彼らも私たちと同じ日本人、同胞だ。英霊といわれる人たちだけを敬い、この国をいちから作り直してきた人たちに対しては敬意の念もなくただ責めを負わせる。

私達はそんな恥知らずな民族なのだろうか。私はそう思いたくない。
歴史は教科書の中にだけあるのではない。

歴史を必死で紡いできた、幾千、幾万の無名の人々のおかげで、いまの私たちの生活がある。この当たり前のことに有り難みを感じていたら、歴史の汚点をすべてその時代の人の所為するような、そんな恥ずかしい認識は持てないだろう。そしてそれは日々の言動にも現れる筈だ。

贖罪はそこから始まる。

いまの日本の政治や報道の風潮では、一般の世論の中でも私のような考え方は受け容れられにくいのかもしれない。しかし、私は日本人が、日本という国が、歴史的難題であるこの戦後処理問題を穏便に、様々な知恵を結集して創造力を働かせ、解決する英知を持っていると信じたい。

2012/09/20

《和訳》2012/8/3付け米連邦議会調査局レポートにおける「普天間基地へのMV-22“オスプレイ”輸送機の配備」箇所の抜粋



合衆国の沖縄における

軍事的プレゼンスと

普天間基地問題

Emma Chanlett-Avery
アジア問題担当スペシャリスト
Ian E. Rinehart
アジア問題担当アナリスト
2012年8月3日

連邦議会調査局

普天間基地へのMV-22“オスプレイ”輸送機の配備[1]


米軍は、はやければ2012年秋までにティルトローター型輸送機MV-22"オスプレイ"輸送機を海兵隊航空基地普天間飛行場に配備する意向だが、安全性への懸念から、地元の反発は必至である。オスプレイは7月下旬、海兵隊航空基地岩国飛行場に陸揚げされた。米軍が初めてオスプレイを普天間基地に配備する意向を示したのは、1992年の「海兵隊航空基地普天間飛行場マスタープラン」だった。1996年のSACO草案でもこの目標は繰り返されている。海兵隊は、普天間基地に配備中のCH-46E“シーナイト”輸送ヘリ24機を2014年までに24機のオスプレイと交替させる計画である。新型輸送機は、日本の領空の6つのルートを使用して訓練任務を実施する予定で、これには本州上空を数百回以上飛行することも含まれる。最新鋭の輸送機を沖縄に配備することで、とりわけ即応シナリオにおける第3海兵遠征軍III MEFの運用能力が向上するといわれている。
日本の政治家や市民団体は、同機の安全実績からオスプレイを日本に導入することに反対している。2012年の始めにモロッコ及びフロリダで訓練飛行中に発生したオスプレイの墜落事故は、沖縄県民に、2004年8月に学校の校舎内に墜落した米軍ヘリの事故を思い起こさせた。[2]岩国基地が位置する山口県の知事は、安全上の懸念が解決されるまで、岩国にオスプレイを配備しないよう米軍に要請した。2012年7月1日、沖縄の仲井真知事は森本敏防衛大臣に対し、「(MV-22を配備する)計画は断固拒否する」と伝えた。[3]しかし日本政府は海兵隊に配備の中位を申し入れてはおらず、また地方政府はこれに干渉する権限をもたない。森元防衛相は米軍側による事故調査の全ての結果の提出を求めている。オスプレイは、先の2件の墜落事故以後も飛行禁止にはされておらず、合衆国内その他で飛行を続けている。



[1] 詳細は、Jeremiah Gertler著"CRS Report RL31384, V-22 Osprey Tilt-Rotor Aircraft Program"を参照。
[2] 2012年4月13日にフロリダで墜落したのは、米空軍仕様の“オスプレイ”CV-22である。

