Introduction
はじめに
今日の日本国民は、国の内と外からの二重の脅威に晒されている。国の内側には大多数の国民が反対する法制を推し進める政府があり、民主主義社会への脅威となっている。国の外側では、私たち日本人にとって決して誇れないい負の遺産を盾に、国内の政治的不満の解消のために反日を利用する”非友好的”な隣国や、非軍事的な活動を装った軍事戦略を展開する国があり、国家安全保障上の脅威となっている。これらの脅威は合わせて、日本国民に対する純然たる脅威を形成している。
そろそろ、私たち国民にとっての安全に対する脅威(threat to national security)とは何か、そして国民の安全保証(national security)とは何かを、あらためて定義する必要があるのではないだろうか。
政府がこれを語る時、彼らは私たち国民の安全保証よりも、国家の安全保障(state security)の文脈で語る。政府にとっては、安全保障(security)とは、領海・領空の確保や防護であり、経済的・地理的意味合いを含む。国民の安全や福祉(safety and welfare)よりも、領土保全(territorial integrity)が、まず念頭にある。
Safety vs. Security
「安全保証」と「安全保障」
政府の第一義的な役割は、国民と生命の財産を守ること。これは既定の事実である。しかし現在の日本では、国民が「安全」(safe)と感じることと、政府が「安全」(secure)と感じることの間で、大きな溝が広がっている。しかも、日本語ではあくまでいずれも同じ文脈で、でも異なる意味で、「安全」と表現される。
現在の政府にとっての「安全」とは、情報の流れを統制し、自らが定義する「反社会的な活動」から公共秩序を守り、ヒト・モノ・アイディア、そして思想信条までを統制することを意味する。彼らにとって「安全保障」とは、国境の管理であり、領土保全が為されることを意味する。
政府にとって「安全」とは「統制」(control)なのである。
私たち国民にとって「安全」とは、食糧について安全と感じること、権利を自由に行使できること、不平・不満を自由に述べられることを意味する。国民にとって「安全」とは、十分な情報を検討した上で選択する自由(informed choice)が保証されること、自分や自分の家族の健康に影響するような事態から自主的に避難する自由(freedom of movement)が保証されること、テレビやインターネット、教育などによりプロパガンダ的な有害な情報を注入されない自由(freedom of information)が保証されることを意味する。
私たち国民にとって、「安全」とは「自由」。恐怖や欠乏からの自由(Freedom from fear or want)なのである。
つまり、「安全が確保された社会」(secure society)を作りたい政府の思惑と、「安心・安全な社会」(safe society)を求める国民の気持ちは、その起点からして真っ向から衝突している。「統制」(control)は「自由」(freedom)は全く噛み合わない。むしろ双極にある。国民の求めること(需要)と、政府が提供できること(供給)は、全く一致していないのである。政府が私たちに与えようとしていることは、私たち国民にとっては二の次、三の次なのある。
では、どのようにしてこのギャップを埋めるのか。
Learning the Facts
事実を知ることから始める
まず私たち自身で、「国民の安全保証」('national security')とは何かをあらためて定義する必要がある。そのためには、「国家の安全保障」(state security)の観点からも、何が必要で、何が必要でないかを判断できる必要がある。
政府の側では、何が国民の利益かという観点から、国民にとって何が必要で、何が必要でないかという判断を理解し、受け入れ、これに基づいて行動する必要がある。つまり、政府の側にも「宿題」があるように、国民の側でも「宿題」をこなしておく必要がある。
国民はせめて、国家の安全保障を維持するの必要な最低限の国防態勢(defense posture)とはどのようなものかを理解する必要がある。
たとえば、日本には”軍隊”は必要なのか。より正しい言葉と実際の日本固有の運用でいえば、”自衛隊”は必要なのか?在日米軍とともに、私たち国民を守り、脅威を抑止し、領土を保全する自衛隊は必要なのか?ここで、自衛隊が合憲か否か、或いは日米同盟(日米安保)が合憲か否かの原則論に埋没すべきなのだろうか?
