2014年06月16日05時00分
大詰めを迎えた集団的自衛権の行使をめぐる与党協議で、朝鮮半島での有事(戦争)で「避難する日本人を乗せた米艦を自衛隊が守る」との想定が、注目を集め ている。しかし、過去の日米交渉で米側はこの場合の日本人救出を断っていた。首相がこだわり、行使に慎重な公明党もこれなら容認できるとみる想定だが、現 実には「日本人の米艦乗船」は極めて困難だ。▼2面=「自国の責任が原則」、38面=元議員は問う
「近隣諸国で紛争が起こって、逃れようとする邦人を輸送する米国の船が襲われたとき、その船を守れなくていいのか」
11日の党首討論。安倍晋三首相は朝鮮半島の有事を念頭に訴えた。公明党も「この例に絞るなら集団的自衛権を認められる」(関係者)として、「限定容認」する方向で調整に入った。
北朝鮮と向き合う韓国に在住する日本人は約3万人。「米艦による日本人救出」とは、戦争が起きた時に日本への避難民を運ぶ船や飛行機が足りないとみて、米軍に輸送の一部を依頼する想定だ。
首相や公明がこの例に着目するのは、日本が直接攻撃を受けていない時に米軍を守るのは集団的自衛権の行使に当たると主張できる一方、日本の近くで日本人の命を救うと訴えれば、国民の理解も得やすいと考えるからだ。
しかし実際には、朝鮮半島の有事で現地から日本の民間人らを米軍が避難させる計画は日米間で一度議論されたものの、最終的に米側に断られた経緯がある。
両国は1997年、78年につくられた「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)を改定する際、朝鮮半島有事で日本が米軍を支援する見返りとして、避 難する日本人を米軍が運ぶ「非戦闘員救出作戦」(NEO)を協力分野に加えることで合意。対日協力の目玉になるはずだった。
しかし98年にガイドラインに基づく協力内容を定める周辺事態法をつくる際、米側の強い意向でNEOはメニューから外された。
97~98年の交渉や法案づくりに関わった当時の政府関係者によると、米軍が海外の自国民らを救出・保護する作戦では、国籍による4段階の優先順位がある という。「米国籍、米国の永住許可証の所有者、英国民らが優先で、日本人は最後の『その他』に位置づけられていると説明された」
朝鮮半島からの日本人救出をめぐる日米の協議は、その後も進展していない。首相ら政府は年内に集団的自衛権の行使容認を決める前提で、米国とガイドラインの再改定交渉に臨む方針だ。しかし、政府関係者は「再改定の主要なテーマにも邦人救出は入っていない」と語る。
所感
新ガイドラインは大分前の取り決めだが、普天間の辺野古移設も同じ時期に合意され今も効力を持つことを考えると、新規に合意されないかぎりは以前の合意が有効だということだろう。
日米間の当時の合意が有効ならば、米艦艇による邦人輸送は事実、現在の日米協力の枠組みにはないことになる。ここまでは朝日の調査報道は的を射ている。
だが、現在2+2に向けて水面下でどのような下準備がなされているかはようとして知れない。安倍政権が米軍艦防護を持ち出した背景がある筈だ。
考えられるのは、米国との協議を進める上で、集団的自衛権容認を手土産に、米艦防護、即ち邦人救出(NEO)を新たな日米協力の指針の項目に加えようとしていることだ。
その既定事実があれば、朝日が論じるように、「 日本の近くで日本人の命を救うと訴えれば、国民の理解も得やすい」だろう。
また、邦人救出の約束取り付けを協議成果として後で発表すれば、後だしジャンケンではあるものの、国民の目からは、国民を守るために政府が動いたという風に映り、また政府よりのマスコミはそう印象付けようとするだろう。
朝日の記事にはそこまでの読みが欲しかったが初報としては上出来だろう。
コラム
『所感』でも指摘したように2014.6.16付朝日の報道は、日米間の過去の取極めにおいて邦人救出は合意事項になかったという事実を示しているのみで、水面下の動きを考慮にいれた分析は行っていない。
しかし、現在そうした日米の取極めがないということから、少なくとも現在安倍政権が集団的自衛権の行使が必要となる主要な事例の一つとして紹介していることが、政府独自の想定によるものであることは朝日の記事からも明白である。