2012/09/19

転載:2012/9/19付け沖縄タイムスの「オピニオン」に掲載された論壇



「犠牲なくす」県民の望み 米主要紙に届いた叫び


2012年9月14日付けの米紙ニューヨーク・タイムズで、『沖縄のオスプレイ』と題された社説が掲載され、話題となった。地元沖縄のメディアは、沖縄県民の多くが反対する海兵隊垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの配備先について、同社説が「別の場所にするべき」と県外配備を示唆していることに着目し、その内容を歓迎する論調を展開した。だが、この社説の本質は別のところにあるのではないか。
 「負担軽減」という表現がある。地元メディアはタイムズ紙社説の結論部分について、「米政府には沖縄の負担を軽減し、県民の懸念に耳を傾ける義務がある」として、この表現を使用した。だが、当のタイムズ紙は、この「負担」が何であるかを細かくかみ砕いた上で、結論でたった二言、"tread lightly "と表現し、これを「和らげる」ことが、米国の義務であるとした。米紙ですら使わない「負担軽減」という言葉に、当の地元メディアが囚われているのである。
 そもそも、沖縄の負担とは何か。米軍施設が島の五分の一の面積を占めている規模の問題。米軍容疑者らが法による適切な処罰を受けない治安の問題。米軍用機がいつ市街地に墜落するか分からない安全の問題。これらすべてが複合的に絡み合ったものが、「負担」と言われているものの実態である。すなわち、より正しくは、「犠牲」である。他県及び他の米軍駐留地に比べて、沖縄県民が何をより多く犠牲にしてきたか。それをいかにして「なくすか」が最大の焦点なのである。 
 これまで多くの犠牲を払ってきた沖縄県民が望むのは、「負担の軽減」ではなく 「犠牲がなくなること」ではないのか。では犠牲をなくすために必要なこととは何か。それこそが軍事規模の縮小ではないだろうか。ほとんどの海兵隊のグアム移転が実行されるのに、なぜ代替施設が必要で、なぜその代替施設に安全性に懸念のある輸送機が配備されることになっているのか。結局、何も減ってはいないではないか。それが、初めて米主要紙にも届いた県民たちの叫びだったのではないだろうか。
 何も減りはしないで犠牲は増えるかもしれない。その可能性におびえて暮らしていかなくてはならない。これに抗議する意思を、9日の県民抗議集会はこれまでないほど明確に示した。この「犠牲がなくなること」を求める沖縄県民の声に応える米国の義務が何であるかは、もはや明白であろう。(平和活動家・元参議院議員秘書)


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2012/09/16

《和訳》2012/9/14付NYタイムズ社説"沖縄のオスプレイ問題”


2012年9月14日

沖縄のオスプレイ問題


先週9日、MV-22オスプレイを宜野湾市の在沖縄海兵隊基地に配備する計画に抗議する十数万の人々が地元沖縄で行われた抗議集会に集まった。オスプレイは何かとトラブル続きのティルトローター型輸送機で、在沖縄米海兵隊は、ベトナム戦争時代のヘリ部隊を24機のMV-22と交替させる意向でいる。これに対し、沖縄の人々は怒りを露わにしており、日曜の集会はこれまでで最大規模の反米抗議集会となった。
沖縄の戦略的位置
(米連邦議会調査局資料より)

オスプレイは、きわめて高価でありながらもその有用性に疑問が持たれる、無駄に高価な兵器システムの典型と酷評されている。しかし、沖縄の人々が問題にしているのは税金の無駄遣いではない。同機がよく墜落する傾向にあることが問題なのである。日本における米国の軍事プレゼンス(関連資料1)を支えるという、重い負担を背負いつづける地元住人の多くにとっては、オスプレイの配備は古傷に塩を塗り込むようなものだからだ。オスプレイはすでに初期の十数機分が日本に上陸しているが、日本政府による機体の安全実績の確認が行われるまで飛行は許可されていない。在沖海兵隊当局は、オスプレイの悪名高き欠陥の数々は解決済みであり、その安全性と信頼性は保証済みであると主張しつづけている。
しかし、4月にはモロッコ沖で墜落事故が発生、2名の海兵隊員が死亡した。6月にはフロリダでも墜落が発生した。米軍当局はいずれも同機パイロットのミスが事故原因としているが、住宅密集地で1950年代から何百もの戦闘機や軍用ヘリの墜落や緊急着陸(その幾つかでは死亡事故も)に見舞われてきた住民らの不安を解消するには程遠いものとなっている。
9日に起きた大規模な抗議は、十数機のオスプレイに向けられたものではない。沖縄からすべての海兵隊を撤退させるという、島民たちの悲願に対する現状への大いなる不満の表れなのである。

