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2012/03/21

脱原発:独ZDFテレビ『フクシマの嘘』書き起こし改訳・校正


ドイツZDF フクシマのうそ 投稿者 sievert311 
@kingo999 さんよる書き起こしテキストの改訳・校正



独ZDFテレビ『フクシマの嘘』登場人物一覧(登場順)
名嘉幸照氏(東北エンタープライズ社長)
菅 直人氏(元首相)
ケイ・スガオカ氏(元GE点検主任)
佐藤栄作久氏(元福島県知事)
河野太郎氏(自民党衆議院議員)
松本純一氏(東電原子力・立地本部長代理)
島村英紀氏(地球物理学者・武蔵野学院大学特任教授)
白井 功氏(東電福島事務所・福島県災害対策本部技術・広報担当)
ナレーター:
我々は放射能から身を守り、警察から外人と見破られないよう防護服を着こんだ。
汚染され、破壊された原発が立っているのは立ち入り禁止区域だ。
そこに連れて行ってくれることになっている男性と落ち合った。
なにが本当にそこで起きているか、彼に見せてもらうためだ。

名嘉幸照(なかゆきてる)氏は原子力分野のエンジニア会社の社長で
もう何十年間も原発サイトに出向いて働いてきた。福島でも、だ。

私たちは見破られることなく、無事チェックポイントを通過した。
作業員たちが作業を終え、原発から戻ってきたところだった。

3月11日に起こったことは、これから日本が遭遇するかもしれぬことの
前兆に過ぎないのかもしれないことが次第にわかってきた。

そしてその危険を理解するには、まず過去を理解する必要がある。

(タイトル) フクシマの嘘
(監督) ヨハネス・ハーノZDF記者

ナレーター:
私たちは立ち入り禁止区域の中、事故の起きた原発から約7キロ離れたところにいる。

名嘉氏はここで生活をし、福島第一と福島第二を股にかけて仕事をしてきた。名嘉氏と彼の部下は、何年も前から原発の安全性における重大な欠陥について注意を喚起してきた。しかし、誰も耳を貸そうとしなかった。

名嘉社長:私の話を聞いてくれた人はほんのわずかな有識者だけで
その人たちの言うことなど誰も本気にしません。
日本には、強い影響力を持つある集団が存在します。
「原子力ムラ」といわれるものです。彼らの哲学は、経済性優先です。
この「原子力ムラ」は東電、政府、そして大学の学者たちからなります。
重要な決定は彼らがすべて下すのです。

ナレーター:
私たちは東京で菅直人と独占インタビューした。
彼は事故当時首相で、第二次世界大戦以来
初の危機に遭遇した日本をリードしなければならなかった。

彼は唖然とするような内容を次々に語った、たとえば
首相の彼にさえ事実を知らせなかったネットワークが存在することを。
マスメディアでは彼に対する嘘がばらまかれ、辞任に追い込まれた。
原子力ムラに対抗しようとしたからである。

菅元首相:最大の問題点は、3月11日が起こるずっと前にしておかなければいけないことがあったのに、何もしなかったことです。原発事故を起こした引き金は津波だったかもしれないが、当然しておくべき対策をしなかったことが問題なのです。この過失は責任者にあります。つまり、必要であったことをしなかった、という責任です。

ナレーター:
では原発事故の原因は地震と津波ではなかったのか?
「原子力ムラ」の足跡を辿っていくと、嘘や仲間意識によって
固められた犯罪的エネルギーに満ちた網の目に遭遇する。

調査は2つの大陸にまたがった。
まずカリフォルニアに飛んだ。
目的地はサン・フランシスコである。

私たちはある男性と話を聞く約束をしていた。
彼は長年原子炉のメンテナンスの仕事で
福島にも何度も来ており
かなり深刻なミスや事故を東電が隠蔽する現場に遭遇した。

福島の第1号原子炉は70年代初めに
アメリカのジェネラルエレクトリック社が建設し
それ以来アメリカのエンジニアが点検を行ってきた。
そして福島原発には何度も問題があった。

ハーノ記者:東電は、点検後、あなたに何を求めたのですか?

