個別的・集団的自衛権に関する最新議論(ヨルダンの場合)
7日付で興味深い寄稿記事が法律関係者の集まるブログサイトに掲載された。バージニア大学法学部助教授で元米国務省政軍関係担当法務顧問を務めたディークス女史(Ashley Deeks)が書いたもので、仮にヨルダンの"報復"としてのISIS空爆が個別的自衛権に基づくものであるならば、”比例する手段と規模”でなければならないというものだ。
ヨルダンはシリアと友好国ではない。したがって、ヨルダンが有志国連合軍に参加する正当化事由は、シリアのための集団的自衛権の行使ではなく、イラクのための集団的自衛権の行使である。しかし、今回ヨルダンが行った空爆は、自国民の殺害に対する報復しての攻撃。即ち、個別的自衛権に基づくものだった。というより、でなければ説明がつかない。
ヨルダンによる空爆が、”人質1名の火刑”に対して、比例的であるか、という議論は国内でも少しは聞かれるが、国内の国際法の専門家がこの問題を提起している議論はあまり聞かれない。しかし、これは日本において「自衛権」を考える際にも重要な考察のポイントであると思われる。
ディークス女史は、まずそもそも、"火刑"を「武力行使」と捉えてよいのかどうかを疑問視する。しかし、ヨルダン外相は、「どこにいようとも、全力で連中を叩き潰す」と、パイロットの死に対する報復で空爆を開始したことを明言している。
つまり、国際法上、ヨルダンの行動を説明するには、ヨルダン政府がパイロットの死を武力行使と受け止めていると解釈される。そして、その場合、国際法上の「武力行使要件」を満たすかはこの際別として、ヨルダン政府は空爆を武力行使に対する比例的手段だと捉えていることになる。
国家首脳の発言の重さ
ここでディークス女史は、主権国家が歴史上往々ににして、国外の自国民に対する攻撃を防止する名目で、「自国民に何かがあれば攻撃する」という文句をのちに個別的自衛権の発動による武力行使の”前提条件”とする場合があることを指摘する。
ここで、最近安倍首相が行った発言を振り返ってみよう。
「必ず償わせる」
「日本人には指一本触れさせない」
もしヨルダン外相のような発言が、国家が個別的自衛権を発動する前提条件として認められるのならば、安倍首相は国際法の解釈上、既に個別的自衛権の行使を前もって宣言していることになる。国家首脳の発言がいかに、国家の宣言として重要な意味を持つかがわかるだろうか。
そもそも「武力行使」とは?
武力行使の発動要件は、集団的自衛権を巡る議論でも散々取り上げられてきたし、また政府にとっても閣議決定の核を占める問題だった。だが、そもそも「武力行使」とは何か。我々は理解しているのだろうか。
武力行使(use of force)とは、平たくいえば、「国家又は国家に準ずる主体が、自己の主権を守るために武力により実力を行使すること」をいう。国家の主権とは、領土・国民・機能する政府で成り立ち、即ち国民を守るために行う武力による実力行使も、武力行使と定義できる。つまり、主権国家には、国民を守るためには武力行使を行ってよいという、自然の権利が備わっていると考えられている。
911への"報復"として行われたアフガン攻撃は、米英共同の軍事作戦として、個別的・集団的自衛権の行使として行われた。その理屈はこうだった。
”2001年9月11、アフガニスタンのタリバン政権は、アルカイダを匿い、一体となって米国に敵対し、大規模テロという敵対行為を行った。タリバン政権は実効支配政権で、国際的には認められていなかったが、国家に準ずる組織であり、その組織が庇護するアルカイダが911テロを起こした。したがって、実行犯であるアルカイダ及びこれを匿うタリバン政権は、アメリカの国家安全保障上の脅威であり、主権を侵害した。なので、民間航空機による同時多発的な自爆テロという手段に対し、空爆で応じる。”
