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2015/11/20

【和訳】「表現の自由」に関する国連特別報告者がブログで綴った日本への公式訪問「中止」の経緯

20日付東京新聞朝刊より
来月12月1日から日本で訪問調査を行う予定だった国連人権委員会の「表現の自由」に関する特別報告者(Special Rapporteur on the Promotion and Protection of the Rights to Freedom of Opinion and Expression)である デビット・ケイ(David Kaye)氏は17日、先週14日に日本政府により突如、訪問実施の「中止」を伝えられた事実を自身でFreedex(※)のブログに綴った。以下はその全文の翻訳(英日併記)。
Freedexとは: 国連特別報告者であるケイ氏が個人として所属大学であるカリフォルニア大学アーバイン校(UCI)法学部の『国際司法クリニック』とのコラボレーションで運営する「表現の自由」(Freedom of expression)問題に関する活動サイト。サイトの免責事項には「当サイトは国連人権高等弁務官事務所により管理運営されておらず、その内容は国連の公式な立場を表すものではありません」と記載されている。 

Cancellation of Official Visit to Japan

日本公式訪問の中止
During my presentation before the Third Committee of the General Assembly in October, I was able to announce that the Government of Japan had issued me an invitation to conduct an official visit from 1 to 8 December. A visit would be an important moment to evaluate certain aspects of freedom of expression in the country, such as the implementation of the 2013 Act on Specially Designated Secrets (about which the Human Rights Committee expressed concern last year), online rights, media freedom, and access to information. I have previously met with Japanese officials and members of civil society to learn more about these issues and looked forward to a productive visit.

10月に国連総会第三委員会でプレゼンを行った際、私は委員会に対し、日本政府から12月1日から8日にかけての公式訪問に対する招待を受け取ったことを報告していた。この訪問は、2013年制定の「特定秘密保護法」の実施(国連自由権規約委員会が昨年懸念を表明)、インターネット上の権利、報道の自由、知る権利など、日本における表現の自由に関する一定側面の評価を行う重要な機会となりえた。
We had been deep in the work of setting up meetings and preparing for the visit. Unfortunately, last Friday, the Permanent Mission of Japan in Geneva indicated that my visit would not take place as the Government would not be able to arrange meetings with relevant officials. The Government suggested postponing the visit until the fall of 2016. 
これらの問題について過去に日本政府や市民社会の関係者の方々と協議してきこともあり、私は今回も建設的な訪問になるであろうと期待し、会合の設定や訪問準備にも深くコミットしてきた。しかし残念なことに先週金曜日、駐ジュネーヴ日本政府代表部は、関係する政府関係者との会合を調整できないため、訪問は実施できないとして、2016年秋まで訪問を延期することを提案してきた。
I asked the Japanese authorities to reconsider their decision, but the Mission confirmed to me yesterday that the visit will not go forward and is now canceled.  Of course, I hope that the visit will be rescheduled. In the meantime, we will continue to engage with the Government – as we do with all governments – through regular communications, meetings in Geneva and New York, and other opportunities as they arise.

私は日本政府当局に対し、決定を再考するように要請した。しかし昨日16日、駐ジュネーヴ日本政府代表部は、公式訪問は実施されず、中止となったことを正式に私に伝えた。無論、私としては新たに訪問日程がスケジュールされることを希望するが、同時に、他の政府と同様、日本政府には、日常的なやりとりやジュネーヴ、ニューヨークでの会合やその他の機会を通じて引き続き働きかけていく。
2015/11/17 David Kaye

2015/10/26

【コメント】イラク戦争の総括が未だ行えない日本~ブレア英元首相の「謝罪」報道を受けて~ #安保法制



及び腰な国内報道


長年「対イラク武力行使」として議論されてきたイラク戦争の正当な総括が、遂に戦争の最大の当事国の一つである英国の当時の元首相からもたらされた。このこ と自体は感慨深い。しかしその報道のされ方が、戦争に賛同したこの国において、やや”及び腰”であることには不満をおぼえる。

今回ログルでまとめた英紙デイリーミラーのハイライトは、英紙が報じたそのままのものだ。つまり、米英が始めた戦争の最大の当事者の一翼を担った英国のメディアは、あくまでブレアが戦争の過ちを認め謝罪したことに焦点を置いた。戦争当事国としての一大ニュースはその一点にあるのだ。


ところが国内の報道では、ブレアが「サダム失脚については謝罪しない」としたことを、さも両論併記の原則を保っているかのように報じる。CNNの番組につい て初報を打った英紙デイリーミラーでは「謝罪した」ことにフォーカスが置かれ、全世界の報道がそのことでもちきりなのにもかかわらず、だ。

また朝のツイートでも指摘したが、国内で初報を報じたとみられる朝日の記事は、その翻訳の内容からしておかしい。まるで、ブレアの発言の重さを”相殺”するかのような、実に恣意的な訳になっている。これで”両論併記”すれば、総合的には「謝罪しなかった」ことにウェイトがかかる。

なぜ報道価値があるのか


英紙デイリーメールがハイライトした3つのポイントは、ブレアが、①イラク攻撃理由となったインテリジェンス(情報)が誤っていたこと、②IS台頭を招いた (力の空白を生んだ)”第一の要因”であるという指摘に「幾分か事実」(element"s" of truth)があること、③現在のシリアの戦乱に至るまでの状況を生み出した責任があることを、それぞれ大筋で認めたことにある。

たしかにCNNの対談では、ブレアは「サダムを排除したことについては謝罪できかねる」と、結果的にサダムを失脚させたことの功績については頑なに否定しな い。しかし世界の関心事は、「認めなかった」ことよりも、「認めたこと」にある。戦闘終結後長年責任を”一切”認めなかった当事者が戦争の誤りを謝罪した のだから、それこそが伝えるべき価値なのである。

イラク攻撃の支持とイラク自衛隊派遣については、どのような教科書通りの 理屈があるにせよ、当時としては大規模な数万人規模の反対デモが行われたことを記憶している。同時期、お隣の韓国を含めた関係各国では数十万人規模だっ た。そのくらい、「正当性の無い戦争」として世界に見られていた戦争だった。

この”正義なき戦争”を(”正義のある戦争” などもともと存在しないが)、諸手で支持・支援した当時の自公政権、そしてその"後始末"であるイラク復興支援へという名の戦地自衛隊派遣に賛同した人間 は、イラク戦争がもたらした結果を重く受け止め、その道義的責任を負わなければならない。

はからずもこの戦争の最大の当事 者の一翼を担った英国首相は、現在のシリアの混迷した状況を生み出した要因がイラク戦争にあることを大筋で認めた。また単に「一理ある」という月並みな表 現ではなく、「幾分か事実」であることを認めた。つまり幾つかの事実が連なって今の状況を生み出したという認識を示したのである。これは実に重大な発言 だ。

中途半端に行われた政府内検証

では、まず①イラク攻撃を支持し、②その後始末の復興支援のため戦後史上初の戦地派遣というリスクを負ってまで自衛隊派遣を行ったわが国の政府はこのことをどう受け止めているのか。実は2012年12月、安倍政権の発足前、外務省により検証がなされていることは広く知られていない。

ただし、この検証報告には「日本政府が米英等の武力行使を支持したことの是非自体について検証の対象とするものではなく」という但し書きがついている。あく まで「外務省内における検討や意思決定過程」の検証であり、政府全体のものですらない。つまり、安保法制に基づく今後の集団的自衛権の行使に至る判断基準 を検証するものではない。

事実、外務省は「結果的にイラクに大量破壊兵器が発見されなかった現実がある中で,改めてこの期 間の政策決定過程を検証し,もって教訓を学び,今後の政策立案・実施に役立てるとの観点から行ったもの」でしかないことを認めている。もとより検証不足で あることは承知の上での公表なのである。

尚、この政府の検証内容に対し、JVC(日本国際ボランティアセンター)を含む国内の市民社会組織(CSO)6団体は、「検証の内容は不十分」として一蹴し、報告書の全面公開を要求した。だが2015年現在、この要請は受け入れられておらず、また国会内でもこの報告書を検討した事実は確認されていない。

参院での安保法制の審議の渦中、山本太郎議員がイラク戦争の総括を求めた背景には、こうした事実があった。民主党政権下で政治主導の下で行われた「検証」作業は、結局外務省の対応のみを検証するもので、政府全体とくに官邸側の判断を検証するものではなかったからだ。

山本太郎参議の審議で情報提供面で協力したとみられる、フリージャーナリストの志葉玲氏が事務局長を務める「イラク戦争の検証を求めるネットワーク」 がいまも活発に活動している背景には、政府による検証努力が不十分であり、かつ、その中で安保法制により、「次の戦争」に加担する体制が作られようとしていることがある。

先 日10月25日放送の『NHKスペシャル「新・映像の世紀」』の内容は、百年前の1918年に終結した第一次大戦の結果が、いかにして現代まで連綿と続く紛 争の要因となっているかを紐解いた。ではほんの十数年前の戦争は、現代の何の状況に影響しているのか。政府の一部の政策検証等で足りる問題ではない。

英国のブレア元首相は、イラク攻撃が、結果として「サダム失脚」の功績を生んだことを否定しないまでも、現在のIS台頭を招いた要因となったことを認めた。戦争には因果があり、それは次なる戦争の呼び水となる。この真理を認めたも同然なのである。

将来に大いなる禍根を残す安保法制の成立

わ が国の政府は国民の多くの反対を押し切り、国会規則すら満足に守らず、数の暴力によるゴリ押しで、同盟国米豪との共同軍事作戦を可能にする安保法制を成立 させた。満足な歯止めもなく、時の政権の政治的判断により、イラク戦争のように米国の戦争に賛同・支持し、又は参加する蓋然性が高まったのである。

イ ラク戦争時の政府全体、とりわけ首相官邸での意思決定・政策立案・検討・指図内容、責任の所在などの検証は、本来、安保法制を検討する時に、重大課題事項 として国会全体で検証されるべきことだった。また報道も、この必要性を強く主張し、現在に至る疑義のある政治判断として世論喚起を行うべきだった。

こうした総合的な検証と、これに対するメディアの批評による国民全体での検証なしに、私たち日本国民は安保法制という次なる戦争への安易な加担を可能にする法制を成立させてしまった。



イ ラク戦争がIS台頭と多くの難民を生み出す大きな要因となったように、これから日本が加担する将来の戦争も何らかの負の結果を生み、その【直接的責任】を 私たちや次の世代は負うことになる。集団的自衛権の行使容認により「戦争できる国」になるとは、そういうことなのである。


このことが意味する重大さの自覚なしに安保法制を支持し賛同した人間の発想は、安易で、短絡的で、かつ、利己的であると言わざるを得ないだろう。自らの思想信条を優先したがゆえに、将来に渡って、国全体に大きな業を背負わせることになるのだから。

