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2015/01/26

緊急コラム:邦人人質殺害事件③ 故・湯川遥菜さんに捧ぐ #HarunaYukawa #KenjiGoto #ISIS



故・湯川遥菜さんに捧ぐ


心あるジャーナリストは官房長官、外務大臣、或いは総理大臣に、機会のある時にこう尋ねてみるといい。

「政府として把握している湯川さんの死亡推定時刻は何年何月何日の何時何分頃なのでしょう」と。遺族に死亡日時も伝えられないのでは、政府としての面目が立たないのではないか」と。

湯川氏が14年の8月時点で交渉決裂により殺害されていたのか、それともそれから少し生き延びて、でも後藤氏と捕虜として再会した前後に殺害されたのかは、現存する情報からでは把握できない。ただし、あの脅迫動画の”前に”殺害されていただろうことは確かだ。それがいつかは、脅迫を起点にするとそれほど重要ではない。

思えば湯川氏も数奇な人生を辿った。
というより、自らの選択で数奇な人生を選んできた。

海外のメディアでも繰り返し登場するのは、湯川氏が性転換を図ってみたり、自殺を試みたり(未遂で終わったのは家族による蘇生があってのことだったという)、名前を変えたりしてきた。そして、唯一自分の選択でなかった不幸が、奥様の病死だった。肺癌だったという。

彼を激戦地のシリアに赴かせたのは、彼なりの使命感だった。しかし実践経験の少ない彼にはどうしてもお守り訳が必要だった。そのお守り役を引き受けたのが、ベテラン戦場ジャーナリストの後藤氏だった。

NYタイムズのこの記事によると、後藤氏はよき師匠でありよき友人であったようだ。

湯川氏は必死に後藤氏について行き、イラクに侵入した時は後藤氏の助手という位置付けだったという。後藤氏からすれば、手のかかる、でもかわいい弟子というところだろうか。二十年来、ジャーナリストとして常に弱きを助けてきた後藤氏からすれば、危なっかしい湯川氏はかわいい、でもかけがえのない愛弟子だったんだろう。

記事によると、湯川氏はISISに捕まる以前、自由シリア軍FSAに捕まっていたという。後藤氏はこの時に初めて湯川氏を救援に行き、この時はこれに成功し、なんとしばらく湯川氏はFSAと行動を共にしたのだという。この時点で、湯川氏はISISの潜在敵になっていたのだ。そして湯川氏自身も、ISISを敵対視していた。

8月にISISに拘束された時、湯川氏はたしかに自由シリア軍と行動を共にしており、その捕虜として捕まった。つまり、一般の民間人ではなく、敵軍のスパイとして捕らえられたというISISの主張は事実だったのだ。しかし実践経験の乏しい湯川氏は、「敵」であるISISに追及を受け、そして語学力の無さも相俟って、自分に不利な証言ばかりしてしまう。

結果として、湯川氏は「怪しい自由シリア軍の側の人間」で、しかも武器を売っていた(売ろうとしていた)ということで、敵兵として処刑されたのだろう。この時点で、後藤氏が湯川氏と行動を共にしていたかは謎だが、後藤氏はその現場には居合わせなかったのだろう。

そして10月、再びシリアに戻ってきた後藤氏は、ISISに拘束され、湯川氏の死を知らされたのではないかと思う。それからISISは日本政府の出方をうかがっていて、決定的なきっかけとなるカイロでの安倍首相の声明を引き金に、脅迫行為を表面化させた─そんな、ところではないだろうか。

様々陰謀論はあるが、政府関与説も訊かれるが、湯川氏が殺害されていたというその事実が、政府にとってはいずれによ彼らは使い捨てでしかなかったことは見えてくる。シリアへの入国が政府関与のもとで行われたのであれ、自由意思で裏ルートで行われたのであれ、結果は同胞一人の死亡と、もう一人の生命の危機という現実に帰着する。

死して湯川氏は、米・英・仏の国家首脳から名指しでその死去を悼まれる存在となり、各国政府の公式声明の記録に残り、歴史に名を遺した。

不謹慎ながら、数奇な人生を送ってきた湯川氏にとって、もしかしたら彼は名誉に思っているのではないだろうか、と思ってしまう。

そういう風に納得して、彼の荒ぶる魂を鎮めたい。

心よりご冥福をお祈りいたします。

May your soul rest in peace.
Haruna Yukawa.

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