【コメント】イラク戦争の総括が未だ行えない日本~ブレア英元首相の「謝罪」報道を受けて~ #安保法制
及び腰な国内報道
長年「対イラク武力行使」として議論されてきたイラク戦争の正当な総括が、遂に戦争の最大の当事国の一つである英国の当時の元首相からもたらされた。このこ
と自体は感慨深い。しかしその報道のされ方が、戦争に賛同したこの国において、やや”及び腰”であることには不満をおぼえる。
今回ログルでまとめた英紙デイリーミラーのハイライトは、英紙が報じたそのままのものだ。つまり、米英が始めた戦争の最大の当事者の一翼を担った英国のメディアは、あくまでブレアが戦争の過ちを認め謝罪したことに焦点を置いた。戦争当事国としての一大ニュースはその一点にあるのだ。
ところが国内の報道では、ブレアが「サダム失脚については謝罪しない」としたことを、さも両論併記の原則を保っているかのように報じる。CNNの番組につい
て初報を打った英紙デイリーミラーでは「謝罪した」ことにフォーカスが置かれ、全世界の報道がそのことでもちきりなのにもかかわらず、だ。
また朝のツイートでも指摘したが、国内で初報を報じたとみられる朝日の記事は、その翻訳の内容からしておかしい。まるで、ブレアの発言の重さを”相殺”するかのような、実に恣意的な訳になっている。これで”両論併記”すれば、総合的には「謝罪しなかった」ことにウェイトがかかる。
なぜ報道価値があるのか
英紙デイリーメールがハイライトした3つのポイントは、ブレアが、①イラク攻撃理由となったインテリジェンス(情報)が誤っていたこと、②IS台頭を招いた
(力の空白を生んだ)”第一の要因”であるという指摘に「幾分か事実」(element"s" of
truth)があること、③現在のシリアの戦乱に至るまでの状況を生み出した責任があることを、それぞれ大筋で認めたことにある。
たしかにCNNの対談では、ブレアは「サダムを排除したことについては謝罪できかねる」と、結果的にサダムを失脚させたことの功績については頑なに否定しな
い。しかし世界の関心事は、「認めなかった」ことよりも、「認めたこと」にある。戦闘終結後長年責任を”一切”認めなかった当事者が戦争の誤りを謝罪した
のだから、それこそが伝えるべき価値なのである。
イラク攻撃の支持とイラク自衛隊派遣については、どのような教科書通りの
理屈があるにせよ、当時としては大規模な数万人規模の反対デモが行われたことを記憶している。同時期、お隣の韓国を含めた関係各国では数十万人規模だっ
た。そのくらい、「正当性の無い戦争」として世界に見られていた戦争だった。
この”正義なき戦争”を(”正義のある戦争”
などもともと存在しないが)、諸手で支持・支援した当時の自公政権、そしてその"後始末"であるイラク復興支援へという名の戦地自衛隊派遣に賛同した人間
は、イラク戦争がもたらした結果を重く受け止め、その道義的責任を負わなければならない。
はからずもこの戦争の最大の当事
者の一翼を担った英国首相は、現在のシリアの混迷した状況を生み出した要因がイラク戦争にあることを大筋で認めた。また単に「一理ある」という月並みな表
現ではなく、「幾分か事実」であることを認めた。つまり幾つかの事実が連なって今の状況を生み出したという認識を示したのである。これは実に重大な発言
だ。
中途半端に行われた政府内検証
では、まず①イラク攻撃を支持し、②その後始末の復興支援のため戦後史上初の戦地派遣というリスクを負ってまで自衛隊派遣を行ったわが国の政府はこのことをどう受け止めているのか。実は2012年12月、安倍政権の発足前、外務省により検証がなされていることは広く知られていない。
ただし、この検証報告には「日本政府が米英等の武力行使を支持したことの是非自体について検証の対象とするものではなく」という但し書きがついている。あく
まで「外務省内における検討や意思決定過程」の検証であり、政府全体のものですらない。つまり、安保法制に基づく今後の集団的自衛権の行使に至る判断基準
