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2012/09/19

転載:2012/9/19付け沖縄タイムスの「オピニオン」に掲載された論壇



「犠牲なくす」県民の望み 米主要紙に届いた叫び


2012年9月14日付けの米紙ニューヨーク・タイムズで、『沖縄のオスプレイ』と題された社説が掲載され、話題となった。地元沖縄のメディアは、沖縄県民の多くが反対する海兵隊垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの配備先について、同社説が「別の場所にするべき」と県外配備を示唆していることに着目し、その内容を歓迎する論調を展開した。だが、この社説の本質は別のところにあるのではないか。
 「負担軽減」という表現がある。地元メディアはタイムズ紙社説の結論部分について、「米政府には沖縄の負担を軽減し、県民の懸念に耳を傾ける義務がある」として、この表現を使用した。だが、当のタイムズ紙は、この「負担」が何であるかを細かくかみ砕いた上で、結論でたった二言、"tread lightly "と表現し、これを「和らげる」ことが、米国の義務であるとした。米紙ですら使わない「負担軽減」という言葉に、当の地元メディアが囚われているのである。
 そもそも、沖縄の負担とは何か。米軍施設が島の五分の一の面積を占めている規模の問題。米軍容疑者らが法による適切な処罰を受けない治安の問題。米軍用機がいつ市街地に墜落するか分からない安全の問題。これらすべてが複合的に絡み合ったものが、「負担」と言われているものの実態である。すなわち、より正しくは、「犠牲」である。他県及び他の米軍駐留地に比べて、沖縄県民が何をより多く犠牲にしてきたか。それをいかにして「なくすか」が最大の焦点なのである。 
 これまで多くの犠牲を払ってきた沖縄県民が望むのは、「負担の軽減」ではなく 「犠牲がなくなること」ではないのか。では犠牲をなくすために必要なこととは何か。それこそが軍事規模の縮小ではないだろうか。ほとんどの海兵隊のグアム移転が実行されるのに、なぜ代替施設が必要で、なぜその代替施設に安全性に懸念のある輸送機が配備されることになっているのか。結局、何も減ってはいないではないか。それが、初めて米主要紙にも届いた県民たちの叫びだったのではないだろうか。
 何も減りはしないで犠牲は増えるかもしれない。その可能性におびえて暮らしていかなくてはならない。これに抗議する意思を、9日の県民抗議集会はこれまでないほど明確に示した。この「犠牲がなくなること」を求める沖縄県民の声に応える米国の義務が何であるかは、もはや明白であろう。(平和活動家・元参議院議員秘書)


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