2015/10/03

コラム:「ドイツで10万人近くが核兵器配備に反対署名」と報じるロシア国営通信の狙いから学べること

Nearly 100,000 People Protest Against US Nuclear Weapons in Germany

ドイツ当局に対し更なる核兵器の国内配備中止を求め嘆願

2015.10.01 露スプートニク

ドイツのメルケル首相、ガウク大統領、ドイツ政府に対し、10万人近い人びとが新型核兵器をドイツ国内に配備しないよう求める嘆願書に署名した。嘆願行動は、B61-12新型核爆弾20基をドイツ国内のビューヘル(Büchel)空軍基地に配備する計画が進められている中で行われた。同計画は、NATO北大西洋条約機構のニュークリア・シェアリング計画の一環として実施されており、国内外で懸念の声が発せられている。

同計画に反対する活動家らは、社会的変革を求めるプラットフォームである Change.org, を通じて嘆願行動を起こし、ドイツ連邦政府に対し、NATOによる核兵器配備への協力を停止するよう呼びかけた。嘆願書では、核配備計画を進めることはNPT核不拡散条約の第1条と2条、そして「国家間の友好を阻害する意図を持って行われる行為、とくに侵略戦争の計画は違憲であり処罰に値する」と規定するドイツ憲法の第25条パラ1に違反すると主張している。

2010年3月、ドイツ連邦下院議員の多くは、「同盟国の米国に対し、米国製核兵器をドイツ国内から撤去すること」を連邦政府に求める決議に賛成した。しかし、Focus Onlineによると、核軍縮どころか、米国は更に、広島型原爆の80倍の破壊力を持つ20基の核兵器を追加でドイツ国内に配備しようとしている。

嘆願書にはこう書かれている。

「計画が攻撃兵器の強化を目的とするものである以上、我々は連邦政府、連邦議会、及び首相、連邦大統領に対し、ドイツの国土における核兵器配備の停止を求める」と。

「情報戦」の意図を見極める冷徹な目を持つために

ドイツで広島型原爆の80倍の核兵器(原子爆弾)が配備されようとしている。これに反対する10万人規模の署名が集まった。ここまでは事実だ。だが、このことを積極的に報じているのはロシアのスプートニク(旧国営放送「ロシアの声」)だ。ここは差し引く必要がある。

「ロシアの声」は「ロシア国営ラジオ局で、1929年から海外放送を開始。ロシア政府による予算で運営されており、国際社会に対して、ロシアの生活や世界情勢に対する見方などを紹介する」ために存在する。その国営放送が、「ロシアの声」改め、「スプートニク」へと改名を発表したのは今年3月のこと。リア・ノーヴォスチ通信と合併して、世界の情報通信網を強化して生まれたのが、スプートニクだ。つまり情報戦の一環だ。

だが、ここで平衡感覚を失ってはならない。敵対する国、敵と想定する仮想敵国同士が、このように情報戦を展開することは、国際社会では常識だ。かといって、その表層の事実(敵対関係にあること)で、発信される情報を全て「情報操作」と安易に受け取ってはならない。

ロシア国営通信である『スプートニク』がドイツでの核配備問題を積極的に取り上げ世界に発信するのは、何も「情報戦」の中で比較優位に立つためだけではない。 そこには偶発的核戦争を抑止する意図も含まれている。元よりロシアも、核軍拡競争の拡大を望んではない。

冷戦時代、旧ソ連が米国に敗北した原因は経済だった。産業競争力と工業生産力を併せ持つ超経済大国アメリカは、核軍拡競争を続けてもソ連に勝てるだけの余力を持っていた。ところがソ連側は違った。ソ連経済は膨大な国防費負担で疲弊し、国民の生活は困窮した。

熾烈な核軍拡競争の末、旧ソはアメリカの強大な経済力の前に崩壊した。ロシアはこれを苦い教訓としながら、今度は経済に力を入れ、その結果として今の経済大国ロシアがある。核軍拡競争に敗れたロシアにとって、再びその呼び水となる米国の行動は無用な挑発でしかない。

ただでさえ、今は中国の経済不安の煽りで世界経済が不安定な時。こんな時にアメリカの核軍拡競争への呼び水を受け入れたら、そのままとめどのない競争に引き込まれる。しかしロシアは冷戦で重大な教訓を得た。いかに経済力があっても国防産業のみで国は成り立たないと。

こうした総合的なコンテクストで考えると、国営通信『スプートニク』がアメリカの新型核爆弾のドイツ追加配備を積極的に報じるのは、単にその計画自体を思い留まらせる国際世論を作り出すためではなく、その計画の背後にある思惑をも打ち砕くための先手なのだろう。

この『スプートニク』の記事のように、こうした国家の思惑を反映した「情報戦」というのが国際社会では日常茶飯事ではあるが、それが必ずしも好戦的な目的をもってのみ行われるものではない。平和裏に国民の平和と財産を守るための「情報戦」も存在するのだ。

しかし残念ながら、日本にはこうした高度に平和的な情報戦を展開できる能力はない。それは仮想敵国中国も同じことだ。米ソ冷戦がなぜ冷戦のままで終わることができたか。それは各国が長き冷戦を通じて、よくもわるくも成熟したからだ。が、日中関係は成熟していない。

安倍政権下、保守たる本分を忘れた、国際社会に「極右」と警戒される国粋主義的な自公政権下で、日中が現在の米ロのような情報戦を展開できると考えるのは希望的観測だ。その分、私たち国民は日中間で展開される情報戦を冷静に見極める目を養わなければならない。



Translation: Office BALÉS News

2015/07/09

和訳:2015.07.05国連ユネスコ世界遺産委員会で日本の佐藤全権大使が読み上げた forced to work に言及する声明の問題箇所(頭出し済み公式動画付き)



The Government of Japan respects the ICOMOS recommendation that was made from technical and expert perspectives. Especially, in developing the “interpretive strategy,” Japan will sincerely respond to the recommendation that the strategy allows “an understanding of the full history of each site.” 


日本政府は、技術的・専門的見地からなされた国際記念物遺跡会議(ICOMOS)の勧告を尊重します。 とりわけ、「個々の遺産の歴史の全容が理解できるものであるべき」とする『説明戦略』の展開に関する勧告について、我が国は真摯に応えてまいります。

More specifically, Japan is prepared to take measures that allow an understanding that there were a large number of Koreans and others who were brought against their will and forced to work under harsh conditions in the 1940s at some of the sites, and that, during World War II, the Government of Japan also implemented its policy of requisition. 


より具体的には、我が国には、1940年代、遺産の一部において朝鮮人その他の多くの人びとがその意思に反して連れてこられ、過酷な環境下での労働を強いられたこと、並びに、第二次大戦中、日本政府が徴用政策を実施していたことについて、理解できるようにする施策を実施する用意があります。

Japan is prepared to incorporate appropriate measures into the interpretive strategy to remember the victims such as the establishment of information center.


そのため、我が国は、犠牲者を祈念するための情報センターの設立等の適切な施策を説明戦略に盛り込む用意があります。

2015/07/04

【書き起こし】7月1日平和安全特別委員会での伊勢崎賢治氏の意見陳述 Vol.2 by 田中 遊梦さん

【7月1日平和安全特別委員会での伊勢崎賢治氏の意見陳述 Vol.2】


伊勢崎賢治氏の意見陳述本当の書き起こし後半部分、いよいよ核心内容です。
これは戦争法案の根本的な問題点を突いた、すごい発言でした。
この言葉を聴いて戦争法案の強行採決なんか、本来なら(まともな精神なら)できる訳ありません。
映像はこのリンクでご覧ください。(※前半起こしと動画はこちら

(※以下、字を大きめにしてあります)

伊勢崎賢治氏の意見陳述 書き起こしVol.2


じゃあ、この中で日本の自衛隊はどうするのか?
繰り返しますが、昔と違って停戦が破られても撤退はできません。
そんなんだったら「最初から来るな」って事です。
例えば陸上自衛隊の施設部隊が兵站活動の一環として道路建設をしていると考えてください。
そこに、武装グループに追われた住民が助けを求めて駆け込んで来、そしてその時、住民に銃口が向けられていたら、例え銃口が自衛隊に向けられていなくても応戦しなければなりません。
また、保護した住民の中に武装グループが紛れていたらどうするか?住民と戦闘員の区別はつきません。
その結果、住民を誤射してしまう場合があります。これはPKOの現実としてしっかり想定するべきです。
一方、日本ではそう云う武装グループは「国家、もしくは国家に準ずる組織(国準)」ではなく、「そう云う連中への武力の行使は国際法での武力の行使には当たらない」という議論をしている。
この日本独自のロジックは、現代の国際人道法の運用には全くありません。
って云うか…「国家、もしくは国家に準ずる組織」て勝手に想定し、国際人道法に関係なく「殺せる」って事に取れますので、もしこれを英語に訳して発信したら大変なことになるので、絶対しないで欲しい。
自衛隊員が任務遂行の中で誤って住民を傷付けてしまったら、これは過失です。
非戦闘員を多く殺傷すれば、それを国際人道法違反と判断されます。
PKOでは、国連が一括して地位協定を現地と結ぶ事で「現地法からの訴追援助の特権」を国連PKF全体に付託します。
PKF部隊が過失を起こした場合、国連には軍事法廷はありません。各国の軍法に裁く事になります。
なだめるには「ごめんなさい、でもあなた達の法律よりもっと厳しいうちの軍法で裁くから許してね!」って言うしかない。
でも日本は「軍法」がないので、この言い訳ができません。
その結果、国際人道法違反としてこれは非常に重大な外交問題に発展します。
軍法がないなら、海外での自衛隊の過失はどう裁かれるか?
これは日本の刑法しかありませんが、国外犯規定があり、日本人が海外で侵す「過失」は裁きません。
その為、この過失を「犯罪」として裁くしかありません。自衛隊個人が犯罪として責任を負うのです。
これは重大な矛盾です。
自衛隊の皆様は「国防」に命を懸けるのはやぶさかではないと思っているはうです。
しかし、国防以外の事です。
「以外の事に命をかける」のは、それ相応の大義が必要です。
「国際平和に死する」…こう云う大義名分は簡単に言えます。
しかし、何が起こっても最終的に国家が全責任を取るという法整備をしているでしょうか?
僕はしていないと思います。
これ無しに、命を懸けられる大義は生まれません。
これは今回の安保法制の問題ではありません。
1992年のカンボジアPKO派遣以来、現場に送られて来た自衛隊だけが抱え込んで来た矛盾であります。
自衛隊の根本的な法的地位を国民に問う事無しに、自衛隊を海外に送ってはなりません。