それとも、少し議論を前進させて、現在の日米安保の枠組みの中での自衛隊の国防態勢は適切かどうかを議論すべきだろうか?現在の枠組みでは、日本は国防の第一義的な責任を負うが、在日米軍に日本を守る義務がある一方で、日本には米軍を守る義務がない。米軍は独自に戦う必要がある。米軍が攻撃されても、日本は米軍を守れない。これは適切なのかどうかを議論すべきだろうか?
私たち国民が許容できる「国防」(national defense)の境界はどこまでなんだろうか?私たちにとって一般的に、平均的に、受け入れることのできる「国家安全保障」(state security)ってどの程度のものなのだろうか?
私たちは果たして、こういう事柄について本質的な国民的議論を行ったことがあるのだろうか?
以下は、私たちを取り巻く一連の安全保障上の事実の数々である。
【事実】
- 1945年10月 国連憲章が発効。第51条に個別的自衛と集団的自衛の権利が主権国家の自然権として記載される。
- 1950年08月 警察予備隊が組織される。
- 1951年09月 旧日米安保条約が締結される。
- 1952年10月 警察予備隊が保安隊に改組される。
- 1954年07月 保安隊が改組されて自衛隊が創設される。
- 1957年12月 砂川判決の補足意見として、最高裁が我が国の自衛権を認める。
- 1972年10月 国会での政府答弁により集団的自衛権の行使は容認されないことが確認される。
- 1992年06月 PKO協力法が施行され、自衛隊がPKO三原則に基づき国連の集団安全保障措置に参加できるようになる。
- 2001年10月 国会でテロ特捜法が成立し、アフガニスタンで展開する「不朽の自由作戦(OEF)」の一環で海上阻止行動(MIO)に参加する他国艦艇に対し、海上自衛隊による補給支援の実施が開始される。
- 2004年01月 陸上自衛隊が初めて戦地(イラク)に派遣される。
- 2004年06月 武力事態対処法(有事法制関連7法)が国会で成立し、半島有事や台湾有事に対応する周辺事態対処法制が整備される。
- 2007年03月 防衛庁が防衛省に格上げされる。
- 2007年03月 中央即応集団(CRF)が創設される。
- 2007年07月 政府が国際刑事裁判所(ICC)設立条約(ローマ規程)に加入し、ジェノサイド、戦争犯罪、人道に対する罪について、ICCの管轄権を受託する。
- 2009年06月 ソマリア沖の海賊に対処するための恒久法として海賊対処法が国会で成立し、多国間協力として海上自衛隊がアデン湾に派遣される。
- 2014年07月 集団的自衛権の行使を容認し、国連及び国連以外の機関に承認された活動に参加する武力行使権限の拡大を容認する閣議決定が行われる。
- 2015年07月 国会衆院で与党単独採決により11法からなる安全保障法制案が可決される。←イマココ
覚えておくべきポイント:
- 自衛隊の合憲性に関する議論は決着していない。
- しかし現行の法制度では自衛隊は:
- PKO以外の任務では部隊行動基準(交戦規定)を適用できない。
- 軍事裁判所を持たない。
- 他国を攻撃する戦力を保有しない。
- 同盟国が攻撃されても迎撃できない。
- そして憲法上、日本は:
- 戦力を保有できない。
- 交戦権を認められていない。
- 国際紛争の解決のために、武力を行使したり、或いは武力による威嚇を行ったりすることができない。
- 集団的自衛の権利を有してはいるが、行使はできない。
- 今日に至るまで自衛隊は:
- 米国主導のOEF-MIOに参加するためインド洋に約9年間海上自衛隊を派遣していた(アフガニスタン)
- 米国が統治する戦闘地域に1度だけ約3年間派遣された(イラク)
- 2008年以降、海賊対処のためアデン湾に海上自衛隊を派遣している。
- ○以下の国で、約15件の国連支援ミッションに参加してきた。
- カンボジア (UNTAC)
