難民危機 - 子ども達を守れ
Refugee crisis – save the children
今日、私の頭は、ある「人種差別的」だと言われる日本の漫画イラスト画像のことで一杯だった。最初は、ジョー・サッコ(Joe Sacco)のような"天才的な"アーティストが描くような差別的な描写なのだろうと思っていたが、その漫画イラスト画像は、明らかに元の写真では笑みを浮かべていない少女がベースになっていた。だがイラストの方では、ニヤつくような描写があった。これは何か独特なスタイルなのかと思っていた。
そのイラスト画像は、この記事の一番最後に載せてある。
そのイラスト画像は、この記事の一番最後に載せてある。
後になって、イラストの日本語のテキストを翻訳した記事を読んで、嫌悪感で一杯になった。あまりに一杯で、自分のメッセージとともにイラストを自分で描き直さずにはいられなかった。
その結果がこれである。
ウィルソン氏のオリジナル・コラ画像(英語版) |
ちまこ氏による和訳貼り付けコラ画像 |
このとても小さな女の子は、テントの街にいる。彼女がそこにいるのは、彼女の家族が、彼女を戦場から離そうとしたから。彼女自身がそう選んだからではない。彼女には、同情や憐れみ、そしてリスペクトが寄せられるべきであって、ハスミ氏が行ったような無粋な嘲笑の的とされるいわれはない。
グラスゴー(スコットランド)では、スコットランド議会のハムザ・ユサフ(Humza Yousaf)議員がよく、難民を歓迎すべきだと主張している。
私には、これは私たちの道義的な責務であり、文明国としての責任だと思える。それ以上に、EUでの国民投票が、前回の選挙の時のように、移民問題に落とし込まれないようにしなければならない。
難民危機は今後、何年ものあいだ続くだろう。これは、私たちが欧州の中にいるか外にいるかの問題ではなく、またブリュッセルで大規模な改革を実施する機会を失うからだとか、EUというプロジェクトを棄てて欧州各国で同盟を作ろう、とかいう話でもない。
私たち [欧州市民]は、(1)差別主義者や偽善者に議論を支配させてはならず、(2)戦争の被害者に対する適切な対応を主導し、(3)救いを求める人びとに対して常にオープンでなければならない、ということなのである。
オリジナルの宣伝(advert)では、こんなことが日本語で書かれていたらしい。
アーティストのハスミトシコは、Change.orgのキャンペーンを受けて、画像を削除した。だが、本当の侮辱は、イラストよりもその文の内容にある。文の内容を把握すると、イラストの存在意義は全く異なるものになる。女の子の表情がはっきりしすぎているし、にやつきすぎている。きわめて失礼な描写なのである。
「それでも私は、何があっても謝りません」
と、ハスミ氏は言う。
「日本とは違って、海外では自分の過ちを認めたら必ず法廷闘争で負けるからです。」
ハスミ氏はさらにこう主張する。
「このイラストは、全ての難民を否定するものではなく、本当に救われるべき難民に紛れてやってくる、より安全でより快適な生活を外国の地に求める偽装難民を揶揄したものです」と。
一方で撮影した写真家は、「シリアの人びとの窮状を貶める恥ずべき誤った表現だ」とし、「無垢な少女の子どもの肖像が、このような邪な偏見を表現するのに用いられたことに衝撃を受け、深い哀しみをおぼえる」と述べている。
日本はシリア難民は受け入れないが、シリアやイランの難民支援のため8.1億ドルを拠出することを約束した。昨年難民申請をした5000名のうち、認定されたのは11名だったという。
これはただの[支援の]始まりであって、私の日本の友人たちの多くは、この危機を打開するためにもっと為されるべきことがある筈だと感じていると思う。勿論、日本がもっとも影響を受けている国々を支援しようと考えることは間違ってはいない。
しかしハスミトシコには、疑問符のつく行動が見られる。とくに二次大戦中、日本に訪れた朝鮮人女性について、相当ネガティブなことを書いてきた。
救いは、日本でこのことに対する怒りが爆発したことだった!
Translated by: Office BALÉS
0 件のコメント:
コメントを投稿