スガオカ氏:亀裂を発見した後、彼らが私に言いたかったことは単純です。
つまり「黙れ」ですよ。「何も話すな、黙ってろ」というわけです。

ナレーター:
問題があるなど許されない
日本の原発に問題など想定されていない
アメリカのエンジニア、ケイ・スガオカ氏も
それを変えようとすることは許されなかった。

スガオカ氏:1989年のことです、蒸気乾燥機についてビデオ点検をしていて
そこで今まで見たこともないほど大きい亀裂を発見しました。

ナレーター:
スガオカ氏と同僚が発見したのは、それだけではない。

スガオカ氏:原子炉を点検している同僚の目がみるみる大きくなったと思うと、彼がこう言いました。「蒸気乾燥機の向きが正反対に取り付けられているぞ」と。

ナレーター:
もともとこの原発の中心部材には重大な欠陥があったのだ。
スガオカ氏は点検の主任だったので
正しく点検を行い処理をする責任があったのだが
東電は、彼の報告が気に入らなかった。

スガオカ氏:私たちは点検で亀裂を発見しましたが、東電は
私たちにビデオのその部分を消すよう注文しました。
報告書も書くな、と言うのです。
私はサインしかさせてもらえませんでした。
私が報告書を書けば、180度反対に付けられている蒸気乾燥機のことも
報告するに決まっていると知っていたからです。

ハーノ記者:では、彼らは嘘の文書を書くよう求めたわけですか?

スガオカ氏:そうです、文書の改ざんを要求されたのです。

ナレーター:
スガオカ氏は仕事を失うのを怖れて、10年間黙秘した。
GE社に解雇されて初めて彼は沈黙を破り
日本の担当官庁に告発した。
ところが不思議なことに、告発後何年間もなにも起こらなかった。
日本の原発監督官庁はそれをもみ消そうとしたのだ。

2001年になってやっと、スガオカ氏は「同志」を見つけた。
それも日本の福島で、である。

18年間福島県知事を務めた佐藤栄佐久氏は
当時日本の与党だった保守的な自民党所属だ。
佐藤氏は古典的政治家で
皇太子夫妻の旅に随行したこともある。

始めは彼も、原発は住民になんの危険ももたらさないと確信していた。
だがその信頼は徐々になくなっていった。

佐藤元知事:福島県の原発で働く情報提供者から約20通ファックスが届き
その中にはスガオカ氏の告発も入っていました。
経産省は、その内部告発の内容を確かめずに
これら密告者の名を東電に明かしました。
そこからわかったことは、私も初めは信じられませんでした。
東電は、報告書を改ざんしていたというのです。
それで私は新聞に記事を寄せました。
「こんなことでは、この先必ず大事故が起きる」と。

ナレーター:
それでやっと官僚たちもなにもしないわけにはいかなくなり
17基の原発が一時停止に追い込まれた。
調査委員会は、東電が何十年も前から重大な事故を隠蔽し
安全点検報告でデータを改竄してきたことを明らかにした。
それどころか、福島では30年も臨界事故を隠してきたという。

社長・幹部は辞任に追い込まれ、社員は懲戒を受けたが
皆新しいポストをもらい、誰も起訴されなかった。

最も責任のあった勝俣恒久氏は代表取締役に任命された。

彼らは佐藤氏に報告書の改竄に対し謝罪したが
佐藤氏は安心できず、原発が次々に建設されることを懸念した。

そこで佐藤氏は日本の原発政策の中での
「暗黙のルール」を犯してしまった。

その報復は2004年に始まった。

佐藤元知事:12月に不正な土地取引の疑いがあるという記事が新聞に載りました。
この記事を書いたのは本来は原発政策担当の記者でした。
この疑惑は、完全にでっち上げでした。弟が逮捕され、首相官邸担当の検察官が一時的に福島に送られて検事を務めていた森本という名の検事が「遅かれ早かれ、お前の兄の知事を抹殺してやる」と弟に言ったそうです。
事態は更に進み、県庁で働く200人の職員に圧力がかかり始めました。
少し私の悪口を言うだけでいいから、と。
中には2、3人、圧力に耐え切れずに自殺をする者さえ出ました。
私の下で働いていたある部長は、いまだ意識不明のままです。

