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2014/06/22

長編コラム: 些末な政府の集団的自衛権議論が触れないことFINAL(意見総括)

集団的自衛権を巡る私見をこれまで数編に渡って述べてきたが、政府が閣議決定により集団的自衛権のみを容認することを国是とすることを決める動きがある中で、あらためて本件に関するこれまでの意見を総括してみようと思う。

まず、集団的自衛権は必要ない。単独的自衛権(武器使用基準等)の拡大で対処できる。そのロジックは、部隊防護をより強固なものとして自衛官及び共同任務に関わる多国籍要員を防護する国際責任を果たすためだ。

我が国が国際平和活動等に積極的に貢献する必要性は否定しない。多額の国連分担金を負担しがら、相応の人的貢献を行ってこなかった過去の姿勢は正すべきだと思う。そのために確立された国際ルールに基づいて各国と歩を揃えることは必要。そのための武器使用基準の拡大はやむなしと考える。

一方、国連の活動を離れたところで二国間或いは多国間で集団的自衛の権利を行使すべきという問題については、近年の国際紛争の歴史をみても、もはや時代錯誤であると断じざるを得ない

冷戦下に作られた軍事同盟による集団的自衛の枠組みは、既にNATOを勝者として残して崩壊している。これを再構築する愚を我が国が率先して行うことをよしとはしない。

米国と密な同盟関係にあることは、米国の戦争に引きずり込まれることを意味する。アフガン戦争やイラク戦争がその冠たる例である。

米国は、アフガンについては個別的自衛権の行使、イラクについては国際平和への脅威として、国連決議に基づく多国籍軍を結成しようとしたが、後者については国際社会はその正当性を認めなかった。

国際社会が最後まで認めなかった対イラク武力行使について、我が国は当初から確たる根拠もなしに賛成し、やっと国連に“戦闘”終結が認められる段になって復興支援と称して紛争地に初めて自衛隊の派遣を行った。これが我が国の安全保障に関わる判断と行動の実績である。

アフガン戦争においては、我が国は武力行使との一体化とみなされる集団的自衛権の行使に基づく米英の軍事作戦に対する海上補給支援を行う形で戦争行為に加担した。政権交代によりこの憲法違反の疑義のある活動は停止されたが、ほぼ10年間この活動は疑義のあるまま続けられてきた。

このように我が国は、過去2つの国際紛争において正当性に疑義のある自衛隊派遣を行ってきた。一つは国際社会に認められない事由ではじめられた武力行使への加担行為であり、一つは個別的自衛権に基づく武力行使への加担行為であった。これが、我が国政府の判断力である。

集団的自衛権の容認に関する我が国政府の解釈は、個別的自衛権のそれと全く変わらない。それでは正に、これまでの憲法解釈で違憲であるとされてきた行為に違憲である論理的根拠がなかったことになる。即ち、政府解釈の撤回である。

従来の解釈の撤回を是とすることを閣議決定する現行の第二次安倍改造内閣の論拠は、未だ明確に見えてこない。総論としての行使容認を補完する各論を、整合性の問題でことごとく取り下げておきながら、それでも総論としては成立するというのは論理の破綻である。

各論において政府は15の事例を提示し、それぞれの事例により集団的自衛権の行使が訴求されることを行使容認の理由づけとした。にもかかわらず、政府はこれら15事例に基づく各論の確定を行わずにただ、行使容認だけが認められるべきだとしているのである。

行使容認に関する従来の政府解釈を撤回する論拠が、そもそも個別的自衛権のみを認める(よって集団的自衛権を否定する)政府解釈に依拠するというのも、なんとも奇怪である。 そこには何の論理性も合理性も見いだせない。このような重大な方針転換の決定を許容してよいのか。よいわけがない。

第二次安倍改造内閣によるこの拙速な動きははからずしも、結果的に政府の当初の考えがただ「集団的自衛権は必要であること」をなんとしても認めさせることの一点に集約されており、その理由は後付け、こじつけと場当たり的なものでしかないことを明らかにした。

血税を使って“有識者”を集め、長きにわたる時間と日数を要しても、論理的整合性のある政府見解を出すことができない。こんな政府に、我々国民は、国家の重大な方針転換を委ねている。このこと自体が、国家の安全保障上の危機といえるだろう。

国会で強行採決を辞さない与党率いる政府が、世論や与野党内の反対を押し切って閣議決定を行うことは、もはや既定の事実だろう。ただし、今回は閣議決定が精いっぱいで、閣議決定に基づく法改正などの機会は次期国会に持ち越される。

国民よ、目を見開け。煽情的に他国の脅威を煽り、なんらこれを平和的に解決しようとしないで、国防の増強や、解釈改憲により有事の対処姿勢の強化のみを図る政府を信頼してはならない。政府と、政府に連なるメディアの報道を鵜呑みにしてはならない。

過去二つの国際紛争において、判断を誤ってきた政権与党の判断を信頼してはならない。現行の第二次安倍内閣の為すことを、追認してはならない。国民の総意として、政府の閣議決定の法制化への反対を有効な行動で示せるのは、次期国会まで。それまでに理論武装しなければならない。

70年余平和主義を掲げ貫いてきた平和立国として、国際平和と安定のために"積極的に”寄与するのは経済大国としての相応の責任履行である。そのために、必要最低限の武器使用が我が自衛隊に認められることには私は異議を唱えない。

が、自衛のための最低限の武器使用を逸脱して更なる不安定化をもたらすような国際紛争にまで“積極的”に寄与することは、これは平和主義の理念に悖り、国民の総意に反するものと信じる。よって、集団的自衛権の行使は断じて容認できない。

私は、旧時代の集団的自衛権の発想から離れて次世代の集団安全保障を構想必要があり、それは地域安全保障の形で具体化されるべきだと思う。幾分かの逸脱はありながらも平和主義を貫いてきた我が国にこそ、この新しい「支え合う安全保障」を先導できるのではないかと思う。

但し、現行政府には無理だが。


以上、ここまでの長文の精読を感謝します。

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