はじめに
下記、環太平洋経済協定(TPP)の条約交渉の進捗に関する2013年3月13日付けの米国通商代表部(USTR)の表明(以下、USTR313)について、Independent Web Journal(IWJ)は同3月15日付けで下記の独自翻訳(以下、IWJ315)を行った。
IWJは3月20付けのフォロー記事(以下、IWJ320)において、「『customs』は『税関』を意味する用語であり、『関税』は『tariffs』であり、誤訳ではないか」という指摘があったが、USTRに対して直接取材を行った結果、「声明に用いられた「customs」の語は、「関税」と翻訳するのが妥当であると考えられ」また「USTRがなにがしか特定の意味に限定していない以上、「関税」という訳を「誤訳である」と断言することはできない」と結論付けている。
IWJは3月20付けのフォロー記事(以下、IWJ320)において、「『customs』は『税関』を意味する用語であり、『関税』は『tariffs』であり、誤訳ではないか」という指摘があったが、USTRに対して直接取材を行った結果、「声明に用いられた「customs」の語は、「関税」と翻訳するのが妥当であると考えられ」また「USTRがなにがしか特定の意味に限定していない以上、「関税」という訳を「誤訳である」と断言することはできない」と結論付けている。
この直接取材から導かれる結論には、3つの誤認(ミス)が包含されている。
IWJの3つの誤認
- 公式用語・定義からの乖離:TPP交渉の交渉ホスト国である米国のUSTRは、Web上に公開されている同交渉に関する基本文書(『TPPの輪郭(Outlines of the Trans-Pacific Partnership Agreement)』において、交渉で使用される公式用語及び定義(いわゆるリーガルテキスト=法文)を定めている。その中で"customs"についての定義は以下のように定められている(※1)。曰く、(A)「TPP交渉の各国担当者は、"customs"に関する文書に含まれる主要な要素について、また予測可能で透明性があり、貿易を迅速化及び促進することでTPP関連企業の域内での生産やサプライチェーン構築に寄与する税関手続き(customs procedures)に関するその根本的な重要性について合意した。」とある。さらに、(B)「この文書により、加盟各国の税関当局が税関法及び規則(customs laws and regulations)を厳格に執行でき、かつ、税関(customs control)からの商品の解放が可能なかぎり迅速に行われる環境を確保される」とあり、(C)「TPP交渉の参加国は、合意内容、並びにその他税関(other customs matters)に関連する事項の有効な実施と運用を確保するため、[税関]当局間(between authorities)の緊密な協力の必要性について合意した」とある。このことから、TPP交渉において使用される"customs"という用語は、主に「税関」「税関手続き」「税関協力」などを差すことがわかる。IWJ320検証では、このことが念頭に置かれていない。
- 公式グループ名に対する認識の齟齬:IWJ315の独自翻訳では、交渉グループ名を「関税(customs)」としており、以降の文章においても「関税」を使い続けている。ところが、前項1のリーガルテキストの定義に伴い、グループ名にも公式な名称がある。これは、2010年6月17日付けのUSTR発行『TPP NEWS』(以下、USTR617)の内容からわかる(※2)。USTR313で「"customs"に関するグループ」とされているのは、"Customs Cooperation Group"(税関協力グループ)である。したがって、2010年以降、税関に関する協議を行ってきたのはこのグループであり、2013年3月をもって、このグループは3年間に及ぶ協議を終えたというのが正しい理解となる。USTR617にも登場するこの「税関協力」という用語は、これまで日豪二国間協定においても使用されたことがある。通商協定の枠組みの中で、「税関協力」は”一般的に”使用される言葉なのである。したがって、IWJ315の独自翻訳においても、本来グループ名は原文では"customs"と略記されていても、翻訳では”税関”あるいは"税関協力”とすべきだったのである。
- 直接取材内容の理解不足:IWJ320において、IWJは米国政府(USTR関係者)に直接取材したことにより、「(TPP交渉において)『customs duties』と『tariffs』という用語は同じ意味で、置き換え可能です。声明文の中の『customs』は一般的な意味で使われています」との回答を得たことを検証成立の根拠としている。この中で、文章全般の「customs dutiesとtariffs」についての部分は"customs duties(通関税)"である場合は、tariffs(関税)と同義であるという意味である。一方、後半の「声明文の中での"customs"は」というくだりにある"一般的な意味"というのは、これもあくまで”TPP交渉の中での一般的な意味”という含意がある。すなわち、前項2で説明したように、ここでUSTRがいう"一般的な意味"とは、この場合リーガルテキスト(法文)上の一般な意味であり、「税関」「税関手続き」あるいはグループ名でもある「税関協力」を意味するのである。おそらくUSTRは、「TPP問題を追うジャーナリストならリーガルテキストのことくらいは承知しているだろう。だから、TPP交渉で“一般的に使われる意味”は理解している筈だ」という認識のもとに「一般的な意味」という表現を使ったのだろう。そのことを読み解けなかったIWJ側の理解不足であり、ミスである。
※1 協定基本文書『TPPの輪郭』におけるリーガルテキストの説明
(A)Customs. TPP negotiators have reached agreement on key elements of the customs text as well as on the fundamental importance of establishing customs procedures that are predictable, transparent and that expedite and facilitate trade, which will help link TPP firms into regional production and supply chains. (B)The text will ensure that goods are released from customs control as quickly as possible, while preserving the ability of customs authorities to strictly enforce customs laws and regulations. (C)TPP countries also have agreed on the importance of close cooperation between authorities to ensure the effective implementation and operation of the agreement as well as other customs matters.