2006年、日米両政府は、普天間を閉鎖し、数千人規模の海兵隊員を沖縄から移転させ、残りを住民の少ない北東部沿岸の新たな基地に移転させる案で合意した。しかし、多くの県民はこの合意を不十分であると反発し、合意は実施されなかった。日米両政府は今年4月に9000人の海兵隊を移転させる合意(関連資料2)に至ったが、この合意の実施も滞ったままだ。
沖縄県民は、あまりにも長きに渡り、行動の伴わない約束に翻弄されつづけてきた。米国には、沖縄におけるプレゼンスを和らげ、地元住民の懸念に耳を傾ける義務がある。オスプレイの配備先を他所に変更することは、そのとっかかりになり得る。

関連資料
関連記事
Original Source: The New York Times
Translated & adapted by: Office BALÉS

訳者あとがき: ※この「あとがき」を再編して投稿したものが後日、沖縄タイムスの「論壇」に掲載されました。

今回の翻訳では、敢えて報道でよく使われる「地元負担」「負担軽減」などの定例句を使うことを避けた。原文最後の"tread lightly"の文意を記事全体から汲み取れば、もはや「負担軽減」などという生易しいことを指す言葉ではないことは明らかだからだ。 

そこで、ここは敢えて報道が陥りやすい概念の記号化に抗することにした。そもそも、沖縄が行っている「負担」とは何か。県民に強いられている「負担」というものはこの二文字で表せることなのだろうか。単に数・量の問題なのか、治安の問題なのか、安全性の問題なのか。その複合だろう。これは「負担」の問題なのだろうか。


正しくは「犠牲」だろう。しかし「犠牲軽減」とは表記できない。他の県及び他の米軍が駐留する県に比べて、沖縄県民が何をより多く犠牲にしてきたか。それをいかにして「なくすか」が焦点なのであり、「減らせる」ものではない筈だ。だが「負担」という言葉は、これを「軽減する」と言うことを可能にしてしまう。

英語で"tread"とは、「負担を求める」ことを意味するとともに、「踏みつけること」も意味する。総じて、その存在で圧迫するということである。存在感を示すことを「プレゼンスを示す」という。これは、はからずしも社説本文で使われた言葉("military presence")でもある。これまで多くの犠牲を払ってきた沖縄県民が望むのは、「負担の軽減」ではなく「犠牲がなくなること」ではないのか。では犠牲をなくすために必要なこととは何か。

訳者はそれこそがプレゼンスの縮小、即ち軍事的フットプリント(規模)の縮小(lighter footprint)
であると考える。殆どの海兵隊のグアム移転が実行されるのに、なぜ代替施設が追加で必要なのか、なぜ代替施設に安全性に懸念のある輸送機が追加(たとえ実質的な交替であっても)その代替施設に配備されることになっているのか。結局、何も「減って」はいないではないか。それが、県民たちの“叫び”ではないだろうか。

何も「減り」はしないで犠牲は「増える」かもしれない。その可能性に怯えて暮らしていかなくてはならない。そんな理不尽なことがあるだろうか。そんな不条理に座して死を待つ住人など、いるはずもない。9日の県民抗議集会はこうした不条理に対する怒りの声の表れであろう。