こうして始まったのが、来年2016まで続くといわれるアフガン戦争である。実に15年にも及ぶ戦争で、その成果はどうであったかというと、犠牲や破壊が圧倒的に多く、復興・建設需要を起こしただけで、タリバン政権は壊滅したものの、アルカイダは生き残り、現在はイラクのアルカイダとISISを生み出し、いまも増殖中である。つまり、勝てない戦争だった。それは、個別的・集団的自衛権に基づく非対称的な主体に対する武力行使のひとつの歴史的顛末である。
「巨額の戦費と失われた人命と引き換えに得られたものはほとんどない。それさえもわれわれが撤退すれば長くは存続しないだろう」CIAでパキスタン・イスラマバードの支局長を務め2006年にCIAを退職したロバート・グレニア氏
話は戻って、ヨルダンのパイロット殺害についてISISが行ったのは、ISISの空爆に参加したパイロットを拘束して略式処刑しただけのことである。つまり、軍人を拘束し、ジュネーヴ条約の戦争捕虜の取扱には則らないが、軍人として処刑した。これは、戦争では当然のことである。
軍人として武力行使に参加した人間を、敵側が軍人として処刑することは「武力行使」になるのだろうか。否、軍人という戦争捕虜を、敵国が処刑することを決め、実行しただけのことである。その方法がなんであれ、極刑は極刑であり、国によって絞首刑もあれば、斬首刑もある。
とことんドライに考えるとそういうことである。
その手段が「火刑」であれ「銃殺」であれ、それは敵国の軍紀のようなものに従って行われている。もしそうでなければ、軍の統制が執れていないことを意味する。したがって、どのような形をとろうと、それは「武力行使」ではなく、単なる捕虜の処刑手続に過ぎない。誘拐拉致された一般人の処刑とは性質が違い過ぎるのである。
「イスラム国」は国家足りえるのか?
ISISは「イスラム国」を名乗るが、その実態として国家として機能しているか、或いは定義できるかは疑問だ。まず、基本的に国家の要件である、領土・国民・政府を満たしているのか。なるほど実行支配している地域はあるかもしれないが、国家としての統治を行う機能する政府は存在するのか。
実はこの疑問をもっとも抱かせるのが、今回の邦人人質殺害事件で自称「イスラム国」が用いた通信・伝達、即ち外交的手段である。それは、無かったといっていい。およそ、近代の国家が用いる手段ではない。ソーシャルメディアを通じた脅迫が国家の外交行為?茶番もいいところである。
私は以前、ISIS自爆要員を名乗る者と”対話”を試みたことがあったが、その中で、国家成立の三要件を並べたら彼は黙ってしまった。若干22歳と語る(そしてそのように振る舞う)彼の知識レベルがISIS戦闘員全般のレベルとは決めつけられないが、少なくとも彼はISIS=「イスラム国」の一員でありながら、国がなんたるかの理解を持っていないようであった。
もっとも、彼らの信奉するシャーリア法では、「国家」の定義は近代国際法における定義とはまるで異なるのかもしれないが、それでも”国家”を名乗る限りは、より大きな”国際社会”の一員としての振る舞いを求められる。国家として認められたいならば、国家であることを証明しなければならない。それが、”国際関係”の成り立ちであり、であるからこそパレスチナのような準国家的存在は、その正当性を主張するためにあらゆる努力を行っているのである。
したがって、「イスラム国」は近代国際法の定義における国家ではなく、「イスラム国」という名の過激派組織でしかないという結論に達する。即ち、「国家に準ずる組織」であるという認定が、現代国際法では精一杯ということだ。
「国家」でないことの功罪
まともな外交手段もなく、決まった領土も国民もなく、外交権を発揮することのできる機能する政府を持たない「イスラム国」(以下、ISIS)は、"国家"ではないことはわかった。では、「国に準ずる組織」であるとしたら、ISISの行うテロ行為は「武力行使」と捉えることができるのだろうか。とくに、ヨルダンのパイロット拘束・処刑は?