【書き起こし】7月1日平和安全特別委員会での伊勢崎賢治氏の意見陳述 Vol.1 by 田中 遊梦さん

【7月1日平和安全特別委員会での伊勢崎賢治氏の意見陳述 Vol.1】


伊勢崎賢治氏の意見陳述本当にすごかったですね!
これは戦争法案の根本的な問題点を突いた、すごい発言でした。
この言葉を聴いて戦争法案の強行採決なんか、本来なら(まともな精神なら)できる訳ありません。
映像はこのリンクでご覧ください。
映像の大まかな書き起こしをしましたが、長いので、2つに分けて投稿します。
前半はPKOの現代までの流れを説明しています。
Vol.2の方が今回の戦争法案への反対意見としての圧倒的な反論になる内容なのですが、このVol.1もその前提説明になっているので、よかったら読んでみてください。

(※以下、字を大きめにしてあります)

伊勢崎賢治氏の意見陳述 書き起こしVol.1


PKOとは国連安全理事会が承認し、国連が総合指揮を執るものです。
そもそもPKOとは、武力介入という強制措置でありながら、紛争当事者全ての合意があると云う、つまり国連憲章において第6章と第7章の中間にある第6章半と言われていました。
多くの場合、ある紛争国の政府と反政府勢力の間に内戦が起こってやがて停戦になると…その双方が中立であるPKOが割って入るという、これを認めている状態です。
ですからその時代のPKOというのは、主要任務は停戦監視が筆頭任務でした。
PKOの軍事部門である国連平和維持軍(PKF)は、自動小銃などの軽武装、そしてできる限り大所帯で行くという、これで現場を確保して停戦が破られないように抑止力として機能するという、こう云う考え方が一般的でした。
我が国のPKO参加五原則と云うのは当時のそういう前提に生まれたものだと理解しています。
PKFを軽武装で大規模にするというのは、国連はあくまでも中立性を保ちたい、もしくは国際人道法、戦争の当事者になりたくないと云う、国連の意思の表れであります。
国際人道法とは人道的な戦争を行うための「流儀」を示したものです。
つまり、攻撃して良いものといけないものを区別する、もちろん、攻撃していけないものは「一般住民」です。
こう云う戦争の人道面に関する立法化を、人類は試行錯誤して来ました。
その大元になるのが、1949年のジュネーブ諸条約です。
でもこの時でも、想定する戦争するのは「国家対国家」でした。
その後、内戦の時代を迎えます。で、国際人道法が想定する戦争の定義が拡大します。
内戦とはある一国の中だけで完結しないのです。
例えば、アフリカのそれのように、植民地時代に引かれた人工的な国境を反政府勢力が跨いで活動すると、こう云う事が一般的です。
つまり周辺国同士の政治が複雑に絡んだ構造、それが内戦です。
ですから、今日では極めて国内化したものになっています。
停戦の監視をを前提としてPKFが派遣され、もしその目の前で停戦が破られ戦争が始まってしまったらどうするか?
この場合、PKFはどうするのか?
この問題は国連の法務局と国際法研究者の中でずっと議論されて来ました。
まず、PKO(PKF含む)の要員はこれを攻撃する事は国際法下では、違法とされています。
これを「PKO要員の保護特権」と云います。
でももし、PKFが武力行使をしたら、その保護特権はどうなるのか?
「国際人道法」はご存知のように、交戦したい同士がお互いを合法的な攻撃目標とし、「人道的な戦争をする流儀」を定めたものです。
ですからその一方だけが、保護特権を持つと云う事は概念上許されません。
よってPKOが自ら武力行使をしたら、その保護特権は失われる、そして交戦相手と同等になるという考え方が定着している。
ですが利害の関係のないもめごとに首を突っ込むことですので、本来ならやる気が起きません。
しかし1994年、後にPKOの行動指針を根底から激変させる事件が起こります。
アフリカのルワンダの多数を占めるフツ族と反政府派のツチ族で内戦が行われ続け、停戦になった時PKOが発動され、PKFが派遣されました。
この時、この殺戮を首謀したのが政府側フツ族です。この時、現場のPKF司令官は住民を保護するための武力行使を進言します。
しかし、安保理はこれを却下します。同時にPKFに兵力を提供していた国々が離れてしまった…
その結果、100日間で100万人の住民が殺されてしまった。これが「ルワンダの大虐殺」です。
これを契機として「保護する責任」が生まれました。
その際には武力の行使も構わない、これは保護する責任って云う考え方で「内政府干渉の原則」とバッティングします。
一方で1999年、国連事務総長官報として全てのPKFは国際人道法の紛争の当事者になる覚悟を持てと云う宣言をします。
そしてPKFは住民の保護が主要任務になります。
今は「停戦の監視より住民の保護が優先される時代」となりました。
つまり「停戦が破れ、戦闘状態になってもPKFは撤退しません」「住民の保護の為に武力行使をします」
って云う事は「停戦が破れたら活動停止、そして撤退」という我が国のPKO五原則はここで、根本的に見直さなければなりません。
PKFの任務激変に伴い、それに兵力を提供する先進国からの派兵は激減しており、それに代わり既得利権感を持つ周辺国が有効と変わってきている。
こういう状況で日本のような先進国に何が期待されているのか?
まず資金、でもただ金を出すばかりではありません。
このようにPKF自身が好戦的になっていますので、PKF自身が国際人道法違反しないように司令部のポストを狙います。
または国連軍事監視団、これは「安保理の目」と言われてまして、PKFでさえ、その監視の対象になります。
このようにPKOの中立性が失われる中で、最後の砦が「国連軍事監視団」であり、非武装の軍人がやることが原則です。
以上、PKOを取り巻く激動する環境を説明しました。

(※後半起こしと動画はこちら

2015/02/11

個別的・集団的自衛権に関する最新議論~米国務省法顧問のヨルダンに関する記事から~

個別的・集団的自衛権に関する最新議論(ヨルダンの場合)


7日付で興味深い寄稿記事が法律関係者の集まるブログサイトに掲載された。バージニア大学法学部助教授で元米国務省政軍関係担当法務顧問を務めたディークス女史(Ashley Deeks)が書いたもので、仮にヨルダンの"報復"としてのISIS空爆が個別的自衛権に基づくものであるならば、”比例する手段と規模”でなければならないというものだ。


ヨルダンはシリアと友好国ではない。したがって、ヨルダンが有志国連合軍に参加する正当化事由は、シリアのための集団的自衛権の行使ではなく、イラクのための集団的自衛権の行使である。しかし、今回ヨルダンが行った空爆は、自国民の殺害に対する報復しての攻撃。即ち、個別的自衛権に基づくものだった。というより、でなければ説明がつかない。

ヨルダンによる空爆が、”人質1名の火刑”に対して、比例的であるか、という議論は国内でも少しは聞かれるが、国内の国際法の専門家がこの問題を提起している議論はあまり聞かれない。しかし、これは日本において「自衛権」を考える際にも重要な考察のポイントであると思われる。

ディークス女史は、まずそもそも、"火刑"を「武力行使」と捉えてよいのかどうかを疑問視する。しかし、ヨルダン外相は、「どこにいようとも、全力で連中を叩き潰す」と、パイロットの死に対する報復で空爆を開始したことを明言している。

つまり、国際法上、ヨルダンの行動を説明するには、ヨルダン政府がパイロットの死を武力行使と受け止めていると解釈される。そして、その場合、国際法上の「武力行使要件」を満たすかはこの際別として、ヨルダン政府は空爆を武力行使に対する比例的手段だと捉えていることになる。

国家首脳の発言の重さ


ここでディークス女史は、主権国家が歴史上往々ににして、国外の自国民に対する攻撃を防止する名目で、「自国民に何かがあれば攻撃する」という文句をのちに個別的自衛権の発動による武力行使の”前提条件”とする場合があることを指摘する。

ここで、最近安倍首相が行った発言を振り返ってみよう。

「必ず償わせる」
「日本人には指一本触れさせない」

もしヨルダン外相のような発言が、国家が個別的自衛権を発動する前提条件として認められるのならば、安倍首相は国際法の解釈上、既に個別的自衛権の行使を前もって宣言していることになる。国家首脳の発言がいかに、国家の宣言として重要な意味を持つかがわかるだろうか。

そもそも「武力行使」とは?


武力行使の発動要件は、集団的自衛権を巡る議論でも散々取り上げられてきたし、また政府にとっても閣議決定の核を占める問題だった。だが、そもそも「武力行使」とは何か。我々は理解しているのだろうか。

武力行使(use of force)とは、平たくいえば、「国家又は国家に準ずる主体が、自己の主権を守るために武力により実力を行使すること」をいう。国家の主権とは、領土・国民・機能する政府で成り立ち、即ち国民を守るために行う武力による実力行使も、武力行使と定義できる。つまり、主権国家には、国民を守るためには武力行使を行ってよいという、自然の権利が備わっていると考えられている。

911への"報復"として行われたアフガン攻撃は、米英共同の軍事作戦として、個別的・集団的自衛権の行使として行われた。その理屈はこうだった。

”2001年9月11、アフガニスタンのタリバン政権は、アルカイダを匿い、一体となって米国に敵対し、大規模テロという敵対行為を行った。タリバン政権は実効支配政権で、国際的には認められていなかったが、国家に準ずる組織であり、その組織が庇護するアルカイダが911テロを起こした。したがって、実行犯であるアルカイダ及びこれを匿うタリバン政権は、アメリカの国家安全保障上の脅威であり、主権を侵害した。なので、民間航空機による同時多発的な自爆テロという手段に対し、空爆で応じる。”

こうして始まったのが、来年2016まで続くといわれるアフガン戦争である。実に15年にも及ぶ戦争で、その成果はどうであったかというと、犠牲や破壊が圧倒的に多く、復興・建設需要を起こしただけで、タリバン政権は壊滅したものの、アルカイダは生き残り、現在はイラクのアルカイダとISISを生み出し、いまも増殖中である。つまり、勝てない戦争だった。それは、個別的・集団的自衛権に基づく非対称的な主体に対する武力行使のひとつの歴史的顛末である。


「巨額の戦費と失われた人命と引き換えに得られたものはほとんどない。それさえもわれわれが撤退すれば長くは存続しないだろう」CIAでパキスタン・イスラマバードの支局長を務め2006年にCIAを退職したロバート・グレニア氏


話は戻って、ヨルダンのパイロット殺害についてISISが行ったのは、ISISの空爆に参加したパイロットを拘束して略式処刑しただけのことである。つまり、軍人を拘束し、ジュネーヴ条約の戦争捕虜の取扱には則らないが、軍人として処刑した。これは、戦争では当然のことである。

軍人として武力行使に参加した人間を、敵側が軍人として処刑することは「武力行使」になるのだろうか。否、軍人という戦争捕虜を、敵国が処刑することを決め、実行しただけのことである。その方法がなんであれ、極刑は極刑であり、国によって絞首刑もあれば、斬首刑もある。

とことんドライに考えるとそういうことである。

その手段が「火刑」であれ「銃殺」であれ、それは敵国の軍紀のようなものに従って行われている。もしそうでなければ、軍の統制が執れていないことを意味する。したがって、どのような形をとろうと、それは「武力行使」ではなく、単なる捕虜の処刑手続に過ぎない。誘拐拉致された一般人の処刑とは性質が違い過ぎるのである。

「イスラム国」は国家足りえるのか?