ナレーター:
それで、同僚や友人を守るため、佐藤氏は辞任した。
裁判で彼の無罪は確定されるが
沈黙を破ろうとした「邪魔者」はこうして消された。

これが、日本の社会を牛耳る巨大な集団の報復だった。
彼らこそが、日本で「原子力ムラ」と呼ばれる集団である。

菅元首相:ここ10~20年の間、ことに原子力の危険を訴える人間に対する
あらゆる形での圧力が非常に増えています。
大学の研究者が原発には危険が伴うなどとでも言おうものなら
出世のチャンスは絶対に回ってきません。
政治家はあらゆる援助を電力会社などから受けています。
しかし、彼らが原発の危険性などを問題にすれば、
そうした援助はすぐに受けられなくなります。
反対に、原発を推進すれば、多額の献金が入り込みます。
それは文化に関しても同じで、スポーツやマスコミも含みます。
このように細かく網の目が張りめぐらされていて、
原発に対する批判がまったくなされない環境が作り上げられてしまいました。
ですから原子力ムラというのは決してc限られた世界のことではなく
国全体にはびこる問題なのです。
誰もが、この原子力ムラに閉じ込められているのです。

ナレーター:
東電から献金を受け取っている
100人以上の議員に菅首相は立ち向かった。
その中には元首相もいる。やはり彼と同じ政党所属だ。

ネットワークは思う以上に大きい。

多くの官僚は定年退職すると、電事業関連の会社に再就職する。
1962年以来東電の副社長のポストは
原発の監査を行うエネルギー庁のトップ官僚の指定席だ。
これを日本では「天下り」と呼んでいる。

しかし反対の例もある。

東電副社長だった加納時男氏は当時与党だった自民党に入党し
12年間、日本のエネルギー政策を担当し
それからまた東電に戻った。

このネットワークについて衆議院議員の河野太郎氏と話した。

河野氏の家族は代々政治家で、彼の父も外相を務めた。
彼は、第二次世界大戦後日本を約60年間に渡り
支配した自民党に所属している。
原発をあれだけ政策として推進してきたのは自民党である。

河野議員:誰も、日本で原発事故など起こるはずがない、と言い続けてきました。
だから、万が一のことがあったらどうすべきか、という準備も
一切してこなかったのです。
それだけでなく、原発を立地する地方の行政にも
危険に対する情報をなにひとつ与えてこなかった。
いつでも、「お前たちはなにも心配しなくていい」
「万が一のことなど起こるはずがないのだから」と。
彼らはずっとこの幻想をばらまき事実を歪曲してきた
そして今やっと、すべて嘘だったことを認めざるを得なくなったのです。

ナレーター:
2011年3月11日、この空気が崩壊した。
日本がこれまでに遭遇したことのない大惨事が起きたからだ。
14時46分、日本をこれまで最大規模の地震が襲った。
マグニチュード9だった。

しかし、地震は太平洋沖で始まったその後の
恐怖の引き金に過ぎなかった。

時速数百キロという激しい波が津波となって
日本の東部沿岸を襲った。
津波は場所によっては高さ30メートルを超え
町や村をのみこみ消滅させてしまった。
約2万人の人がこの津波で命を失った。

そして福島第一にも津波が押し寄せた。
ここの防波堤は6メートルしかなかった。
津波の警告を本気にせず
処置を取らなかった東電や原発を監査する当局は
警告を無視しただけでなく、立地場所すら変更していたのだ。

菅元首相:もともとは、原発は35mの高さに建てられる予定でした。
しかし標高10mの位置で掘削整地し
そこに原発を建設したのです、低いところの方が
冷却に必要な海水をくみ上げやすいという理由で。
東電がはっきり、この方が「経済的に効率が高い」と書いています。

ナレーター:
巨大な津波が、地震で損傷を受けた福島第一を完全にノックアウトした。
まず電源が切れ、それから非常用発電機が津波で流されてしまった。
あまりに低い場所に置いてあったからである。
電気がなければ原子炉冷却はできない。

菅元首相:法律ではどの原発もオフサイトセンター(非常用電源センター)を用意することが義務付けられています。福島第一ではこのオフサイトセンターが原発から5キロ離れたところにあります。これは津波の後、1分と機能しなかった。それは職員が地震があったために、そこにすぐたどりつけなかったからです。それで電源は失われたままでした。
こうして送電に必要な器具はすべて作動しませんでした。つまりオフサイトセンターは、本当の非常時になんの機能も果たさなかったということです。法律では原発事故と地震が同時に起こるということすら想定していなかったのです。