この「犠牲をなくすこと」を求める沖縄県民の声に応える米国の義務が何であるかは、もはや明白であろう。





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2012/09/11

追悼:松下忠洋金融・郵政改革担当相が亡くなられた件について

松下忠洋金融・郵政改革担当相が亡くなった。報道は当初、「東京のマンションで倒れているのが見つかった」という地元鹿児島に居る松下氏の秘書の話を初報とした。その後「首をつっていた」という表現に変わり、「自殺とみられる」という主観と警察がそう見ているという表現を重ねる形となった。

現在、報道はすべて「自殺とみられる」に固定。総理、官房長官、妻への遺書も「見つかった」ことで自殺の線はますます濃厚という見方が固定された。さらに近々、松下氏の女性問題を扱う醜聞記事が週刊誌に掲載される「予定だった」という情報も出回り、ますます自殺路線が確定的にされた。

松下氏は73歳。高齢な上に癌を抱えていた。週刊誌が報じようとしている松下氏のパートナーといわれる女性も70代で20年来の交際だという。降って涌いて出たような話ではない。職場でもプライベートでも温厚な人柄で知られ、政治信念も一本筋の通った方だったように見受けられる。

松下氏が閣僚として最後に行った仕事は9月6日に金融改革法案を可決成立させることだった。その後、同氏は、国会閉会後亡くなる日の寸前まで地元を回っていたという。最後の最後まで仕事をきっちりやり通す人柄が、最後の数日間の行動に表れている。政治家として立派な方だったのだろう。

松下氏は国民新党所属で、元自民党出身の代議士だった。郵政民営化に反対する立場から自民党を離党し、国民新党に加わったと聞く。民主党政権発足以後、国民新党の独占的ポストとなった金融・郵政改革担当相の地位に、前任者である同党党首の後任として選ばれたのも、当然の人事だった。とはいっても、松下氏は第二次野田改造内閣が発足して初めて同ポストに任命されて、わずか三か月で亡くなってしまったことになる。閣僚としての手腕はおろかやっと業務を把握できた程度の段階だったことだろう。

松下氏は建設省の元官僚で最終職階は部長だった。自民党の衆議院議員として出馬してからも党内の関連ポストで手腕を発揮し、99年から農林水産政務次官、内閣府副大臣を務め、09年の民主党政権発足以降は、経済産業副大臣を野田内閣まで三期務めあげ、野田改造内閣で復興副大臣となった。

松下氏は第二次野田改造内閣でやっと大臣職を経験する。当選5回の議員人生でやっと登り詰めた頂上が、金融・郵政改革担当大臣の位だった。そうして93年から苦節約20年。やっとの思いで自らの政治信念に沿う職にたどり着いた矢先に、松下氏は亡くなった。

以上。報道内容に納得がいかず、昨晩遅くまで読み漁った関連記事やブログの記憶を辿り、そして議員データブックを片手に、松下氏の政治人生を振り返ってみた。国内の報道のみならず、国外の報道にも目を向けた見た。すると英紙FT(フィナンシャルタイムズ)がより本質的なことを論じていた。

FT紙は松下氏が経済産業副大臣として行った仕事に焦点を当てた。それは日本最大のブローカーである野村ホールディングスのインサイダー取引問題への取り組みだった。松下氏の陣頭指揮の下、金融庁の調査により事件が明るみとなり同社CEO及びCOOが辞任に追い込まれた事件である。

FT、ブルームバーグ等の国外主要各紙は、国内報道が余り扱わないこの野村ホールディングス摘発の功績を松下氏の政治手腕によるものと高く評価している。つまり国外専門紙の方が松下氏の閣僚としての実績を高く評価しており、「松下氏に醜聞は一切ない」とまで断言している。

松下氏の死亡についての国外報道(参考)フィナンシャルタイムズの報道:

"Mr Matsushita had not been linked to any scandal"