ISISは「イスラム国」を名乗るが、その実態として国家として機能しているか、或いは定義できるかは疑問だ。まず、基本的に国家の要件である、領土・国民・政府を満たしているのか。なるほど実行支配している地域はあるかもしれないが、国家としての統治を行う機能する政府は存在するのか。

実はこの疑問をもっとも抱かせるのが、今回の邦人人質殺害事件で自称「イスラム国」が用いた通信・伝達、即ち外交的手段である。それは、無かったといっていい。およそ、近代の国家が用いる手段ではない。ソーシャルメディアを通じた脅迫が国家の外交行為?茶番もいいところである。

私は以前、ISIS自爆要員を名乗る者と”対話”を試みたことがあったが、その中で、国家成立の三要件を並べたら彼は黙ってしまった。若干22歳と語る(そしてそのように振る舞う)彼の知識レベルがISIS戦闘員全般のレベルとは決めつけられないが、少なくとも彼はISIS=「イスラム国」の一員でありながら、国がなんたるかの理解を持っていないようであった。

もっとも、彼らの信奉するシャーリア法では、「国家」の定義は近代国際法における定義とはまるで異なるのかもしれないが、それでも”国家”を名乗る限りは、より大きな”国際社会”の一員としての振る舞いを求められる。国家として認められたいならば、国家であることを証明しなければならない。それが、”国際関係”の成り立ちであり、であるからこそパレスチナのような準国家的存在は、その正当性を主張するためにあらゆる努力を行っているのである。

したがって、「イスラム国」は近代国際法の定義における国家ではなく、「イスラム国」という名の過激派組織でしかないという結論に達する。即ち、「国家に準ずる組織」であるという認定が、現代国際法では精一杯ということだ。



「国家」でないことの功罪


まともな外交手段もなく、決まった領土も国民もなく、外交権を発揮することのできる機能する政府を持たない「イスラム国」(以下、ISIS)は、"国家"ではないことはわかった。では、「国に準ずる組織」であるとしたら、ISISの行うテロ行為は「武力行使」と捉えることができるのだろうか。とくに、ヨルダンのパイロット拘束・処刑は?

戦時国際法(ジュネーヴ諸条約等)により国際紛争であれ国内紛争であれ、交戦状態にある国家では戦争捕虜の取扱に関する規定が適用される。とくに捕虜の取扱については、いわゆる追加議定書が適用される。日本も2008年にやっと、武力事態対処法(有事法制関連7法)の一部として加入した。国際刑事裁判所に加入するための法整備の一環であった。

世界の殆どの国は、この戦時国際法(国際人道法ともいう)の庇護と制約を受ける。戦争捕虜の取扱いには了解事項があり、これに違反する重大な行為は国際刑事裁判所の管轄となって裁かれるという、国際刑事司法システムが現在は確立されている。ISISが国家ならば、まずはこうした国際人道法を遵守する姿勢を見せる必要がある。しかし、彼らはそうしない。

一方で、厄介な問題がある。

かつて911以降、キューバのグアンタナモ基地やイラクのアブグレイブ刑務所に拘束者を収監した米国は、ブッシュ政権下で彼らを「戦争捕虜」 "prisoner of war"ではなく、「不法戦闘員」 "enemy combatant"であるとして、ジュネーヴ諸条約の適用外であるとしたことがあった。そして、基本的公民権の一つであるhabeas corpus(人身保護請求権)を否定した。

しかしその後、連邦最高裁によりこのブッシュ政権の判断は違憲とされ、その後、米国はテロとの戦いの中でもジュネーヴ諸条約を遵守するようになった。米国にもそんな暗黒の歴史があった。そして現在もオバマ大統領は様々な政治的障害のおかげでこの悪名高きグアンタナモ収容所を閉鎖できずにいる。

先の新国家安全保障戦略(NSS)の発表でスーザン・ライス国家安全保障担当大統領補佐官は、グアンタナモに収監されていた囚人の半数を移動できたと報告していたが、オバマ大統領が就任してからもう二期目である。ブッシュ政権が残した負の遺産であるグアンタナモ問題は、オバマ政権の大きな悩みの種のひとつといえるだろう。

つまり、米国は実は、この「不法戦闘員」のことを対外的に強く言える立場にない。もしISISが捕虜の扱いについて「不法戦闘員」を持ち出したら、米国は過去に修正した歴史があるとはいえ、扱いに困るだろう。おそらく米国民はそんな不名誉な歴史は都合よく忘れ去っているだろうが。

ISISが国家であってもなくても、それが自動的に国際人道法を順守しなければらない訳ではないということを、図らずしも対ISIS空爆作戦を主導する米国が、悪しき前例として残してしまっているのである。国際法を遵守する姿勢のなかった国に、国際法を遵守しない非合法集団を糾弾する資格はない。それは英国も同じである。

米英の作った悪例により、ISISは悪びれないで堂々と国際人道法を無視する。それを糾弾することはできるが、だからといって彼らが自称する「イスラム国」を国家或いは国家に準ずる組織として認めてしまったら、それはタリバン政権のように実効支配のできる勢力であることを認めることになる。ただのテロ組織ではなく、反政府勢力としてその正当性を認めることになるのだ。

このように、「イスラム国」を国家或いは国家に準ずる組織として認めるかどうかは、有志国連合軍によって痛し痒しの問題である。国家として認めなければ国際法が適用できない。国家に準ずる組織として認めれば、テロ組織ではなく反政府勢力と捉えなければいけなくなる。そして、最終的にはこの問題にぶち当たる。

「国家に準ずる組織」による拘束・処刑は「武力行使」か


かつて911後のアフガン攻撃の標的となったタリバン政権は、実効支配政権だった。しかし、「政権」"regime"として認められていた。アフガン内戦を勝ち残り武力で全土を制圧したタリバン政権には、外務大臣がおり、即ち外交権を持っていた。外務大臣は政権のスポークスマンとなり、度々報道の場に表れた。現在の「イスラム国」のように、固定のスポークスマンがいない体制とはまるで異なり、正に、準国家的な存在であった。

アフガン攻撃時、米英及び有志国はタリバン政権を認めていなかったが、結局交渉のチャンネルは外交ルートを使って行うしかなく、実質的には国家扱いしていた。そのタリバンが、直接ではなく、国際テロ組織アルカイダを匿い、訓練する場を与え、脅威であり続けるというのが、米英がアフガニスタンという主権国家に対し、個別的及び集団的自衛権の行使に基づく武力行使を行った理由であった。

つまり、タリバン政権は直接米英に武力行使を行っておらず、また米英側もそういう認識ではなかった。にも関わらず、米英はアルカイダを匿っているとされるタリバン政権を崩壊させるために、「自衛権」と称して武力行使を行った。アフガニスタン攻撃が、国際法でいう「侵攻」 "invasion" や「侵入」 "intrusion"に当たるのはこのためである。ちなみに、2010年6月以降、この「侵入」や「侵攻」は国際刑事裁判所が管轄する「侵略犯罪」"Crime of Aggression"の定義の一部として解釈される。

他国が「イスラム国」を国家であるか或いは国家に準ずる組織とするかは、それぞれの国の認定基準に基づく問題なのだが、厄介なことに、そう認定しない限り、イスラム国に対する空爆という個別的(イラク・シリア)・集団的自衛権(有志国連合軍)の攻撃手段は、イスラム国の行っている"攻撃"が一般人・軍人の拉致・拘束・拷問・処刑なのだとしたら、あまりにも反比例的である。

先にも定義を示した通り、武力行使とは、「国家又は国家に準ずる主体が、自己の主権を守るために武力により実力を行使すること」を言うのであって、自らを国家とみなす「イスラム国」”内”で起きる拉致・拘束・拷問・処刑は、単なる司法・警察行為でしかない。ISISというテロ組織ならば、それは”犯罪行為”となるが、イスラム国を実効支配力のある国家に準ずる組織と認めた途端、それは国家に準ずる組織としての警察主権の行使となる。「武力行使」ではないのである。

アフガンロジックを適用するとシリアもイラクも「敵国」にならざるを得ない


このロジックに関する議論は、ほとんど行われていない。ISISをテロ組織として認定するならば、国家は警察権しか行使できない。それでも武力行使を行うなら、それは、911のロジックでえばISISを匿うシリア或いはイラクに対する武力行使となるのである。だが厄介なことに、イラク政権もシリア政権もISISを抵抗勢力とみなし攻撃している。つまり有志国連合は、イラクもシリアも攻撃できないし、本来は主権侵害(侵攻・侵入)もできない。

国際法に照らせば、イラクは親米なので国内の反政府勢力に対する”支援”を英米に仰ぎ、その同意を得て同盟国に対する集団的自衛権を行使しているというのが建前になる。しかしシリアからは同意が得られておらず、シリアが米英軍の自国領内に対する攻撃を「侵略行為」と非難するのは最もなのである。

有志国連合軍に参加するヨルダンも、立場は同じである。そしてこれから参加する日本も、基本的に立場は同じである。イラクは同意しても、シリアは同意しない。ISISを「イスラム国」という国家に準ずる組織として認めるならば、シリアの主権(警察権)を侵害することはできない。それでも武力行使する有志国連合軍は、実は無法者集団なのである。

なしくずしに法秩序が崩壊する危険を孕む『新テロ戦』


元米国務省顧問のディークス女史は、ヨルダンが有志国連合の一員として、或いは独立国家として、どの意図で”報復”の空爆を行ったのかは、「今後のヨルダンの言動によって明らかになるだろう」としている。女史のいうように、仮にこれまでの言動が純粋に「政治的動機」と計算に基づくものであったとしても、「イラクに対する集団的自衛権の行使」という自らの法的立場をどう維持するのか、あるいは変えるのか、変えるとしたらどうやって、どのようなロジックで変えるのかが、今後注目される。

もし主権国家が武力行使の判断を行う基準を曖昧或いはうやむやにするようであれば、それは悪しき先例となり、また現代の国際関係を維持する国際法秩序の崩壊を意味する。本来なら、今般のヨルダンの攻撃は、国連安保理の検討事項となってもおかしくないのである。それがまったくなされないで、問題視もされず、看過されるのであれば、今後ヨルダン以外にも同様の行動の国をとる国が現れるだろう。それが、この新テロ戦が孕む危険性―法秩序の崩壊の促進だ。

実際、すでにUAEがヨルダンに続いている。
米国も、シリアへの空爆を再開した。

我が国日本がこうした情勢をどう見て、どう判断し、どう行動するのか。国際法秩序を維持する責任を負う、次期国連安保理非常任理事国として、賢明な判断が求められるところである。