ナレーター:
当時、菅首相は、原発で起こりつつある
非常事態について、ほとんど情報を得ていなかった。
首相である彼は、テレビの報道で初めて、
福島第一で爆発があったことを知ることになる。

菅元首相:東電からは、その事故の報道があって1時間以上経っても
なにが原因でどういう爆発があったのかという説明が一切なかった。
あの状況では確かに詳しく究明することは難しかったのかもしれないが
それでも東電は状況を判断し、それを説明しなければいけなかったはずです。
しかし、彼らは十分にその努力を行わなかった。

ナレーター:
2011年3月15日、災害から4日経ってもまだ
東電と保安院は事故の危険を過小評価し続けていた。
しかし東電は菅首相に内密で会い、
職員を福島第一から撤退させてもいいか打診した。
今撤退させなければ、全員死ぬことになる、というのだ。

菅元首相:それで私はまず東電の社長に来てもらい「撤退はぜったい認められない」と伝えた。
誰もいなくなればメルトダウンが起き、膨大な量の放射能が大気に出てしまう。
そうなれば広大な土地が住めない状態になってしまうからです。

ナレーター:
当時、菅首相は初めから東電を信用できず
自分の目で確かめるためヘリコプターで視察した。
しかし首相である彼にも当時伝えられていなかったことは
福島の3つの原子炉ですでにメルトダウンが起きていたということだ。
それも災害の起きた3月11日の夜にすでに。

菅元首相:東電の報告にも、東電を監査していた保安院の報告にも、燃料棒が損傷しているとか、メルトダウンに至ったなどということは一言も書かれていなかった。3月15日には、そのような状況には「まだ至っていない」という報告が上がっていました。

ナレーター:
事故からほぼ1年が経った東京。

世界中であらゆる専門家が予想していたメルトダウンの事実を
東電が認めるまでなぜ2か月も要したのか、私たちは聞こうと思った。
自然災害が起きてからすぐにこの原発の大事故は起きていたのである。

ハーノ記者:「原子炉1号機、2号機そして3号機でメルトダウンになったことを、東電はいつ知ったのですか」

東電・松本氏:「私どもは目で見るわけにはいきませんが、上がってきましたデータをもとに自体を推定し、燃料棒が溶けおそらく圧力容器の底に溜まっているだろうという認識に達したのは5月の初めでした。」

ナレーター:
膨大なデータに身を隠そうとする態度は今日も変わらない。
東電は、毎日行う記者会見でこれらのデータを見せながら、事態を完全に掌握していると言い続けている。
しかしこれらのデータの中には、本当に責任者たちは
なにをしているのかわかっているか、疑いたくなるような情報がある。

たとえばスポークスマンはついでのことのように
放射能で汚染された冷却水が「消えてしまった」と説明した。 
理由は、原発施設ではびこる雑草でホースが穴だらけになっているという。

ハーノ記者:「放射能で汚染された水を運ぶホースが、雑草で穴が開くような材料でできているというのですか?」

東電・松本氏:「草地に配管するのは私たちも初めてのことですが、穴があくなどのことについては知見が不十分だったと思っています。」

ナレーター:
しかし原発の廃墟をさらに危険にしているのは雑草だけではない。
私たちは富岡町に向かった。ゴーストタウンだ。

原発廃墟の福島第一から7キロのところにある。

私たちは名嘉氏に便乗した。

彼のような住民は、個人的なものをとりに行くためだけに
短時間だけ帰ることが許されている。

彼は、地震に見舞われた状態のまま放り出された会社を見せてくれた。
今では放射能のため、ここに暮らすことはできない。

名嘉社長:この木造の建物はとても快適でした。
とても静かで、夏は涼しく、冬は暖かかった。
私たちは皆ここで幸せに暮らしていました。

ナレーター:
80人の原発専門のエンジニアが彼のもとで働いており
災害直後も、事故をできるだけ早く収束しようと努力している。
名嘉氏と彼の社員は、原発廃墟で今本当になにが起きているのか知っている。

名嘉社長:私たちの最大の不安は、近い将来、廃墟の原発で働いてくれる専門家がいなくなってしまうことです。あそこで働く者は誰でも、大量の放射能を浴びています。
どこから充分な数の専門家を集めればいいか、わかりません。

ナレーター:
しかし、まだ被爆していない原発の専門家を集めなければ
事故を収束するのは不可能だ。

例えこれから40年間、充分な専門家を集められたとしても
日本も世界も変えてしまうことになるかもしれない一つの問題が残る

ハーノ記者:いま原発は安全なのですか?