興味深いことに、FT、ブルームバーグ紙(英語版)の記事は両方とも日本人記者により書かれているつまり日本人記者の視点から、松下氏の政治実績を語る上で野村摘発の問題は外せないテーマである筈ということだろう。

だが国内各社報道にそうした本質的な報道を行う姿勢は見られない。

松下氏の死亡についての国外報道(参考)ブルームバーグの報道:

A month into the role, Matsushita asked an advisory panel at his agency to examine stiffer penalties for insider trading, including bigger fines for traders and disciplinary action against leakers of non-public information.(松下金融相は6月の就任直後、ブルームバーグ・ニュースのインタビューで、銀行や証券会社といった金融機関に対する行政対応の強化に意欲を見せた。その後も、インサイダー取引に対する罰則を厳格化する方針を示すなど、金融庁や証券取引等監視委員会の検査・監督機能の強化に積極的に取り組んでいた。)

女性問題を前面に出されては松下氏を高潔な政治家と評するのは難しいかもしれない。しかし元中堅官僚の立場で生きた20年の政治家人生を、政治理念の実現のために傾けてきたことはその軌跡や実積、即ち行動からわかる。

その行動を単純な醜聞により葬り去る国内報道の姿勢には同調しかねる。

謹んで、いち人間として、73年の生涯を閉じられた人間・松下忠洋氏のご冥福をお祈りし、遺族の方に深いお悔やみを申し上げるとともに、いち国民として、政治家・松下忠洋氏に対し、その政治人生の約20年間を国家・国民に尽くした国士として深い哀悼の意を捧げるものであります。

合掌

関連報道スクラップ


※追記:2012年‎9月11日午前の官房長官記者会見における松下氏への言及部分

12:36辺りから記者質問で松下氏死亡に関する言及あり。長官は「ご遺族によりますと、病院側の検死結果は心不全だったと伺っております」とのこと。野田総理は閣議において松下氏の功績を称え哀悼の意を述べたとのこと。

15:35辺りから再び記者質問で松下氏の後任について質問。長官は、金融担当大臣の「事務代理」として安住財務大臣が閣議で報告され、当面の間は「事務代理を置く」体制になり、後任については総理が決めるとのこと。

16:30辺りから再び記者質問。松下氏の後任人事で郵政担当も安住財相になるのかと。長官は、「郵政は内閣府との共同なのでただちに臨時・事務代理を置く必要性はなく、川端総務大臣が所管大臣である」と回答。

17:50辺りから再び記者質問。松下氏が遺したとされる閣僚宛の遺書について、閣議で報告・紹介はあったのか。長官は「報道があることは承知しているが、ご遺族の元にあるかと思われ、その事実についても承知していない


松下氏に関する官房長官記者会見の発言から、次のことが判明しました。
  1. 検死の結果、死亡原因は心不全であった。
  2. 後任の安住財相は後任が任命されるまで金融担当の事務代理を務める。 
  3. 郵政担当は共同担当の川端総務大臣が所管大臣である。 
  4. 閣僚宛に遺された「遺書」について官邸は事実を承知していない。


2012/09/08

《和訳》オバマ大統領、2012/9/7の民主党指名受託演説で天然ガス、代替エネルギーへの転換を提唱


オバマ大統領の2012年民主党党大会での指名受託演説におけるエネルギー及び環境政策に関する言及部分の抜粋


Excerpt from President Obama's Nomination Acceptance Speech at 2012 Democratic National Convention dealing with Energy and Environment


(Photo: Fuel Fix)

--

我々は、より自由にエネルギーを選択する道も選ぶこともできる。30年間何もしないでいたところを、燃費基準を上げたことで、次の10年の半ばまでには、車やトラックの燃費が二倍増しなる見通しとなった。

You can choose the path where we control more of our own energy. After thirty years of inaction, we raised fuel standards so that by the middle of the next decade, cars and trucks will go twice as far on a gallon of gas.