以上

2015/02/03

【緊急コラム】邦人人質全員死亡事件: 政府にはどのような責任があるのか #IamNotAbe #IamKenji

大本営発表ここに極まる(3日の読売)
政府にはどのような責任があるのか


2日付けのリテラも挙げていた政府の明白な責任は3つある。

両人質拘束後、官邸が解放に向けて本気で動こうとしなかったこと
交渉の窓口をトルコではなく、ヨルダンとしたこと
中東歴訪でぶちあげた2億ドル支援だ

第一に、①14年8月・10月以降人質解放交渉に真摯に取り組まずに今年1月まで放置してきたこと。第二に、②15年1月以降の解放交渉を自ら行わずまた妥協もせずに他国(よりによってヨルダン)に丸投げしたこと。第三に、③解放交渉中にあからさまに犯人勢力を刺激する言動をとったこと。

①はまず『言語道断』だが、解放交渉中に解散総選挙を行うというのはもはや常軌を逸していると言わざるを得ない。自国民の保護は国家の第一義の義務である。NSCの陣頭指揮を執ってことの迅速な解決に当たらなければならない首相が自らも選挙に出馬し遊説に回っていたのである。その間何ができたのか政府首脳部の怠慢の検証が必要だろう。

②「両名を殺害する」と、犯人グループにより明白に国民に危害を与える表明がなされていたにも関わらず、ただ「テロには屈しない」の一点張りで何の譲歩もせず、交渉もせず、まず人質一名を死に至らしめた。この過程で政府が行ったことは、交渉・妥協をしないで他国(よりによってヨルダン)に汚れ役を任せる。それのみである。

任せられた王国ヨルダンはさぞ困惑したことだろう。すでに同国はISISと死刑囚の解放について12月から交渉を行ってきていたからだ。そこに、国民が望む英雄との交換ではなく、単に経済支援国であるという理由だけで義理のある日本の人質と交換するという条件を突きつけられたのである。結果、ヨルダンはパイロットの交換を優先し、交渉はISISの目論見通り決裂した。

これで仮に、日本の行動の結果、パイロットが殺害されていたとしたら、日本政府はどのようにして責任をとるつもりだろうか。解放を訴えるデモを起こしている百数名のパイロットの親族にどう申し開きするのだろうか?

大いなる禍根を残したと言わざるをえまい。
もちろん、多大な援助をもらっている手前公に批判はしない。

③水面下で外務省が交渉を行っているなかで、官邸側はそれを知りながらその動きを全く無視し、外務省の警告も無視して独自のアジェンダで中東外遊を企画・指図し結果的にテログループに要求を表面化させる絶好の機会を与え、既存の人質二名を危険に晒した。

その結果テログループに演説の言質をとられる始末で、演説で表明した金額そのままを身代金に要求された。230億円という法外な金額は、どの国家も支払きれないし、支払わないだろう。そのことは既に前提にあって。その上で何をなすべきか政府は検討するべきだった。


 幻の軍事オプション

しかし軍事オプションは初めからなかった。仮に自衛隊に邦人救出任務が付加され超法規的に許可されたとしても、他国における軍事行動は憲法以前に国連憲章により厳に禁じられる。シリア政府から①許可あるいは②要請されるか、③国連安保理決議により集団安全保障措置として当該行動が明示的に許可されていない限り、仮に国内法制が整備できていても自衛隊を派遣するオプションはなかったのである。

有志国連合軍が成立している背景には、そもそもシリアに対する軍事作戦が中露の反対により国連授権の活動として容認されていないからだ。即ち、安保理に許可された行動としての軍事行動ではないため、日本は国連中心主義を掲げる現行の法体系では参加しようがないのである。かといって、敵対するシリア政府から要請を受けられるわけもない。単独軍事オプションは、はじめから「あり得ない選択肢」だったのえである。つまり、他国(有志国連合軍)に救出を要請するほかなかった。しかし、日本政府がこのオプションを検討した様子はない。

つまり、身代金は払わない(これは○)、交渉はしない(これは×)、他国要請を含む軍事オプションをとらない(これは△)ことで、実質的に政府は『何も』しなかったも同然なのである。

その上で、カイロで人道支援目的とはいえ「イスラム国と対峙する国」に対する支援として、巨額の支援を表明し、また訪問先のイスラエルでイスラエルの国旗の側に立つパフォーマンスを行い、あからさまにISISに対する敵を丸出しにした。自国民の解放で交渉中の一国の首相が、である。


 政府のいう『苦渋の選択』のレベル

国際的なすう勢を鑑みて、対テロ戦への参戦を一刻も早く表明し国際連帯の輪の中に入らければならなかった、という国益が絡んでの判断だということはわかる。しかし、それをするにもタイミングがあった。しかも、ただ連帯を表明するよりも一歩踏み込み、明確に米英側=「敵」としてISISに認識されるようなパフォーマンスを行った。

その結果、ISISは水面下で行っていた交渉をとりやめ、身代金要求額を法外なものに吊り上げ、日本政府の姿勢を試した。つまり、本当に有志国連合の一員として対峙する覚悟があるかどうかを試したのである。結果、日本政府は自国民一人を犠牲にすることで、その覚悟を示した。先進国として称賛されるべき行動ではない。

これのどこが『苦渋の選択』なのだろうか。
国民の生命・財産よりも国家のメンツという名の国益を取っただけの話ではないか。

日本政府の覚悟の拒絶に対する応答としてISISは一人目の人質、湯川遥菜さんを処刑・殺害し、交渉は次なるステージに移った。ヨルダン死刑囚との交換である。これも、土台無理な注文であった。ヨルダン側がパイロットの解放を最優先とするのに対し、ISIS側は後藤氏との交換にしか応じないというのだから。取引不成立となって当然の、無理難題な要求だった。

米CNNは、リシャウィ死刑囚の捕虜交換要求は、リシャウィが持つ「最高権力の継承」という象徴的な重要性によるものだろうと分析していたが、一理ある。ISIS側は、今回の騒動を起こすことによりリシャウィの死刑を延長させることに成功した。そしてヨルダンは今も、パイロット解放のための交換に応じると表明している。

パイロットの生存は未だ確認されていないが、ヨルダン側としてはISIS側は唯一提示した条件をなくせば、取引の材料がなくなる。完全にテロ組織に翻弄されている状態だ。もし日本の事件に巻き込まれずに単独で交渉を進めていれば、あるいはパイロット(軍人)とISISの重要人物との交換は成立していたかもしれない。その芽を潰したのは日本政府の独善的行動だ。

このように、2014年の8月から両人質に殺害が確認される2015年1月まで、安倍自公政権は決して満足な対応を行ってきたとはいえず、あまつさえ国民の命が危険に晒されている間に解散総選挙を行い、挑発行為を行い、そして交渉も妥協もせず、国民二名の死亡を招いたのである。

ハッキリ言おう。

本件、現行安倍政権の人間こそ万死に値する。

2015/02/02

【緊急コラム】邦人人質全員死亡事件: 政府の反省・責任は?どうやって責任を問う? #IamNotAbe #IamKenji

自衛隊の活用 首相が意欲 現実味薄く、自民も慎重

ハコモノ行政マインドを脱せよ

東京新聞(1日)
だからさ、自衛隊の能力云々じゃないんだよ。今回の件だって、ヨルダンは特殊部隊を派遣することができたわけだ。 それをずっとしてこなかった。なぜだと思う? いくら普通の国でも対象国の了解と協力なしに地上部隊を派遣することなんてできないんだよ。 その外交力が日本政府にあるか?
アルジェリア人質事件を教訓に 日本政府は 日本版国家安全保障会議を作った。それが今回の何の役に立った? どう司令塔の役割を果たしたというのだ。 ヨルダン政府に対して戦略的に日本の要求を通すことができたか?できなかったろうに。 文民政府の人の質に問題があるんだよ。
いくら強行的に実力を行使する手段を持っていても、 それを指揮する文民側が危機管理能力も、緊急対処能力も、交渉力もろくに持ち合わせていない状態では、 宝の持ち腐れにすぎないんだよ。 即応部隊は政治家の点数稼ぎのための道具じゃないんだよ。具体的な戦略あって初めて機能するんだよ。
在外公館の強化は麻生政権の時代から自民党はやってきたんだよ。 それでも形だけの数合わせの強化で結局のところ 情報収集能力は向上してない。 今回のような事件でまず鍵となるのは 情報処理能力だろうに。現地のインテルが確実だからこそ部隊が有効に機能する。その"お膳立て"が必要となる。
このお膳立てを行うには 地元に根ざしたヒューミントのネットワークが必要。 在外公館の警護能力を強化すればいい話ではない。まさに地道な地に根を下ろした活動が必要。その殆どは非軍事。即応能力があっても使える環境を整備しなければならない。その能力が決定的に無いことが今回判明した。
軍事対応や軍事力を見せつけることが敵への有効な抑止力となると思ったら大間違いだ。 そんなんだったら中東の「普通」の国々は今頃イスラム国を壊滅させている。人質交渉だって長引かせない。問われるべきは指揮をとる文民政府の能力で部隊の即応力ではない。国会議員はこれを踏まえて議論せよ。
対応のオプションを拡げるのは賢明な措置ではある。だが、状況に対して有効なオプションであるかを判断する能力が指揮する側に必要になる。これは指揮統制する側に訓練とプロトコルの確立が必要だということだ。日本版NSCは全く役立たずな代物だった。まずはその反省に立つ必要がある。 
「私たちが今、やらなければならないのは、イスラム国へのヒステリーを起こす事ではない。この間、政府がどんな交渉をしていたか、安倍政権がどんな意図でどう動いたかをきっちり検証することだ。」田部祥太