戦時国際法(ジュネーヴ諸条約等)により国際紛争であれ国内紛争であれ、交戦状態にある国家では戦争捕虜の取扱に関する規定が適用される。とくに捕虜の取扱については、いわゆる追加議定書が適用される。日本も2008年にやっと、武力事態対処法(有事法制関連7法)の一部として加入した。国際刑事裁判所に加入するための法整備の一環であった。
世界の殆どの国は、この戦時国際法(国際人道法ともいう)の庇護と制約を受ける。戦争捕虜の取扱いには了解事項があり、これに違反する重大な行為は国際刑事裁判所の管轄となって裁かれるという、国際刑事司法システムが現在は確立されている。ISISが国家ならば、まずはこうした国際人道法を遵守する姿勢を見せる必要がある。しかし、彼らはそうしない。
一方で、厄介な問題がある。
かつて911以降、キューバのグアンタナモ基地やイラクのアブグレイブ刑務所に拘束者を収監した米国は、ブッシュ政権下で彼らを「戦争捕虜」 "prisoner of war"ではなく、「不法戦闘員」 "enemy combatant"であるとして、ジュネーヴ諸条約の適用外であるとしたことがあった。そして、基本的公民権の一つであるhabeas corpus(人身保護請求権)を否定した。
しかしその後、連邦最高裁によりこのブッシュ政権の判断は違憲とされ、その後、米国はテロとの戦いの中でもジュネーヴ諸条約を遵守するようになった。米国にもそんな暗黒の歴史があった。そして現在もオバマ大統領は様々な政治的障害のおかげでこの悪名高きグアンタナモ収容所を閉鎖できずにいる。
先の新国家安全保障戦略(NSS)の発表でスーザン・ライス国家安全保障担当大統領補佐官は、グアンタナモに収監されていた囚人の半数を移動できたと報告していたが、オバマ大統領が就任してからもう二期目である。ブッシュ政権が残した負の遺産であるグアンタナモ問題は、オバマ政権の大きな悩みの種のひとつといえるだろう。
つまり、米国は実は、この「不法戦闘員」のことを対外的に強く言える立場にない。もしISISが捕虜の扱いについて「不法戦闘員」を持ち出したら、米国は過去に修正した歴史があるとはいえ、扱いに困るだろう。おそらく米国民はそんな不名誉な歴史は都合よく忘れ去っているだろうが。
ISISが国家であってもなくても、それが自動的に国際人道法を順守しなければらない訳ではないということを、図らずしも対ISIS空爆作戦を主導する米国が、悪しき前例として残してしまっているのである。国際法を遵守する姿勢のなかった国に、国際法を遵守しない非合法集団を糾弾する資格はない。それは英国も同じである。
米英の作った悪例により、ISISは悪びれないで堂々と国際人道法を無視する。それを糾弾することはできるが、だからといって彼らが自称する「イスラム国」を国家或いは国家に準ずる組織として認めてしまったら、それはタリバン政権のように実効支配のできる勢力であることを認めることになる。ただのテロ組織ではなく、反政府勢力としてその正当性を認めることになるのだ。
このように、「イスラム国」を国家或いは国家に準ずる組織として認めるかどうかは、有志国連合軍によって痛し痒しの問題である。国家として認めなければ国際法が適用できない。国家に準ずる組織として認めれば、テロ組織ではなく反政府勢力と捉えなければいけなくなる。そして、最終的にはこの問題にぶち当たる。
「国家に準ずる組織」による拘束・処刑は「武力行使」か
かつて911後のアフガン攻撃の標的となったタリバン政権は、実効支配政権だった。しかし、「政権」"regime"として認められていた。アフガン内戦を勝ち残り武力で全土を制圧したタリバン政権には、外務大臣がおり、即ち外交権を持っていた。外務大臣は政権のスポークスマンとなり、度々報道の場に表れた。現在の「イスラム国」のように、固定のスポークスマンがいない体制とはまるで異なり、正に、準国家的な存在であった。
アフガン攻撃時、米英及び有志国はタリバン政権を認めていなかったが、結局交渉のチャンネルは外交ルートを使って行うしかなく、実質的には国家扱いしていた。そのタリバンが、直接ではなく、国際テロ組織アルカイダを匿い、訓練する場を与え、脅威であり続けるというのが、米英がアフガニスタンという主権国家に対し、個別的及び集団的自衛権の行使に基づく武力行使を行った理由であった。