問題は、その背景は何かということだ。
私は今朝の『所感』で、後だしじゃんけん的に邦人救出に関する日米間の合意を取り付け、その必要性について国民感情に訴え、集団的自衛権の容認に世論を誘導するためだろうと分析した。
その目的は何か。
幾つかの報道でも触れられているように、安倍政権が「邦人救出」にこだわるのは、政権発足直後に起きたアルジェリア邦人人質誘拐事件での教訓があるからだ。この事件で日本側はホスト国の主導権に阻まれ主体的に動くことができなかった。
この時に安倍政権は、国外における邦人保護において自衛隊派遣等で即応できないことを理由に、そうした事態への対処を迅速かつ的確に行うための司令塔として、所謂「日本版NSC」=国家安全保障会議の創設を公約に掲げ、実行した。
つまり、安倍政権は、日本版NSCが機能することを証明するために、法整備が必要なのである。
安倍首相は国会の答弁等で米艦だけでなく他国艦艇も防護する必要があると論点をずらしているが、問題は日本側が主体的に邦人保護を行うことが想定にないことだ。
国際法上、他国の船舶機等は他国の領域として認められるため、公海上であってもその船舶内(或いは当該船舶が指定する領域内)では識別国の法令に準ずることになる。つまり邦人を保護するに当たっては、当該国の了解が必要となる。
こうした状況で他国艦船を防護するために必要と政府が主張している「共同防護」の問題は、単独的自衛権の文脈で解決できる。共同任務中であるという想定なのだから、これを統制する統一交戦規則ROEにより単独的自衛権を行使できるということだ。
つまり、邦人保護のために共同防護を申し出て他国の艦船の了解を貰うのも、共同防護を事前に可能にしておくのも、政府が事前に当該国らと協議して取り極めておけばいいだけの話なのである。
むしろ政府が問題としているのは、防護するために迎撃あるいは攻撃される敵側(敵国)及び国際社会に対する釈明。即ち、対外的釈明だろう。そこで「集団的自衛の権利を行使する」と宣言するがために権利が必要というのならば、これは全く的外れである。
既に共同任務についており単一のROEの統制下にあるのであれば、そのROEで単独的自衛権の行使が許可されていれば行使は正当でありまたその旨を敵側に的確に伝達すれば戦時国際法も守られ国際責任履行も果たせるのである。
要は政府の整理は、共同防護を実現するためには事前に集団的自衛権を行使できる体制が必要であり、そのために権利を容認し、邦人を保護するための法制が必要ということなのだろう。が、法整備は必要かもしれないが、権利の容認は必要ないのである。
政府は、現行法体系の範囲内で、個別的自衛権の範疇でできることを、集団的自衛権を容認したいがためにその全体の法体系を見直す必要があるかのように論点をすり替えている。実際は解釈改憲せずとも法令の改定は可能であるのに。
政府の「邦人救出」論は、国際法理に無知な国民感情に訴え支持を増やし、これを与野党内の反対勢力に対する圧力とするための「造られた議論」である。これを擁護・推進するマスコミは政府のこの目論見に加担しているとみていい。
邦人保護という大義を持ち出せば、国民感情の下で大抵の道理は引っ込む。が、現状でできることをせずに、無秩序に国家の権利を拡大するための道具としてその大義(と国民感情)を利用する安倍政権のやり方は悪辣である。
政府は最終的には縛りのない集団的自衛権により日米間の軍事協力をより円滑にし、共同作戦でそのプレゼンスを示すことで信頼を買い、それを敵性国家に対する抑止力へと転化するつもりなのだろう。
国防のために抑止力強化を図る必要性は理解できる。が、それは日米安保下の現在の総合的抑止力が低下していることを前提にした場合だ。さらに、目的のために詭弁を弄し論理を欠いた説明で国民の重大な関心事を前進させるという姿勢は不誠実である。
安倍政権は、目的の為にはどんな詭弁も弄する。国民感情も政府寄りマスコミと一体となって巧みに利用する。安倍政権の論理を欠いた物量に頼る情報戦術に騙されてはならない。邦人救出は現行法体系でも可能なのだから。
以上、ここまでの長文の精読を感謝します。
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