交渉を妨害し後藤さんを見殺し! イスラム国事件で安倍政権が犯した3つの罪

邦人二名死亡の最大の責任は政府にある

リテラ(2日)
昨晩は激しい憤りに任せて政府の怠慢を書きなぐってしまったが、今朝リテラの記事を読んで平静を取戻し、あらためて今回の悲劇の最大の要因が日本政府の失策にあることを確信した。犯罪者集団に実行の責任があるのは当然だが、問題は犯罪者にどう当局が対応したかにあるからだ。
通常の国内の誘拐事件でもそうだが、警察が明らかに尽力していることがわかれば批判は少なく評価が高くなる。今回の事件は、政府が火種を撒きつつ、自らの失策を挽回するに足る体制も方策もなかった。13年に日本版NSCを造り豪語したのにも関わらずだ。
国民二人も自らの失策により死なせておいて、それで「自衛隊が派遣できれば」という論理のすり替えを行うとは、それこそ『言語道断』である。私はこんな狂ったロジックで失策の責任も言明せず、経緯の検証も反省もせずに安易に実力行使一辺倒を宣う政権には”屈しない”。
「NSCはできて1年も経たないのだから期待し過ぎるのは筋違い」という主張も聞かれるが、構想に20年近くかけ、07年にも一度設立しかけているのだからそれなりの働きをすると期待して当然だろう。まして、邦人人質事件が教訓となって設立されたのだから猶更だ。
リテラによれば、安倍政権の犯した第一の失策は、対策本部をヨルダンに置き、ヨルダンを拠点に邦人救出を試みたことだという。これは合点がいく。ヨルダンは有志国連合の空爆に直接参加する数少ない中東三か国でISISからすれば仇敵なのだから。
しかもヨルダンは、邦人2名が捕まるはるか以前からパイロット解放の交渉をずっと行ってきていた。そこに付け込み、利用されるという不遇をヨルダンの人々にもたらしたのだから、まったく迷惑極まりない判断だ。この判断を行ったのがNSCなのである。
07年時にの20人規模よりも増強されて70人体制で発足し、安保PRで頼もしい礒崎安全保障担当首相補佐官を政治任用側のトップに、外務省の帝王の谷内元事務次官を据えたNSCは初の邦人人質事件で致命的な選択ミスを行ったのである。
結果的に日本政府はヨルダン国民に偽りの希望を与え、この機にパイロットの解放を公言したヨルダン国王に恥をかかせたことになる。これは後に、外交儀礼による謝意とは関係ないところで亀裂として表面化することだろう。そこも、ISISにしてやられた。
230億円という法外な身代金を要求したのも、ヨルダンに収監される死刑囚との交換を要求したのも、実現不可能と分かっていてのこと。真の目的は有志国連合に揺さぶりをかけることだった。新参者の日本はもとより、空爆に参加するヨルダンを揺さぶることが目的だった。
身代金支払いも捕虜交換も、米英のノーコンセッション方針に従えばどのみち実現薄だった。ところが、ヨルダン側は犯人側の真意を確かめるために死刑囚の解放を実現しようとした。ヨルダンは米英のくびきを離れ自己判断した。同盟関係にくさびが打ち込まれたのである。
ところがISIS側はもとより切り札のパイロットを解放するつもりはなかった(更に、既に死亡している可能性もあった)。結果としてパイロットの生存が確認できず、ヨルダンとの交渉は決裂し、故・後藤氏の解放は実現しなかった。日本・ヨルダン両国がISIS側に完全にしてやられた瞬間だった。
我が国は、安倍首相の陣頭指揮の下、テロに屈しないどころか、テロに完全に翻弄されてしまったのである。政府の初動のまずさのおかげで、人質解放の条件が劣化し、他国を巻き込むことになり、そして国民二名を死亡させたのである。
ないものねだりでハコモノ行政を展開した結果が、これである。国民2名の死亡と、テロとの戦いの同盟国との関係悪化である。今後、ヨルダンが日本の支援を受け続けるかどうかが、そのひとつの証明となる。国外の報道にアンテナを張ることだ。
外交判断は、当たり障りのない外交儀礼とは異なるところで冷徹に行われる。パイロット解放交渉の日本政府を挟んだ故のとん挫は、今後のヨルダンとの外交関係に間違いなく暗い影を落とすだろう。ヨルダンの有志国撤退もあり得る。かつてフィリピンがイラクでこれを行った。
またヨルダンだけでなく、他の有志国の間でも日本政府の評価は(外交儀礼による称賛とは異なり)地に落ちているだろう。13年のアルジェリア事件に加え、邦人人質殺害はこれで2件目。短期間に失態を繰り返し、その改善が全く見られていないのだから。
今回の事件により、日本の有志国連合の中でのポジションはかなり劣化し、ジュニアパートナー扱いを免れなくなるだろう。事実、日本政府は有志国連合に対する後方支援をしないと公言してしまった。これは参加する前に「いち抜けました」と表明するようなものである。
また情報の取扱についても、今回日本政府はその能力の危うさを露呈してしまった。ヨルダン政府とISISとの交渉が大詰めに入っていた時に、現地対策本部の責任者が「こう着状態にある」と交渉の状況を漏らしてしまったのである。これには流石に国際社会も呆れただろう。
これまで各国の交渉に関する発表内容を見ていても、言葉巧みに情報の露出を控えていることがわかる。状況が分かるような言葉は口にせず、逆に相手にゆさぶりをかけるようなハッタリもかます。そうして裏表を使い分けて交渉を有利に進めようとする。
ところが日本政府の当事者は、交渉の当事者でないせいかこの緊迫感が全くなく、つい「こう着状態にある」等と国際メディアに漏らしてしまう体たらく。秘密保護法があっても発表の場で情報を的確に扱えないのでは危なっかしくてしょうがない。日本の信頼失墜はもはや自明だろう。

政府責任をどう検証するか

対テロ戦”再”参戦を目論んで政権発足早々に制定された特定秘密保護法だが、これから国会審議等で威力を発する可能性がある。既に予算委審議でも「つまびらかには話せない」という表現が使われていると思うが、これは"外交上の機微"に触れる程度の情報である。
米上院外交委員会ならばここで秘密公聴会を開いていわば外交施策の失態に関する”査問”が行われる。リビア大使襲撃事件でペトレイアス元NATO司令官が査問されたように。NSCの人間が査問にかけられて然りである。それが責任履行アカウンタビリティーである。
国会の通常審議では「つまびらかには話せない」程度の表現で済むが、”外交安保上の機密”に触れるものとなれば、それは「国家安全保障上の問題で話せない」と述べることになる。そのベースとなるのが、特定秘密保護法である。
だが仮に、秘密保護法に触れるような問題であっても、それを国会が審査しないのでは意味がないし、三権の相互監視が成り立たない。国会には審査権があり、これを適用するにはまず秘密公聴会を与野党合意で開く必要がある。
安保法制や自衛隊派遣論議の前に、まず国民二名を死亡させた政府の責任を問う特別審議が国会でなされて然りなのである。常任委員会の委員長は全て与党が握っているので、特別委員会は野党が議長を務める体制にする必要がある。
野党は責任追及のための特別委員会の設置を提案するべきであり、通常の予算委員会等総理が出席する委員会では外交上の機微の問題だけで逃げられ、厳秘事項については秘密保護法で逃げられるので、”逃げられない場”の構築が必要である。
この検証では残念ながら全ての事実は国民には明らかにならないが、せめて国会内で十分に時間をかけて審議し、与野党がその内容に合意し、外に漏らさないことを保証できる。アメリカの秘密法制を模倣するなら、そうした枠組みも模倣してほしいものだ。形だけ真似ても意味がない。
与党が全ての情報を握り政府とツーカーで、国会に正当な審査を認めないのならば国会など不要である。与党の責任を問うために特別な場が必要なら、それを与野党合意のもとつくればよい。それが政治の行える本件の検証作業だ。何もかも公開で議論すればよい訳ではない。
そして、機密に触れない範囲の情報は適切に国民に開示する必要がある。それこそ、911検証委員会のようにである。福島原発事故後に国会で行った調査も、一般刊行物として出版された。同等レベルの情報開示、即ち透明性の確保が、秘密法制の健全な運用には不可欠である。
二人の邦人の命が失われたシリア邦人人質殺害事件の事後処理については、開示できる情報は開示し、整理し、検証し、そうして初めて、その反省から改善が促されなければならない。政府はもとより国会でもこの議論は十分になされていない。
そのような中で、自衛隊派遣や安保法制絡みの議論が先行するのは時期尚早である。国会議員は、国家の重大事案の後始末について、国としてどうすべきか、どう再発を防ぐべきかを慎重かつ綿密に検討し、結果を適切に開示する必要がある。
それが、二名の国民の尊い命を奪い、国際テロリスト組織にその利用価値をあらためて認知させた結果、全世界で不用意に安全を脅かされることとなった国民に対し、政治に携わる全ての者が課された最低限の説明責任である。

2014/09/23

【悲報】コラム: 慰安婦問題で展開される不毛な論証・反証のいたちごっこを永続させる要因は、日本人の低い英語読解力だった。(完全版) #主戦場




はじめに


この件についてはこれまでも何度も述べているが、従軍慰安婦の問題を”強制連行”のみの観点で「その事実はなかったので問題なし」として、”強制”の事実そのものが全くなかったかのように論じる連中は鬼畜である


朝日叩きで狂喜乱舞している、そうした鬼畜どもをまた黙らせる材料が今回、ネット上に再び登場したことは喜ばしい。

一般的に、"強制"とは「力を用いて他者を無理に従わせること」と解される。この"力"にも色々とある。軍人ならその威圧感だけで強制することも容易いが、組織的には行政を操る"力"により手続上、有無を言わさずその対象者を従わせることもできる。二次大戦中、この"力"をもっとも悪用したのがナチスだ。

ニュルンベルク裁判では、この行政手続により数々のユダヤ人虐殺計画がドイツ第三帝国政府により主導されたことが判明した。それもこれも、ドイツ人が病的なほどに何でも記録する国民性のおかげだった。これは、当時判事を務めたアメリカのジャクソン首席判事が米軍の記録映画の中で認めている。

日本の場合、こうした行政記録は混乱のさなか見事に消されている。本土で陸戦が行われず、連合軍の電光石火の占領に見舞われたドイツに比べ、証拠を隠滅する時間が豊富にあったからだ。ドイツと違い日本が非人道性の観点から裁かれなかったのは、それを指し示す十分な”証拠”が存在しなかったからだ。その”事実”が存在しなかった訳ではない。

慰安婦・兵士当人の”証言”の不確実性


二次大戦において”不問”とされた旧日本帝国軍の人道犯罪だが、現代においては国際女性戦犯法廷なるものが民間で設置され、いまも犯罪性の追求は世界規模で行われている。これを先導してきたのが、被害者女性や日本兵士たちの証言を収集・記録してきたアジア資料センター(アジア女性基金)等の女性人権擁護団体だ。

しかしこうした資料集めは困難を極めた。信頼できる証拠とするには、不十分な要素が多かったからだ。例えば、兵士証言や慰安婦証言の食い違いにより事実が検証できなくなったりする。同じ立場の証人同士が真逆の証言をして事実の確認を困難にすることが往々にしてあるからだ。

結局、軍による「強制」の否定派と肯定派の間で、証拠の証明合戦がいたちごっこのように続き、現在に至っている。否定派は慰安婦らが自由意思で就労した、或いは現地の人間が任意で仲介役を果たして奉仕させたことを示す証拠を持ってきて反論する。だがいずれも"強制”の「全否定」に繋げるには弱い。

一方で、”強制"の事実に関しては日本人女性含め慰安婦側からの証言と、慰安所を利用した兵士側の証言が出そろう。兵士自身が慰安婦は何らかの”強制”され就労を余儀なくされていることを認めているのだ。これはそれぞれの兵士個人の慰安婦に対する価値観も大きく影響するのだろう。

「吉田証言」を巡る国連報告書の翻訳の質


こうして”強制”の否定も反対もこう着する中で一石を投じたのが、朝日のいわゆる『吉田証言』を巡る一連の報道だった。大手新聞社が決定的といえる証拠を挙げて大々的に報じたため、「吉田証言」は”強制”肯定派の1つの拠り所のようなものになった。が、それが全てではなかった。だから国際的には吉田証言は、”数ある証言の中の一つとして”のみ捉えられている。