名嘉社長:そう東電と政府は言っていますが、働いている職員はそんなことは思っていません。とても危険な状態です。私が一番心配しているのは4号機です。
この建屋は地震でかなり損傷しているだけでなく、この4階にある使用済み燃料プールには、約1300の使用済み燃料が冷却されています。その上の階には新しい燃料棒が保管されていて、非常に重い機械類が置いてあります。なにもかもとても重いのです。もう一度大地震が来れば、建屋は崩壊してしまうはずです。
そういうことになれば、また新たな臨界が起こるでしょう。

ナレーター:
このような臨界が青空の下で起これば
日本にとって致命的なものとなるだろう。
放射能はすぐに致死量に達し、原発サイトで働くことは不可能となる。
そうすれば高い確率で
第1、2、3、 5、 6号機もすべてが抑制できなくなり
まさにこの世の終わりとなってしまうだろう。

東京で著名な地震学者の島村英紀氏に会った。

2月に東大地震研が地震予知を発表したが
それによれば75%の確率で4年以内に
首都を直下型地震が襲うと予測されている。

ハーノ記者:このような地震があった場合に原発が壊滅する
確率はどのくらいだとお考えですか?

島村教授:はい、とても確率は高いです。 

ハーノ記者:どうしてですか?

島村教授:計測している地震揺れ速度が、これまでの予測よりずっと速まってきています。
私たちはここ数年、1000以上の特別測定器を配置して調査してきましたが
それで想像以上に地震波が強まり、速度も増していることがわかったのです。

ナレーター:
これは日本の建築物にとって大変な意味を持つだけでなく
原発にとっても重大な問題となることを島村氏は説明する。

島村教授:これが原発の設計計算です。
将来加速度300~450ガルの地震が来ることを想定しています。
そして高確率で発生しないだろう地震として600ガルまでを想定していますが
この大きさに耐えられる設計は原子炉の格納容器だけで
原発のほかの構造はそれだけの耐震設計がなされていないのです。
しかし私たちの調査では、最近の地震の加速度がなんと
4000ガルまで達したことがわかっています。
想定されている値よりずっと高いのです。

ハーノ記者:電気会社は、それを知って増強をしなかったのですか?

島村教授:今のところ何もしていません、不十分であることは確かです。
これだけの地震に耐えられるだけの設計をしようなどというのは
ほとんど不可能でしょう。

ナレーター:
ここは原発廃墟から60キロ離れた場所。
福島県災害対策本部では東電、保安院、福島県庁が共同で
日々、原発の地獄の炎を冷却する闘いに当たっている。

私たちは東電の災害対策部責任者にインタビューした。
とくに彼に訊きたいのは、「どうやって今後
これだけ損傷している原発を大地震から守るつもりなのか」ということだ。

とくに危険視されている4号機について訊いた。

東電・白井氏:4号機の使用済み燃料プールにはおびただしい量の使用済み燃料が入っています。これをすべて安全に保つためには、燃料プールの増強が必要です。
燃料プールのある階の真下に、新しい梁をつけました。

ハーノ記者:原発はほとんど破壊されたといってもいいわけですが
原発が健在だった1年前ですら大地震に耐えられなかった構造で
どうやって次の地震に備えられるのでしょうか?

東電・白井氏:我々は耐震調査を4号機に限らず全体で行いました。
その結果、問題ないという判断が出ています。

ハーノ記者:でも地震学者たちは4000ガルまでの地震加速度が測定されていて
これだけの地震に耐えられるだけの原発構造はないと言っています。
半壊状態の福島の原発の真下でそのような地震が来ても
全壊することはないと、なぜ確信がもてるのですか?

東電・白井氏:その4000ガルという計算は別の調査ではないでしょうか
それに関しては、私は何とも言いかねます。

ハーノ記者:原発を日本で稼動させるだけの心構えが、東電にはあるとお考えですか?