- モザンビーク
- ルワンダ
- ゴラン高原 (UNDOF)
- 東ティモール (UNTAET/UNMIT)
- アフガニスタン
- イラク
- ネパール (UNMIN)
- スーダン (UNMIS)
- ハイチ (MINUSTAH)
- 南スーダン (UNMISS)
- 緊急災害救援活動として、以下の国に派遣されてきた。
- インドネシア (スマトラ津波災害援助/エアーアジア救命捜索)
- パキスタン (地震災害援助)
- ハイチ (津波災害援助)
- フィリピン (台風災害援助)
- マレーシア (ML370機航空機事故捜索援助)
- ホンジュラス (ハリケーン災害援助)
- トルコ (地震災害援助)
- インド(地震災害援助)
- イラン (地震災害援助)
- タイ (地震/津波災害援助)
- ロシア (潜水艇事故援助)
- ニュージーランド(地震災害援助)
- ガーナ(エボラ出血熱輸送援助)
これが、「自衛隊」という、我が国固有の防衛力を持つ実力組織がどのように実際に運用されてきたかの軌跡だ。更に、国内でも、阪神淡路大震災や、東日本大震災で災害救援活動を行ってきたことも忘れてはならないだろう。
「自衛隊」が合憲か違憲かにかかわらず、我が国が、実力のある、効果的で信頼のおける防衛組織を保有することは事実。そして自衛隊が、潜在的な脅威から何度も国土を守り、現在も在日米軍で併せて日本の主権と領土を守り続けているのは事実である。
これらは全て、ただの既定事実である。
Questions that remain unanswered
答えられていない疑問
新安保法制では、この自衛隊の任務、活動範囲、能力、そして米軍との相互運用性を拡大することについて、以下の疑問が投げかけられている。
- まず必要なのか?絶対に必要なのか?
- コストやリスクに対するメリットは高いのか?
- 何が変わり、何が変わらないのか?(参考)
- 南シナ海や尖閣諸島等の懸念のある地域の現状を変えることにといてどれほど有効なのか?
- 今の子どもたちが成長した時、将来どのような影響があるのか?徴兵は実施され得るのか?
政府与党は、国会で110時間以上も審議しても、90分間の生番組に出演して、炎を模したアメーバのような物体を駆使したジオラマを使って、これが国際情勢で、安保法制を適用することで火は集団的に消し止められなければならないと、全ての質問に総理自らが答えても、これらすべての疑問に対する明確な回答は未だ得られていない。
政府与党は、野党が国会で違憲性に関する審議に集中し過ぎたため、国民の十分な理解が得られていないと野党の責任にしている。政府からすれば、違憲性の審議は外堀的な価値しかなかった。しかし、違憲性こそは、これだけ物議を醸す重要法案の入り口の議論として不可欠であり、そこでは反論の余地のない政府答弁がなされなければならなかったのに、政府にはそれができなかった。与野党が招致した参考人は全て、安保法制には違憲な部分が幾つもあり、違憲であると判断せざるを得ないとした。
結果的に、審議は野党の同意なく110時間で打ち切られ、与党は委員会で強行採決を行い、本会議で可決した。このプロセスに、野党や国民のコンセンサスは得られていなかった。最新の世論調査では、最低でも全体の六割以上(実際は八割以上という説も)が、法案の審議や説明は不十分で、採決は時期尚早だという声を占めた。その結果として、累計20万人もの人々が国会議事堂や自民党本部前に陣取り、毎週のように抗議を行っている。
この国民の強い不満を和らげるためには、政府は今後56日以内に、少なくとも以下の5つの疑問に応えなければならない。
- なぜ必要なのか。
- どのようなコストやリスクが伴うのか。
- 短期・中期・長期的にどのような影響が想定されるのか。
- 現在の紛争の解消にどのようにして役立つのか。
- 国民の生活にどのような影響が長期的に想定されるのか。