※2 USTR617における交渉グループ名の表記箇所
Several working groups from the eight TPP partner countries – Australia, Brunei Darussalam, Chile, New Zealand, Peru, Singapore, the United States, and Vietnam – began negotiations today on various issue areas, while others continued their talks. Groups continuing or beginning negotiating sessions were:
• Lead Negotiators
• Capacity Building
• Cross-Border Services
• Customs Cooperation
改訳
以上の3点を踏まえ、下記USTR313(原文)をIWJ0315(翻訳)を元に改訳したものが、下記のBALÉS324(改訳)である。
U.S. Chief Negotiator and Assistant U.S. Trade Representative Barbara Weisel reports that building on the consensus the TPP countries have already achieved on a significant number of the issues under negotiation, during this round the 11 delegations intensified their drive to find mutually-acceptable paths forward on the remaining issues in the legal texts of the agreement. As a result of active intersessional engagement, and the pragmatism and flexibility shown by all countries during this round, the delegations succeeded in finding solutions to many issues in a wide range of areas such as customs, telecommunications, investment, services, technical barriers to trade, sanitary and phytosanitary measures, intellectual property, regulatory coherence, development, and other issues. With this progress, some negotiating groups, including customs, telecommunications, regulatory coherence, and development will not meet again to discuss the legal texts in future rounds and any remaining work in these areas will be taken up in late-stage rounds as the agreement is finalized. This will allow the TPP countries to concentrate their efforts on resolving the most challenging issues that remain, including related to intellectual property, competition, and environment.
The 11 countries also made progress during this round in continuing to develop the comprehensive packages that will provide market access for goods, services and investment, and government procurement. Productive exchanges occurred on tariff packages on industrial goods, agriculture, and textiles, as well as on rules of origin and how best to promote the development of regional supply chains in order to benefit companies based in the United States and the other TPP countries. In addition, negotiators discussed each country’s proposals to open services and investment and government procurement markets. The 11 countries agreed on additional intersessional work to build on market access advances made since the last round, to continue movement toward outcomes consistent with the high level of ambition that Leaders agreed to seek.
IWJ315(翻訳)
アメリカの主席交渉官でUSTR代表補のバーバラ・ワイゼルは、TPP参加国がこれまで達成した非常に多くの交渉問題に関する意見の一致に基づき、本会合において11か国の代表は、残存する問題について相互受け入れ可能な道筋を見つけ、合意の法文化を進める動きを進展させた。活発な会期間の折衝や、会合における全参加国が見せた実用主義や柔軟性の結果、関税、通信、投資、サービス、貿易における技術的障害、衛生や植物検疫の手法、知的財産、規制の統一、開発やその他の問題など、多岐に渡る領域において、多くの問題に対する解決を見出すことに成功した。この進展をもって、関税(customs)、通信(telecommunications)、規制の統一(regulatory coherence)、開発(development)を含むいくつかの交渉グループは、今後の会合で法的文書に関して再度集まっての議論は行われず、これらの分野において残った課題は、合意がファイナルとなる最終ステージの会合で取り上げられる予定である。このことにより、TPP参加国は、知的財産権、(公的機関の)競争、環境といった、残った最も難しい問題の解決に努力を集中させることができる。