(約20秒後)

東電・白井氏:それは答えるのが難しいですね。

名嘉社長:これが、やってきたことの結果です。
この結果を、人類はちゃんと知るべきだと思います。
一緒に未来の政策をつくっていくことができるように




関連報道(NHK):


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2012/03/11

祈念コラム:日本に原発を管理する資格はない



「原発事故は防げた」という内部告発の正当性

Japan’s nuclear regulators and the plant’s operator, Tokyo Electric Power, or Tepco, have said that the magnitude 9.0 earthquake and 45-foot tsunami on March 11 that knocked out cooling systems at the Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant were far larger than anything that scientists had predicted. That conclusion has allowed the company to argue that it is not responsible for the triple meltdown, which forced the evacuation of about 90,000 people.

(要約)東京電力は、震度7を超える巨大地震や13メートルを超える巨大津波は東北大震災は科学者達が予測したどれよりも規模が大きかったので、約9万人の人々の避難を余儀なくさせた3度に渡るメルトダウンは同社の責任ではないと主張している。

But some insiders from Japan’s tightly knit nuclear industry have stepped forward to say that Tepco and regulators had for years ignored warnings of the possibility of a larger-than-expected tsunami in northeastern Japan, and thus failed to take adequate countermeasures, such as raising wave walls or placing backup generators on higher ground.

(要約)ところが、東電や(原子力保安院等の)規制当局が、東北地方で予想外の巨大津波が発生する可能性を示唆する幾つもの警告を長年に渡って無視し続けていたからこそ、より高い防波堤の設置や高地に発電機を置くなどの適切な対策が取れなかったという非難の声が、堅固に癒着した原子力産業の中からも漏れはじめた。

震災等による全電源喪失は「想定外」ではない

地震や津波の「規模」は想定外であっても、地震そのものは想定外ではない。その「規模」が問題なのではなく、地震立国であるなかであらゆる地震に対する対策を講じなかったことが問題なのである。とくに、全交流電源喪失といういわゆるシビアアクシデント(過酷事故)は、20年前の1980年代には「基本中の基本」の概念だったのだ。スイス原子力会議の現役の副議長が、9日の番組でそう述べている。

NHKの取材に答えるペロー副議長

1989年 アメリカ
この認識の下、アメリカでは原子力規制委員会(NRC)提言を発し、地震の殆ど無い東部に展開している福島第一原発と同型機のマークⅠを配置する米原発にベントの導入を勧告した。導入は義務化されず、自主的な導入を促すに留まった。これに呼応して

1992年 日本
日本でも原子力安全委員会が同様の勧告を発行して、自主的な電動ベントの導入を促した。アメリカでは、「これは日本には適用できない」と認識されているにも関らずだ。

日本の規制当局は、地震立国である前提がありながら、独自の適切なリスク評価を行わずに立地環境のまるで違うアメリカの方針を模倣したのである。そればかりか、過酷事故が起きる可能性について完全に否定し、備えを怠ることの予防線を張っていたことを示す記録すらある。

「シビアアクシデントは現実に起こるとは考えられないほど発生の可能性は十分に小さいものとなっており、原子炉施設のリスクは十分低くなっている」(92年の原子力安全委員会の決定)

同時期 スイス
一方で、同型機マークⅠが配置されているミューレンベルク原発を抱え、昨年末に脱原発を表明したスイス手動式ベント多重構造の自立式緊急冷却システムと2系統の緊急電源システムを装備。全交流電源喪失に備えマニュアルのない抜き打ち訓練も行って安全対策を何重にも多重化してきた実績を持つ。さらに、ミューレンベルグ原発では放射性物質の放出量を抑えるために薬品フィルターを実装し、放出される放射能を1000分の1にまで減らす努力をしている。

9-11後にシフトするアメリカの安全対策

2000年9月
同時多発テロを受け、アメリカは原発の安全策の変更を余儀なくされる。アラバマ州のブラウンズフェリー原発では、テロ等の不可測事態による全交流電源喪失に備え、非常用電源カートが常備されるようになる。この非常用電源により、最高8時間の電力供給が可能となる。同原発の作業員曰く、外部電源が全て失われた場合の「予備の予備の予備」の備えである。

1995年にオウム真理教による地下鉄サリン事件を経験した日本は、事件の直後は言うに及ばず、9-11以降もこうした対策を怠っていたことになる。最早、地震立国である以前の危機意識の問題である。
福島原発事故後の各国の対応