嘆かわしいことに、そのことに現政権を含め政府翼賛系メディアや一般の"強制"否定派も気づかない。否、気づけないのだ。「吉田証言」のみが"強制"肯定派の唯一の拠り所だと勘違いしている、或いは思い込んでいることに気づかないのだ。そこに、こうした足元を掬う新証拠が現れる。また連中は躍起になって反証を探し求めるだろう。

だが哀しいかな、国連のクマラスワミ報告でも取り上げられているのは、「吉田証言」のみではない。今回判明しているような兵士や被害者の証言・記録などなのである。

当時のコフィ・アナン事務総長により任命され国連人権委員会の特別報告者を務めたスリランカのクマラスワミ元国連事務次長の報告は、日韓両国の訪問調査による報告をまとめたものであるが、国連の報告はいちメディアの報道を鵜呑みにはせず現地聞き取り調査による結果をまとめた。よって、"強制"肯定派が国内的に拠り所とされていると思われている「吉田証言」の位置付けはそれほど高くない。

事実、「クマラスワミ報告書」で吉田証言に直接言及されているのは、37ページある報告書のうちほんの2か所(1センテンス)のみで、1か所(第29パラグラフ)は吉田氏の著書に触れ、「強制連行」の根拠の一つであるという記述になっているが、もう1か所(こちらは第40パラグラフ全体)はこの4倍の分量(4センテンス)でその反証を掲載しており、これを特別報告者は「留意」していると報告書に明記している。 英語原文 AWF訳文 

このことを、政府も含め”強制”否定派は、知ってか知らずか盲目的に批判している。

その原因の一つは、どうやらアジア女性基金(AWF)の旧い翻訳の質にあるらしい。

私のようなプロの翻訳者の目からして、AWFの翻訳の品質はお世辞にも高いとはいえない。およそ公式な報告書とは思えない語調になっており(「~かもしれない」等)、訳文の表現は情緒的であり、客観性を欠き、乱暴である。

翻って原文の英語の報告は格調高く、注意深く言葉を選んで構成されている。のちの国連事務次長として事務総長自らに任命された職なのだから、慎重を期すのも当然だろう。国連の六大常設機関の一つである経済社会理事会傘下の専門委員会として出す報告に客観性を欠いた感情移入は許されない。

AWFの翻訳の質の低さは、例えば次のように、第40パラグラフの「吉田証言」に対する反証に言及している箇所の冒頭にもみられる。

【原文】 40. The Special Rapporteur noted that historian Dr. Ikuhiko Hata of Chiba University, Tokyo, refuted certain historical studies made on the issue of "comfort women", in particular Yoshida Seiji’s book, which describes the plight of "comfort women" on Cheju-do island.
【AWF訳】 40. 千葉大学の歴史学者秦郁彦彦博士は「慰安婦」問題に関するある種の歴史研究とりわけ韓国の済州島の「慰安婦」がいかに苦境に置かれたかを書いた吉田清治の著書に異議を唱える。
【私の改訳】 40. 特別報告者は、千葉大学の歴史学者である秦郁彦彦博士が、「慰安婦」問題に関する一部の歴史研究、とりわけ韓国の済州島の「慰安婦」の苦境について書かれた吉田清治の著書に対する反証を展開していることに留意する。

また否定派と肯定派の間で壮絶な編集合戦が行われていると思われるWikipediaなどでは、第29パラグラフ(吉田証言に1センテンスで言及した箇所)について言及している編集者がいるが、これも決して前後の文脈を考慮した構成にはなっていない。しかもその訳文はAWF訳のものをそのまま採用している。

【原文】 Moreover, the wartime experiences of one raider, Yoshida Seiji, are recorded in his book, in which he confesses to having been part of slave raids in which, among other Koreans, as many as 1,000 women were obtained for "comfort women" duties under the National Labour Service Association as part of the National General Mobilization Law.
Wiki/AWF訳】 強制連行を行った一人である吉田清治は戦時中の体験を書いた中で、国家総動員法の一部である国民勤労報告会の下で、ほかの朝鮮人とともに1000人もの女性を「慰安婦」として連行した奴隷狩りに加わっていたことを告白している。
【私の改訳】  さらに、強制連行を行った一人である吉田清治は、国家総動員法制下の国民勤労報告会の任務として、ほかの朝鮮人とともに1000人もの女性を「慰安婦」として連行した奴隷狩りに加わっていたことを戦時中の体験を綴った自著の中で告白している。


流石に、日本政府がAWFの訳を鵜呑みにしたまま国連に反論したのだとは思いたくないが、現在ネット上に溢れている慰安婦問題に関する論証・反論が概して、こうした質の低い翻訳に基づいて展開されていることを考えれば、いわゆる”ロストイントランスレーション((飜訳の過程で生じる本当の文意の消失)”の中でどれほどの事実が失われ、対立する双方の中で誤った認識に基づく議論が展開されているかという不毛な現実が見えてくる。

日本人の間で行われる国際問題に関する議論等というのは、得てしてこの程度のものである。

ここにきて、政府は国連広報を強化すると宣言しているが、国連の広報機関として日本に本部を置く国連広報センターをこれまで十分に機能させてこなかったのは、歴代政府の責任だ。それは第一次安倍内閣も同罪。

クマラスワミ報告にしたって、反論を呈しながら国内に政府の正規の翻訳がないということ自体笑止千万。あり得えない怠慢である。

ただ、それができないのには理由がある。人材が居ないのだ。もっと正確にいえば、国際人材を育ててこなかった。そのつけが回ってきたからといって、今更「強化」とは、本当に笑わせる。

おわりに


事実の記録を丁寧に検証し或いは反証することによってしか、慰安婦問題の強制性を否定することも、肯定することもできない。強制性の事実を証明する圧倒的な数の証言や記録に対し、これを否定できる証拠や記録は少なすぎる。

一方で圧倒的な数の証言や記録の中にも客観性・信憑性・信頼性の点で問題は多く散見される。だから"強制"否定派は「吉田証言」一本に批判の的を絞ったのだろうが、「策士策に溺れる」とはまさにこのことだ。

今後もこうした個別具体的な証言・記録による強制事実の肯定とこれに対する反証は繰り返されることだろう。だがそのこと自体が、この問題が未解決であることを示しており、「吉田証言」が捏造と判明したことただそれだけで否定派が圧倒的に有利になった訳でないのである。

はからずしも否定派は、今回「吉田証言」のみに的を絞って、「1つが捏造なら全部捏造」戦術に出たため、国際的には足下を掬われる結果となっている。ましてやその主な標的となっている国連の報告の翻訳がこの品質で、かつ、この程度の品質の翻訳を鵜呑みにする程度の検証(語学)能力しかないのでは、不毛な議論は終わりそうもない。

その様相は、傍から見てもはや滑稽でさえある。
知らぬは当人たちのみというのもあまりに悲壮だ。

はじめて自分のコラムの題名で「悲報」というネット固有の嘲笑表現を使ったのはそのためである。

まったく嘆かわしいかぎりだ。


(巻末参考比較)「吉田証言」の反証を5センテンスにわたってを記載したC章「慰安所の状況」パラグラフ40のセンテンス毎の日英併記+改訳。


2センテンス目

【原文】 Dr. Hata explained that he had visited Cheju-do, Republic of Korea, in 1991/92 seeking evidence and had come to the conclusion that the major perpetrators of the "comfort women crime" were in fact Korean district chiefs, brothel owners and even parents of the girls themselves who, he alleged, were aware of the purpose of the recruitmentof their daughters.
【AWF訳】 秦博士によれば、1991年から92年にかけて証拠集めるために済州島を訪れ、「慰安婦犯罪」の主たる加害者は朝鮮人の地域の首長、売春宿の所有者、さらに少女の両親たちであったという結論に達した。親たちは娘が連行される目的を知っていたと、泰博士は主張する。
【私の改訳】 秦博士は、1991年から92年にかけて証拠集めのため自ら済州島を訪れ、「慰安婦犯罪」の主たる加害者は朝鮮人の各首長、売春宿の各所有者、さらに少女の両親らそれ自体であったと結論付け、また両親らは娘が連行される目的を承知していたと主張した。

3センテンス目

【原文】 To substantiate his arguments, Dr. Hata presented the Special Rapporteur with two prototype systems of recruitment of Korean women for comfort houses in the years 1937 to 1945.
【AWF訳】 その主張を裏付けるために、博士は本特別報告者に、1937年から1945年までの慰安所のための朝鮮人女性のリクルートは基本的に二つの方法で行われたと説明した。
【私の改訳】 博士はこの主張の裏付けとして、1937年から1945年までの間、慰安所が朝鮮人女性を徴用する方法については基本的に二つのモデルが存在していたことを本特別報告者に説明した。

4センテンス目

【原文】 Both models provide that Korean parents, Korean village chiefs and Korean brokers, that is to say private individuals, were knowing collaborators and instrumental in the recruitment of women to serve as sex slaves for the Japanese military.
【AWF訳】 いずれの方法も、両親や朝鮮人の村長、朝鮮人ブローカーすなわち民間の個人がすべてを承知で協力し、日本軍の性奴隷として働く女性をリクルートする手先となったというのである。
【私の改訳】 このいずれのモデルも、朝鮮人の両親や朝鮮人の村長、朝鮮人ブローカー、すなわち民間の個人が、すべてを承知で協力し、日本軍の性奴隷として奉仕する女性を徴用する役割を担ったことを指し示していた。

5センテンス目

【原文】  Dr. Hata also believed that most "comfort women" were under contract with the Japanese army and received up to 110 times more income per month (1,000-2,000 yen) than the average soldier (15-20 yen).
【AWF訳】 同博士はまた、ほとんどの「慰安婦」は日本軍の契約を交わし、平均的な兵隊の給料(一か月15-20円)よりも110倍も受け取っていたと考えている。
【私の改訳】 秦博士はまた、ほとんどの「慰安婦」は日本軍との契約下にあり、平均的な兵隊の給料(月15~20円)の最大110倍もの収入を得ていたと考えられるとした。

(※補足)秦氏はこの報告の公表の後で、報告書は自分の説明を誠実に反映していないと反論しているが、それは確かにAWF訳だけを見ればそう感じる。とくに4センテンス目で、AWF訳の「手先となったというのである」では、まるで秦博士がそう主張したように捉えられるが、正確には「役割を担ったことを指し示していた」という特別報告者としての所感を示しているのである。つまり、「すなわち」以降の文章は秦氏の説明を受けた特別報告者の解釈なのであり、そこに「解釈の誤りがある」と批判するのは筋が通っているが、「私はそんなことは言っていない。嘘だ」と主張するのは筋違いなのである。これも秦氏の英語読解力の問題か、あるいはAWFの翻訳に依存した結果に生じた一つの弊害だろう。

2014/07/17

(miniコラム) #ガザ空爆 でジェノサイドを扇動するイスラエルの現役議員 これは他人事ではない(2014.07.17 ) #PrayForGaza

問題のポストをしたとされる「ユダヤの家」党のアイェレット・シャーケッド議員


イスラエルの女性議員が「パレスチナの母親は皆殺しにすべき」と発言したというツイートが流れてきた。

【速報】「パレスチナの母親は皆殺しにすべき」イスラエル極右女性議員が発言 
‘We must kill all Palestinian mothers http://shar.es/Nylzx   
pic.twitter.com/QL6rowMRva #PrayForGaza


事実ならば、国際法上「集団殺害犯罪」(いわゆるジェノサイド罪)を構成する、責任重大な発言だ。国際刑事裁判所ローマ規程はその管轄犯罪において、実体行為のない「扇動」も犯罪と規定している。

本当だった・・・各アラブ系メディアが取り上げている。↓

"They have to die and their houses should be demolished so that they cannot bear any more terrorists," Shaked said, adding, "They are all our enemies and their blood should be on our hands. This also applies to the mothers of the dead terrorists.