11か国はまた、本会合において、商品やサービス、投資、政府調達のための市場アクセスを提供する包括提案を継続して進めることにおいても進捗を見せた。産業製品、農業、繊維製品の関税一括法案に加え、原産地規則、そしていかにアメリカや他のTPP参加国の企業にとって有益となるための地域的なサプライチェーンの発展を最大限促すかということについて、生産的な意見交換が行われた。また、交渉担当者は、サービス、投資、政府調達の市場を開くための各国の提案を議論した。11か国は前回の会合から進展した市場アクセスに基づいて、会期間のさらなる課題についても合意に至り、各国首脳が目指す高いレベルの志にふさわしい結果に向けての動きを続けた。
11か国はまた、本会合において、物品、サービス、投資、政府調達のための市場アクセスを提供する包括的なパッケージの提案の継続においても進捗を見せた。工業製品、農業製品及び繊維製品に関する関税パッケージに関する議論だけでなく、原産地規則や、米国及びその他のTPP参加国に有益な地域的サプライチェーンの発展を最大限に促す方法等について、建設的な意見交換が行われた。また交渉担当者らは、サービス、投資、政府調達の市場を開放するにあたって提示された各国の提案について議論を行った。11か国は、前回会合で達成した市場アクセスに関する議論の進展に基づき、各国首脳が求める高水準の目標達成に相応しい方向性において会期間中に行うべき追加の作業についても合意に至った。
BALÉS324(改訳)
米国主席交渉官で米国通商代表補佐官であるバーバラ・ワイゼルは、これまで多くの交渉課題についてTPP交渉参加国が到達したコンセンサスに基づき、法文策定プロセスにおける残存する問題について、本会合において11か国の代表が相互に受け入れが可能な道筋に向け事態を進展させたと報告する。会期間の活発な折衝や、本会合において全参加国が示した実務志向と柔軟性により、税関協力、通信、投資、サービス、貿易における技術的障害、衛生及び植物検疫手法、知的財産、規制の整合、開発その他を含む多岐に渡る課題について、解決を見ることができた。この進展をもって、税関協力(customs)、通信(telecommunications)、規制の整合性(regulatory coherence)、開発(development)分野を含むいくつかの交渉グループは、今後の会合において法文策定に関する協議を行わず、これらの分野で残った課題については、合意の最終段階に至る交渉ステージにおいて取り上げられることとなる。これにより、TPP参加国は知的財産(intellectual property)、[政府調達における] 競争(competition)、環境(environment)等を含む、最も困難な課題の解決に専念することが可能となる。11か国はまた、本会合において、物品、サービス、投資、政府調達のための市場アクセスを提供する包括的なパッケージの提案の継続においても進捗を見せた。工業製品、農業製品及び繊維製品に関する関税パッケージに関する議論だけでなく、原産地規則や、米国及びその他のTPP参加国に有益な地域的サプライチェーンの発展を最大限に促す方法等について、建設的な意見交換が行われた。また交渉担当者らは、サービス、投資、政府調達の市場を開放するにあたって提示された各国の提案について議論を行った。11か国は、前回会合で達成した市場アクセスに関する議論の進展に基づき、各国首脳が求める高水準の目標達成に相応しい方向性において会期間中に行うべき追加の作業についても合意に至った。
補足:外務省の「税関」の表記について
- "customs"を「税関」と訳している。
- 用語の登場順序が変えられている。
この一連の指摘について、(1)は上記に詳述した通りである。(2)については、これは上記に詳述した理由に基づいて"customs"が「税関」「税関手続き」あるいは「税関協力」であると理解すれば、日本政府にとって、交渉グループのテーマの一つでもある「税関協力」はさして重要な課題ではないことがその掲載順序に示されていると解釈できる。逆に、日本政府にとっては、これまで行われた議論において、最も重要視しているのが「規制制度間の整合性」であることが暗示されている。
またMOFA318における問題の文では、"customs"は単に「税関」とされているが、これは税関に関連する諸処の分野、すなわち「税関手続き」「税関協力」の総称だと考えれば、妥当な表現であることがわかる。
MOFA318における問題の文:
規制制度間の整合性,電気通信,税関及び開発については良い進展があった。これらの分野の残された作業は,協定を完成する段階において取り扱うこととし,当面は,これらの分野の作業部会は開催されないこととなった。これにより,交渉参加国は,知的財産,競争,環境等といったより困難な分野の問題解決に努力を集中させることが可能となる。
改訳したBALÉS0324におけるUSTR313の当該文:
この進展をもって、税関協力(customs)、通信(telecommunications)、規制の整合性(regulatory coherence)、開発(development)分野を含むいくつかの交渉グループは、今後の会合において法文策定に関する協議を行わず、これらの分野で残った課題については、合意の最終段階に至る交渉ステージにおいて取り上げられることとなる。これにより、TPP参加国は知的財産(intellectual property)、[公的調達における] 競争(competition)、環境(environment)等を含む、最も困難な課題の解決に専念することが可能となる。
最後に
今回の総合的な指摘により、IWJの誤認及び誤訳を指摘することになったが、これはIWJの非を追求するためでなく、むしろその拙速な行為を戒めるための試みである。既存の様々な情報を検証することもなく、一般的な理解の元に自説を展開し拡散することのリスクを分かってほしいがための指摘である。
TPPに間して、世論は真っ二つとはいわずとも割れている。その中で、TPP反対派(私を含む)にとって、今回のIWJの発見と指摘は、有利な論理展開をするための格好な材料だっただろう。しかし、それが誤認・誤訳に基づいてるものとなっては、逆撃を被ることになる。実際、私の今回の指摘は、その逆撃を呼び込むことになるかもしれない。それは承知している。だが、事実と異なることを事実と「報じる」メディアはたとえ市民メディアであろうと放置はできない。また誤りが誤りであることを認めなくては、既成の大手メディアと変わらない。そのための戒めの意味が込められている。
今回の事実の確認により、「税関」に関する議論は一旦終了するが、「関税」に関する議論は引き続き、交渉の中で行われることが判明した。TPP反対派は、この事実を潔く認め、正しい事実認識のもと、USTR313の表明に拠らずに、反対論を再構成しなければならない。
そのための機会として改訳と解説を提供した。そういう心積もりである。
以上、意図の誤解なきようお願いしたい。
2013.03.24 米国オハイオ州にて
Office BALÉS
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