を検証するものではない。
事実、外務省は「結果的にイラクに大量破壊兵器が発見されなかった現実がある中で,改めてこの期
間の政策決定過程を検証し,もって教訓を学び,今後の政策立案・実施に役立てるとの観点から行ったもの」でしかないことを認めている。もとより検証不足で
あることは承知の上での公表なのである。
尚、この政府の検証内容に対し、JVC(日本国際ボランティアセンター)を含む国内の市民社会組織(CSO)6団体は、「検証の内容は不十分」として一蹴し、報告書の全面公開を要求した。だが2015年現在、この要請は受け入れられておらず、また国会内でもこの報告書を検討した事実は確認されていない。
参院での安保法制の審議の渦中、山本太郎議員がイラク戦争の総括を求めた背景には、こうした事実があった。民主党政権下で政治主導の下で行われた「検証」作業は、結局外務省の対応のみを検証するもので、政府全体とくに官邸側の判断を検証するものではなかったからだ。
山本太郎参議の審議で情報提供面で協力したとみられる、フリージャーナリストの志葉玲氏が事務局長を務める「イラク戦争の検証を求めるネットワーク」 がいまも活発に活動している背景には、政府による検証努力が不十分であり、かつ、その中で安保法制により、「次の戦争」に加担する体制が作られようとしていることがある。
先
日10月25日放送の『NHKスペシャル「新・映像の世紀」』の内容は、百年前の1918年に終結した第一次大戦の結果が、いかにして現代まで連綿と続く紛
争の要因となっているかを紐解いた。ではほんの十数年前の戦争は、現代の何の状況に影響しているのか。政府の一部の政策検証等で足りる問題ではない。
英国のブレア元首相は、イラク攻撃が、結果として「サダム失脚」の功績を生んだことを否定しないまでも、現在のIS台頭を招いた要因となったことを認めた。戦争には因果があり、それは次なる戦争の呼び水となる。この真理を認めたも同然なのである。
将来に大いなる禍根を残す安保法制の成立
わ
が国の政府は国民の多くの反対を押し切り、国会規則すら満足に守らず、数の暴力によるゴリ押しで、同盟国米豪との共同軍事作戦を可能にする安保法制を成立
させた。満足な歯止めもなく、時の政権の政治的判断により、イラク戦争のように米国の戦争に賛同・支持し、又は参加する蓋然性が高まったのである。
イ
ラク戦争時の政府全体、とりわけ首相官邸での意思決定・政策立案・検討・指図内容、責任の所在などの検証は、本来、安保法制を検討する時に、重大課題事項
として国会全体で検証されるべきことだった。また報道も、この必要性を強く主張し、現在に至る疑義のある政治判断として世論喚起を行うべきだった。
こうした総合的な検証と、これに対するメディアの批評による国民全体での検証なしに、私たち日本国民は安保法制という次なる戦争への安易な加担を可能にする法制を成立させてしまった。
イ
ラク戦争がIS台頭と多くの難民を生み出す大きな要因となったように、これから日本が加担する将来の戦争も何らかの負の結果を生み、その【直接的責任】を
私たちや次の世代は負うことになる。集団的自衛権の行使容認により「戦争できる国」になるとは、そういうことなのである。
このことが意味する重大さの自覚なしに安保法制を支持し賛同した人間の発想は、安易で、短絡的で、かつ、利己的であると言わざるを得ないだろう。自らの思想信条を優先したがゆえに、将来に渡って、国全体に大きな業を背負わせることになるのだから。
1 件のコメント:
この日本という国の問題は、責任というものを取ろうとする法律が無い事です。ですから検証もしないのです。
官僚や政治家に責任を取らせる法律を作らない限り、今の体制は続くのでしょう、、。
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