1.集団的自衛権の行使容認は、正しくない(各論)
集団的自衛権の行使容認は、正しくも、必要でも、抑止効果もない。
我が国が新たに掲げる集団的自衛権行使の3要件に従って行使される武力は、時の政府の判断により恣意的に適用される可能性があり、また他国の武力行使と一体化することで限定的でなくなる可能性がある。
さらにその非限定的な武力行使によって失われる他国の人命について我が国の国民は責任を負う覚悟を持たない。また我が国政府は、国内外でこれを裁く実効的な法体系を持たない。
したがって、自ら掲げる原則を守らず、他国の人民を多く殺める可能性があり、かつその責任をとる体系を持たずとも武力行使を行うことを可能にする集団的自衛権の行使を容認することは「正しくない」。
2.集団的自衛権の行使容認は、必要ない(各論)
我が国の従来の憲法解釈は必要以上に個別的自衛権に基づく武力行使の要件を厳格化し、細分化してきた。結果として、従来解釈ではできないことが増え、解釈の限界が生じているかのような論説が主流となった。
しかしそれは国家の基本原則を抜本から変えることが必要なほどの誤謬ではなく、運用面で非現実的な仮定や想定を行ったことのツケを払っているに過ぎない。この運用面での修正を施するために、憲法の基本原則を変える必要はない。
政府が示した事案の多くは、個別的自衛権の範囲で対処可能なものであり、必要なのは自衛隊の部隊行動基準(武器使用基準)を緩和することであり、そのための要件を整備することである。これは解釈改憲を必要としない。
また政府は最悪の事態を想定して有事の際に集団的自衛権の行使が必要であると説明してきたが、最悪の事態に至らないよういかなる努力がなされるのかについてはまったく十分な説明がなされてこなかった。
また、政府の想定は現状の国際情勢を現実的に考慮したものではなく、あらゆる外交努力が尽くされるという一般的な国家の自衛権行使の要件をすら想定していない。
このような架空の想定の下、政府としての責任を全うすることの想定なしに、現行の体制で十分対応可能な事案について、集団的自衛権の行使を容認する「必要」はない。
3. 集団的自衛権の行使容認に、抑止効果はない(各論)
集団的自衛権の行使容認に抑止力向上の効果はない。アフガン戦争をはじめとする非対称的な「テロとの戦争」の成果を見ればわかる。
第二次世界大戦ですら5年で終結したというのに、アフガン戦争だけで13年も続き、民間・軍人合わせて人約2万3000人の命が失われている。テロの脅威は世界に拡散し、かつ増大した。
おかげで世界各地でテロ戦を展開しなければいけなくなっており、米軍はいよいよ単独でも、集団でも対処しれきなくなっている。
では対称的な戦争はどうか。
ウクライナ内乱においてロシアは巧みにその影響力を駆使して親ロシア派の政治勢力を抱き込み、主権国家の領土を平和的に併合するという戦争行為に至った。
ウクライナが供給する天然資源エネルギーの供給はNATO諸国には死活的に重要である。さて、NATO諸国はその経済安全保障上の脅威であるロシアの行動にどう対処しているだろうか。
集団的自衛権の行使を宣言しただろうか?
否である。
では肝心要の中国に対する抑止効果はどうか。
はっきりいって、行使容認の前後で変化はないだろう。それは、現行で既に個別的自衛権に基づく片務的な日米安保条約が機能しているからだ。
安倍政権は米国の影響力低下を念頭に、日米安保による対処ではなく、日米安保+アセアン+2+オセアニア等との共同戦線による抑止力強化を目指している。
しかし日本の軍事力が抜きんでれば、日本が各国防衛のために戦争に駆り出されることになる。これでは、日本が各国から得られる微々たる安全保障に比べ、日本が与える保障の負担が大きすぎる。
およそ、互恵的相互関係とはいえない。
よって、従来の集団的自衛の枠組みでは、いくら束になってもアジア各国の軍事力では中国に対抗し得ない。米軍の抑止力ならば、個別的自衛権が認められる現在でも十分に発揮されている。
集団的自衛権の行使容認は、もはや現代において抑止効果を高めることには繋がらない。逆に各国の紛争に巻き込まれる蓋然性が高まるだけで、百歩譲っても、「百害あって一利しかない」。
4.おわりに
以上のように、 集団的自衛権の行使容認は、正しくも、必要でも、抑止効果もない。むしろ間違いが起きるリスクを増やし、多くの他国国民を殺める可能性を高め、責任のとれない事態に直面するだけである。
現代においてNATOのような軍事同盟は戦争を発生・継続ははさせても抑止はしない。ロシアのような大国の動きを牽制することすらできない。中国にしても同じだろう。
日米同盟は確実に機能している。にもかかわらず「不足」があるならそこを補える体制を作ればいい。だが、アセアンとの連合でそれが為せるか。中国を孤立化させるのではなく、取り込む必要があるのではないか。
日本に必要なのは、確かな戦略に裏打ちされた外交力であり、満足に使い方も解らない軍事力を力の背景とした外交安保政策を展開することではない。
百害あって一利しかない国策の転換など、それこそ無用の長物である。
以上
各論に完全には納得できなくても、理解できなくても、容認反対派の皆さんにとって考えることの刺激=food for thoughtとなれば幸いです。
ご精読を感謝します。
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