2012年9月14日
沖縄のオスプレイ問題
先週9日、MV-22オスプレイを宜野湾市の在沖縄海兵隊基地に配備する計画に抗議する十数万の人々が地元沖縄で行われた抗議集会に集まった。オスプレイは何かとトラブル続きのティルトローター型輸送機で、在沖縄米海兵隊は、ベトナム戦争時代のヘリ部隊を24機のMV-22と交替させる意向でいる。これに対し、沖縄の人々は怒りを露わにしており、日曜の集会はこれまでで最大規模の反米抗議集会となった。
しかし、4月にはモロッコ沖で墜落事故が発生、2名の海兵隊員が死亡した。6月にはフロリダでも墜落が発生した。米軍当局はいずれも同機パイロットのミスが事故原因としているが、住宅密集地で1950年代から何百もの戦闘機や軍用ヘリの墜落や緊急着陸(その幾つかでは死亡事故も)に見舞われてきた住民らの不安を解消するには程遠いものとなっている。
2006年、日米両政府は、普天間を閉鎖し、数千人規模の海兵隊員を沖縄から移転させ、残りを住民の少ない北東部沿岸の新たな基地に移転させる案で合意した。しかし、多くの県民はこの合意を不十分であると反発し、合意は実施されなかった。日米両政府は今年4月に9000人の海兵隊を移転させる合意(関連資料2)に至ったが、この合意の実施も滞ったままだ。
沖縄県民は、あまりにも長きに渡り、行動の伴わない約束に翻弄されつづけてきた。米国には、沖縄におけるプレゼンスを和らげ、地元住民の懸念に耳を傾ける義務がある。オスプレイの配備先を他所に変更することは、そのとっかかりになり得る。
関連資料
1 - 2012年8月3日付け米国連邦議会調査局作成のレポート『米国の沖縄における軍事的プレゼンスと普天間基地問題』(英文)
2 - 2012年4月27日付け米ワシントンポスト誌記事『米国、沖縄から9,000人の海兵隊員を移転する日本政府の案に合意』(英文)
2 - 2012年4月27日付け米ワシントンポスト誌記事『米国、沖縄から9,000人の海兵隊員を移転する日本政府の案に合意』(英文)
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Original Source: The New York Times
Translated & adapted by: Office BALÉS
訳者あとがき: ※この「あとがき」を再編して投稿したものが後日、沖縄タイムスの「論壇」に掲載されました。
今回の翻訳では、敢えて報道でよく使われる「地元負担」「負担軽減」などの定例句を使うことを避けた。原文最後の"tread lightly"の文意を記事全体から汲み取れば、もはや「負担軽減」などという生易しいことを指す言葉ではないことは明らかだからだ。
そこで、ここは敢えて報道が陥りやすい概念の記号化に抗することにした。そもそも、沖縄が行っている「負担」とは何か。県民に強いられている「負担」というものはこの二文字で表せることなのだろうか。単に数・量の問題なのか、治安の問題なのか、安全性の問題なのか。その複合だろう。これは「負担」の問題なのだろうか。
正しくは「犠牲」だろう。しかし「犠牲軽減」とは表記できない。他の県及び他の米軍が駐留する県に比べて、沖縄県民が何をより多く犠牲にしてきたか。それをいかにして「なくすか」が焦点なのであり、「減らせる」ものではない筈だ。だが「負担」という言葉は、これを「軽減する」と言うことを可能にしてしまう。
英語で"tread"とは、「負担を求める」ことを意味するとともに、「踏みつけること」も意味する。総じて、その存在で圧迫するということである。存在感を示すことを「プレゼンスを示す」という。これは、はからずしも社説本文で使われた言葉("military presence")でもある。これまで多くの犠牲を払ってきた沖縄県民が望むのは、「負担の軽減」ではなく「犠牲がなくなること」ではないのか。では犠牲をなくすために必要なこととは何か。
訳者はそれこそがプレゼンスの縮小、即ち軍事的フットプリント(規模)の縮小(lighter footprint)であると考える。殆どの海兵隊のグアム移転が実行されるのに、なぜ代替施設が追加で必要なのか、なぜ代替施設に安全性に懸念のある輸送機が追加で(たとえ実質的な交替であっても)その代替施設に配備されることになっているのか。結局、何も「減って」はいないではないか。それが、県民たちの“叫び”ではないだろうか。
何も「減り」はしないで犠牲は「増える」かもしれない。その可能性に怯えて暮らしていかなくてはならない。そんな理不尽なことがあるだろうか。そんな不条理に座して死を待つ住人など、いるはずもない。9日の県民抗議集会はこうした不条理に対する怒りの声の表れであろう。
この「犠牲をなくすこと」を求める沖縄県民の声に応える米国の義務が何であるかは、もはや明白であろう。
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