つまり、タリバン政権は直接米英に武力行使を行っておらず、また米英側もそういう認識ではなかった。にも関わらず、米英はアルカイダを匿っているとされるタリバン政権を崩壊させるために、「自衛権」と称して武力行使を行った。アフガニスタン攻撃が、国際法でいう「侵攻」 "invasion" や「侵入」 "intrusion"に当たるのはこのためである。ちなみに、2010年6月以降、この「侵入」や「侵攻」は国際刑事裁判所が管轄する「侵略犯罪」"Crime of Aggression"の定義の一部として解釈される。
他国が「イスラム国」を国家であるか或いは国家に準ずる組織とするかは、それぞれの国の認定基準に基づく問題なのだが、厄介なことに、そう認定しない限り、イスラム国に対する空爆という個別的(イラク・シリア)・集団的自衛権(有志国連合軍)の攻撃手段は、イスラム国の行っている"攻撃"が一般人・軍人の拉致・拘束・拷問・処刑なのだとしたら、あまりにも反比例的である。
先にも定義を示した通り、武力行使とは、「国家又は国家に準ずる主体が、自己の主権を守るために武力により実力を行使すること」を言うのであって、自らを国家とみなす「イスラム国」”内”で起きる拉致・拘束・拷問・処刑は、単なる司法・警察行為でしかない。ISISというテロ組織ならば、それは”犯罪行為”となるが、イスラム国を実効支配力のある国家に準ずる組織と認めた途端、それは国家に準ずる組織としての警察主権の行使となる。「武力行使」ではないのである。
アフガンロジックを適用するとシリアもイラクも「敵国」にならざるを得ない
このロジックに関する議論は、ほとんど行われていない。ISISをテロ組織として認定するならば、国家は警察権しか行使できない。それでも武力行使を行うなら、それは、911のロジックでえばISISを匿うシリア或いはイラクに対する武力行使となるのである。だが厄介なことに、イラク政権もシリア政権もISISを抵抗勢力とみなし攻撃している。つまり有志国連合は、イラクもシリアも攻撃できないし、本来は主権侵害(侵攻・侵入)もできない。
国際法に照らせば、イラクは親米なので国内の反政府勢力に対する”支援”を英米に仰ぎ、その同意を得て同盟国に対する集団的自衛権を行使しているというのが建前になる。しかしシリアからは同意が得られておらず、シリアが米英軍の自国領内に対する攻撃を「侵略行為」と非難するのは最もなのである。
有志国連合軍に参加するヨルダンも、立場は同じである。そしてこれから参加する日本も、基本的に立場は同じである。イラクは同意しても、シリアは同意しない。ISISを「イスラム国」という国家に準ずる組織として認めるならば、シリアの主権(警察権)を侵害することはできない。それでも武力行使する有志国連合軍は、実は無法者集団なのである。
なしくずしに法秩序が崩壊する危険を孕む『新テロ戦』
元米国務省顧問のディークス女史は、ヨルダンが有志国連合の一員として、或いは独立国家として、どの意図で”報復”の空爆を行ったのかは、「今後のヨルダンの言動によって明らかになるだろう」としている。女史のいうように、仮にこれまでの言動が純粋に「政治的動機」と計算に基づくものであったとしても、「イラクに対する集団的自衛権の行使」という自らの法的立場をどう維持するのか、あるいは変えるのか、変えるとしたらどうやって、どのようなロジックで変えるのかが、今後注目される。
もし主権国家が武力行使の判断を行う基準を曖昧或いはうやむやにするようであれば、それは悪しき先例となり、また現代の国際関係を維持する国際法秩序の崩壊を意味する。本来なら、今般のヨルダンの攻撃は、国連安保理の検討事項となってもおかしくないのである。それがまったくなされないで、問題視もされず、看過されるのであれば、今後ヨルダン以外にも同様の行動の国をとる国が現れるだろう。それが、この新テロ戦が孕む危険性―法秩序の崩壊の促進だ。
実際、すでにUAEがヨルダンに続いている。
米国も、シリアへの空爆を再開した。
我が国日本がこうした情勢をどう見て、どう判断し、どう行動するのか。国際法秩序を維持する責任を負う、次期国連安保理非常任理事国として、賢明な判断が求められるところである。
以上