我々は、再生可能エネルギーの使用を倍増させた。これにより、風力タービンや長時間持続するバッテリーの製造のために数十万人の新しい雇用がアメリカに生まれた。昨年だけで、1日当たり100万バレルの石油の輸入を削減した。これは、どの歴代政権も成し得ていないことだ。そして今日のアメリカは、過去20年間で最も海外の石油に依存しない国となっている。

We’ve doubled our use of renewable energy, and thousands of Americans have jobs today building wind turbines, and long-lasting batteries. In the last year alone, we cut oil imports by one million barrels a day, more than any administration in recent history. And today, the United States of America is less dependent on foreign oil than at any time in the last two decades.

ここで、我々には二つの選択肢がある。この成果を逆行させる戦略を選ぶか、この成果を生かす戦略を選ぶかである。過去3年の間に、我々は、数百万エーカーに及ぶ石油やガスの採掘拡大を行ってきた。これは、もっと増やす予定である。しかし、私の対抗馬とは異なり、私は石油業界に我が国のエネルギー政策を決めたり、海岸線の生態系を破壊したり、更に40億ドルに及ぶ企業年金を納税者から徴収することを許したりはいない。私は、よりよい道を提案したい。

So, now you have a choice -between a strategy that reverses this progress, or one that builds on it. We’ve opened millions of new acres for oil and gas exploration in the last three years, and we’ll open more. But unlike my opponent, I will not let oil companies write this country’s energy plan, or endanger our coastlines, or collect another $4 billion in corporate welfare from our taxpayers. We’re offering a better path.

このよりよい道を選択すれば、我々は、2020年までに石油輸入量を半減させ、天然ガス産業のみで60万人の新たな雇用を創出することができる。

If you choose this path, we can cut our oil imports in half by 2020 and support more than 600,000 new jobs in natural gas alone.

そして勿論、私の戦略に沿えば、私たちの住む地球の温暖化を進めているCO2汚染も削減される。気候変動は嘘出鱈目ではないからだ。干ばつや洪水、野火が増える可能性は、もはや冗談では済ませられない。私たちの子どもたちの未来への脅威でもある。この選挙は、このことも左右する。

And yes, my plan will continue to reduce the carbon pollution that is heating our planet because climate change is not a hoax. More droughts and floods and wildfires are not a joke. They’re a threat to our children’s future. And in this election, you can do something about it.


Original source: http://fuelfix.com/blog/2012/09/07/obama-touts-natural-gas-alternative-energy-in-acceptance-speech/

Reference:
(WSJ日本語版)http://jp.wsj.com/US/Politics/node_507853
(CNN日本語版)http://www.cnn.co.jp/usa/35021465.html

Translated by: Office BALÉS

2012/09/04

[URGENT APPEAL] Steamrollering of ACTA: An outrage against Japan's democracy


ACTAの強行採決は日本の民主主義に対する暴挙である 
業者ロビイストが巧みに誘導した、憲法第21条侵害の危険性を内在する国内法を凌駕する国際条約を、反対議員を強制排除して肝心の議論を放棄し強行採決する議員たちは、議員の立場を自ら放棄している。民主国家の議論の場、議会を任せてはならない。それは民主的承認とは呼び得ない暴挙だ。
2012年9月3日
 @T_Kawakami
Steamrollering of ACTA: An outrage against Japan's democracy
September 3, 2012 
Those legislators that force out the opposition to forego the deliberations need for the consideration of an international treaty that poses an inherent danger of overriding our national laws and violate Article 21 of our National Constitution--which was tactfully introduced by the industrial lobbyists--and attempt to steamroller it in the National Diet, are abandoning their constitutional role as legislators themselves. They shall not be permitted to preside in the deliberations of our democracy or have a seat in our National Diet. Their actions are an outrage against a prescribed, democratic approval process.
@T_Kawakami 


Original text by:  @T_Kawakami
Translation by: Office BALÉS