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2014/06/12

一輪の紫陽花の花が思い出させたこと: 紫陽花革命、再び。


紫陽花革命、再び。


「紫陽花革命はもう過去のもの」「終わっている」という人がいるが、まったく終わっていないと思う。

むしろ継続的に進化し、継続的に広がっていると思う。

その中で、「紫陽花革命」という言葉だけが価値を失ったのかもしれない。

そういう私も、こうして再び言葉を広めようとしているのだが、これはその精神がいまも受け継がれており、全国各地で運動が続いていることを示すための一種の確認作業である。

「紫陽花革命」という言葉は2012年のちょうど今頃、人知れず広まった。

誰が言い始めたのか、その明確な定義もわからないまま、「紫陽花」のイメージとアイディアだけが、ネットとリアルを紡ぎながら人々の心を駆け抜けた。

その「イメージ」が一気に広まったのは、フリージャーナリストの田中龍作さんが撮影したこの一枚の写真がきっかけだったと思う。 




一時期はアイコンにも多くの色とりどりの紫陽花の花が咲いた。

2012年6月28日には、ついに国会に巨大な紫陽花の花が現出した。


 
脱原発社会を求めて訴える数万人の人々が、このようにして国会に巨大な美しい紫陽花の花を咲かせたのだ。


その後、運動の盛り上がりとは裏腹に、時の民主党政権は国内外の原子力勢力の圧力に屈して徐々に脱原発色を薄め、即時原発ゼロを閣議決定する機運は失われた。

そして原発を推進する自公政権の復権により、脱原発の道は絶たれたかに見えた。

が、“革命”の炎は絶えていなかった。それどころか、運動はレジリエンス( しなやかさ)を発揮し、いまや全国規模で各種各様の抵抗運動が展開されるようになった。

まるで紫陽花の花のように、色とりどりの運動が今も展開され続けている。


 
こうした継続的に進化し、広がる運動は最近、一つの大きな成果を残した。大飯原発再稼働に対する、福井地裁のこの人格権の尊重を謳った判決である。


 

経済振興を優先する政府規制当局や原発立地自治体・電力会社からなる原子力村が総力を挙げて原発再稼働を推進するなかで、福井地裁の人格権判決は私たち脱・反原発派に大いなる勇気を与えてくれた。


 
福井地裁判決の他ならない最大の功労者は、その訴えを起こした人々やこれを支えてきた人々である。彼らが「しなやかさ」を発揮し、諦めず、闘いつづけたからこそ、脱・反原発派にとっての歴史的な勝利が導かれた。

紫陽花 hydrangeaは、西洋では「高慢」「冷淡」「移り気」だとか、なにかとネガティブなイメージがつきまとうらしいが、日本では古来から「仲良し」「団結」「家族」など人としての「温かみ」を表すポジティブなイメージが強い(らしい)。
  
脱原発社会を目指す全国各地の運動が「紫陽花革命」という総称を得たのも、やはり血の通った、温かみのある、普通の人たちが関わる「温かみのある運動」だからなのだろう。


他者や家族・愛する者の命を、原発事故の惨禍から、放射線被ばくの恐怖から守ることを至上命題とする全国規模のこの運動は、まさに血の通った、紫陽花のような温かみを持った運動だ。




時に、脱・反原発をよしとしない勢力との間で、熱くなりすぎて「血が滾る」ような状況に陥ることもあるが、人が作り出すムーヴメントというのは得てしてそういうものだろう。

まさに「生きもの」なのだから。


「紫陽花革命」に積極的に参加している人も、参加していない人も、一緒くたにされることに憤慨する人も、思い起こしてほしい。この紫陽花は、運動のシンボルでしかない。

名前は重要ではない。でも精神は生き続け、ますます強くなり、広がっている。

まもなく国は、私たち国民の生命と財産を守る名目で、私たちの暮らしを守ってきた平和憲法の根底を覆す決定を行う。それが、全ての政策に通ずる国の基本姿勢。

私たち脱・反原発派は、人としての温かみのないその姿勢に、しなやかに、温かみを以て抵抗し続けようではないか。

国は、「国土強靭化」と称して、自然災害や人為的な事故による被害に対する「しなやかな」対応ができる国土に改造する計画を打ち出しているが、もっとも「しなやか」なのは、私たちの心だ。

「生きたい」「生きる」「生かす」という強靭な意志が、私たちをそうさせる。

「紫陽花革命」という名前が人々の心から消えても、それが象徴することを願い、望む人々のしなやかな心は失われていない。

同じ人として、そうして頑張り続けている人たちに、エールを贈り続けたいと思う。

今朝、この一輪の未熟な紫陽花が思い出させてくれた。


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