2011年3月11日、一年前の今日起こった福島原発事故を受けて、世界各国は現状の改善を対応を検討した。

2011年7月 アメリカ
オバマ大統領は震災の起きた同月、原発推進を改めて宣言した。だが同時に、NRCの下に福島原発事故を検証する特別作業チームを編成し、報告をまとめさせた。この報告の中で作業チームは、以下を提言した。
この報告を提出した約2週間後、NRCは特別な説明会を開催して作業チームに提言の説明を求めた。
そこでは、次のようなやりとりが行われたが、NRCの委員らには最終的な理解は得られなかった。
委員側:提言は新たな法律を作って規制を強化するという意味なのか。
チーム:法律の整備や規制の基準作りこそNRCの重要な役割だと考える。
委員側:それ以外の方法はないのか。たとえば通達とか。
チーム:そうして自主的に任せるやり方ではなく法律による規制が必要だと考える。
同委員会のヤッコ委員長は、「提言はNRCの主体的な行動が重要であり、業界の自主努力には限界があると強調している。特別チームは、福島後の世界で原発の安全対策に何が必要かを明確に示している」と述べ、唯一理解を示したのだが、多勢に無勢で力及ばず提言はNRCの方針として採用されなかった。

2011年9月 アメリカ
原発推進を決定したアメリカは34年ぶりに原発の増設を検討する。ジョージア州のヴォーグル原発だ。NRCは、東芝の完全子会社のウェスティングハウスが2基建造予定の次世代型軽水炉AP-1000の建造を許可するかどうかについて、検討会議を開いた。即日投票が行われ4対1(NRC委員会は5人制)で建造は許可された。この時、唯一反対票を投じたヤッコ委員長はその反対理由を次のように述べた。

「福島の教訓から学ぼうと様々な安全対策の強化が提言されている。やるべきことがたくさんあるのである。まるで福島がなかったかのように建設を許可することは私にはできない」(改訳)

規制側の中でも主張のせめぎあいがあるアメリカとは対照的に、スイスでは安全策の強化が進められただけでなく、遂に国策として脱原発を掲げるに至った。

2011年3月 スイス
前出のミューレベルク原発では、福島原発事故で必要な物資や設備の輸送に時間がかかったことから、軍の大型倉庫を借用して非常用備蓄倉庫として使用。いざというときにヘリで緊急輸送できるよう非常用電源ケーブル、移動式発電機、防護服、ホース、移動式ポンプなどを常備するようになった。それでも今年3月、スイスの連邦行政裁判所は「耐震性などに問題がある」として同原発に運転停止を命令。福島第一と同型の原発4基を抱えるスイスでの反原発運動は福島事故を受けてますます高まった。

2011年5月 スイス
スイスのIAEA代表は閣僚級会合で2034年までに国内全ての原発を廃止することを宣言。それが、安全対策を何重にしてもリスクが残る中で、そのリスクを許容できるのかを検討したスイスの出した答えだった。狭い国土で万が一福島と同じような事故が起これば、国家の存亡に関るとして、脱原発を世界に先駆けて公言した。

その時の言葉は、日本人がいま政府から一番聴きたい言葉だろう。


※以上の詳細はTogetterにもまとめてある。

結論:この国に原発を管理する資格はない

仮に能のない政策模倣を行うにしても、地震の少ないアメリカ式ではなく、あらゆる事態を想定して多重化したスイス式を選ぶべきだった。その程度の想像力と管理意識、危機意識(危機管理意識とは別)しかないこの国の管理当局にもはや原発管理は任せられない。
何にも増して歯痒いのは、福島原発事故を教訓に安全対策の見直しが実施されスイスでは確かな安全対策の見直しが行われ実践されているというのに、当の日本が未だに事故調報告止まりで何ら具体的策を実施せずに言った言わないの責任転嫁合戦を繰り広げていることだ。管理当事者であるにもかかわらず!

そんな日本の原発規制当局に次の言葉を今日、この日にかみ締めてもらいたい。
前出のスイス原子力会議のペロー副議長のものだ。

常に立ち止まらず改善する努力を続けていても、「完璧」とは言えない。
原発の安全性を高めるには常に、「本当に安全であるか」を考え続けれなければならない。
原発を運営するということは、それだけ重い責任が伴うということなのである。(改訳)
まさに至言である。

脱原発社会の実現を祈念して
2012年3月11日



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