「彼らは死ななければならない、もはや一人のテロリストも生れることのないよう、彼らの住む家々は解体しなければらない。

シャーケッド議員はこう述べ、さらにこう付け加えた。

彼らはみな我々の敵であり、我々は自らの手を彼らの血で汚さなければならない。これは、死んだテロリストらの母親たちにも当てはまる


引用元と見られる今年7/1付けのFBのポスト。なぜか7.15付けで更新されている。


まさに「殲滅を扇動する発言」である。

「扇動罪」を許してはならない訳


この実体行為のない「扇動」を犯罪とすべきという考えは、ルワンダ大虐殺の悲劇の教訓から生まれた。80日間で100万人が殺されたこの民間大虐殺では、殺人を促すラジオ放送が問題とされた。殺害のターゲットのいる場所を逐一ラジオで報せ、「ゴキブリどもを踏み殺せ」と放送していたからだ。(参考

国際社会はこの惨劇から、実体行為のない行為も犯罪として罰するべきだというコンセンサスに達した。その対象は、民間人だけではない。現職の議員も、国家首脳も含む。つまり、実際に殺人犯すわけではないが「扇動」により虐殺に加担する行為も、現代の国際法では訴追対象となるのである。

かつて外務省と法務省は「論理的可能性でしかない」として、日本が国際刑事裁判所に加盟する時の法整備に実体行為のない「扇動」は犯罪化する必要はないと主張していたものだった。日本の国会議員が、「そんなこと」を公言するのはあり得ないと言いたかったのだろうか。

「集団殺害罪の扇動罪→これがたとえば議員の免責特権との関係が一応問題になりうる。しかし、これも想定する必要はないのではないか。(議員が国会でICCに関する犯罪を命令するということは、ほとんど考えられない)」 自民党勉強会での法務省の回答


だが、日本が準同盟国宣言をしたばかりのイスラエルの女性議員は「そんなこと」を公言した。国際刑事裁判所に加盟していれば、その発言の結果として殺人行為が行われればジェノサイド罪に問われかねない重大発言だ。

なぜ単なる戦争犯罪や人道に対する罪としての「殺人」ではないのか?

ただの殺人ではなく「ジェノサイド」なのは、「母親を全て殺す」という行為が即ちひとつの民族の殲滅を企図していると見なされるからだ。つまり実体行為がなくても殺人を故意に「扇動」しており、また単なる殺人ではなく、大量の殺人を企図して行われる故意の「扇動」だと判断される。

日本が大丈夫とは・・・とても思えない。


さて、みなさん。日本の国会議員なら、こんなことは口にする筈がないと思えますか?
想像力を押し広げて、想像してみよう。

仮に日本がイスラエルのように一部の反政府勢力Xに武力攻撃され、軍事的報復を決めたとする。反政府勢力Xは一部支持する一般市民によってかくまわれ、政府は敵を炙り出すために民間施設も標的とする。一般市民にも犠牲が増え、これに対して反政府勢力Xが報復することで暴力の連鎖が続く。

こうした苛烈な攻撃の応酬がされる中で、国会議員が「反政府勢力Xをかくまう民間人も皆殺しにしてしまえ」と公言する可能性が、ないと言い切れるだろうか。とくに、昨今の失言・ 暴言・暴挙のオンパレードがみられる日本の地方・中央各議会において。極めてあり得る可能性のように思える。

仮に日本で扇動罪が成立するととして、国家公務員による実体行為のない殺人行為を処罰するものとなるかどうかは、未知数である。外務省・法務省は、国家公務員によるそうした行為が起こる論理的可能性はないと否定した。つまり扇動罪が成立したとしても、実体行為のない行為による殺人で国家公務員を裁くつもりはないのだろう。

だが、公僕たるもの、世界138か国が署名したローマ規程が管轄犯罪とする犯罪行為に類する行為に及んでよいかどうかという判断くらいはできなければ、国家として「国際社会の責任ある一員」など標榜すべくもない。

嘆かわしいのは、現在の日本の政界を見渡して、イスラエル議員のような発言が行われる可能性を「論理的可能でしかない」とは到底思えないことだ。むしろ、「現実的可能性として十分あり得る」と捉え、将来の重大な国際犯罪を防ぐためにも、いまのうちにしっかりと枷をはめておくべきだろう。

その位、我が国の公僕の倫理感や道徳意識は危ういと言わざるを得ない。

奇しくも今日7月17日は「国際司法の日」
1998年に国際刑事裁判所ローマ規程が採択されて十六周年となる記念すべき日である。

世界中が常設の国際司法機関の誕生を祝うこの日に、その国際機関が裁くことのできる発言をいとも容易く発してしまうイスラエルの国会議員。

日本の国会議員には、まさに「他人のふり見てわがふり直せ」の精神で、このような言葉が日本から発せられることが決してないよう、襟を正して公務に当たってほしいものである。

2014年7月17日

十六年目の国際司法の日と
国際司法と並んで国際道徳が
発展することを祈念して

2014/07/13

(書き起こし)2014.7.3放送クローズアップ現代『集団的自衛権 菅官房長官に問う』抜粋引用+再校正+未記載部分


【集団的自衛権】菅官房長官に問う 投稿者 311akatsuki
@kingo999 さん転載の書き起こしテキスト via Mediacrit の抜粋・校正
(参考)番組公式「放送丸ごとチェック」全文


NHKクローズアップ現代「【集団的自衛権】官房長官に問う」(2014.07.03)登場人物一覧
国谷裕子キャスター(番組キャスター)
原 聖樹氏(NHK政治部・記者)
管義偉(内閣官房長官・国家安全保障強化担当)
集団的自衛権
管官房長官に問う

国谷キャスター: ここからは集団的自衛権の行使容認について考えていきます。
従来の憲法9条の政府見解の解釈では武力行使が許容されるのは日本に対する武力攻撃が発生した場合に限られるとされてきました。
政府は憲法9条の解釈を変更し、「日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し日本の存立が脅かされ国民の権利が根底から覆される明白な危険がある場合に必要最小限度の実力の行使をするのは憲法上許容される」という解釈を打ち出し、戦後日本の安全保障政策を大きく転換する閣議決定を行いました。




日本を取り巻く安全保障環境の変化が最大の理由だとしています。
憲法解釈の結論として許容されないとしてきた集団的自衛権を容認するという大転換。
政府は、あくまで安全保障政策の根幹を成す専守防衛、武力行使は自衛のために限るという方針に変わりはないとしています。
これまで世界の多くの戦争が自衛の名の下に行われてきたのも事実です。
憲法9条による徹底した平和主義が貫かれてきた歴史にはそうした背景もあります。
それだけにこの憲法9条の精神を貫くためにはより具体的な武力行使への歯止めが求められています。
重大な解釈の変更であるにもかかわらず閣議決定に至るまでの過程で国民的な理解、そして議論が深まっていないという声が多く聞かれます。
なぜ今、この大転換なのか。
集団的自衛権の行使容認は限定的だといっても果たして歯止めは利くのでしょうか。

集団的自衛権
“歯止め”をめぐって

ナレーション: 集団的自衛権の行使容認に強い意欲を示してきた安倍総理大臣。
歴代の政権は集団的自衛権について憲法9条の下では「持っているが、使えない」としてきました。
集団的自衛権の行使は許されないという憲法解釈が示されたのは昭和47年の政府見解でした。
当時、ベトナムではアメリカが集団的自衛権を行使し戦争を行っていました。
日本は、集団的自衛権を憲法上、どう位置づけるのか政府は国会で見解を求められます。
そのとき示されたのが自衛権の行使が許されるのは日本が侵害を受けた場合に限るとして集団的自衛権の行使は憲法上許されないという解釈でした。


今回、安倍政権はこの見解の中にあった文言を引用して「集団的自衛権の行使は容認できる」という逆の解釈を導き出します。
昭和47年の政府見解をもとに当初、自民党が公明党に示した武力行使の新たな3要件。
47年見解にはなかった「他国に対する武力攻撃」を加えることで集団的自衛権の行使を可能にする内容となっています。
これに対し公明党は拡大解釈されかねないと懸念を示します。
集団的自衛権の行使にどう歯止めをかけるのか議論が続きました。
その結果、自民党が示した文案で「他国」とされていた文言を「日本と密接な関係にある他国」に修正。
また、「おそれ」とされていた文言を「明白な危険」に変えました。

政府は、従来の政府見解の基本的な論理の枠内で導いた結論だとしています。

しかし、今回の閣議決定では自衛隊の任務がどこまで拡大するのか具体的なことは示されませんでした。
与党協議では当初シーレーン・海上交通路での国際的な機雷の掃海活動など8つの事例について議論しました。
しかし、自民党と公明党の間で考えの違いが表面化し結論は出ていません。
どういう場合に武力の行使が許されるのか。
時の内閣が総合的に判断するとされています。

なぜ いま
集団的自衛権なのか


 他国を守るための戦争には参加しない?



国谷キャスター: 菅さん、この集団的自衛権行使の容認ですけれども、これは閣議決定によりますと、日本の自衛のための集団的自衛権の行使となるのであって、他国を守るための行使はしないというふうになっています。確認ですけれども、他国を守るための戦争には参加しないということですか?

管官房長官:それは明言してます。

なぜ今まで憲法では許されない、
とされていたことが、容認されるのか?

国谷キャスター: それは明言されていると。ではなぜ、今まで憲法では許されないとされていたことが、容認されるというふうになったのかということなんですけども、これまでは日本の安全保障は、日米安保条約の下、強大な在日米軍こそが、日本を防衛する最大の強力な抑止力になっているという考え方だったわけですけども、その安全保障環境の変化によって、この日米安保条約でも抑止力が不足、集団的自衛権によって補わなくてはならない事態になったという認識なんでしょうか?

管官房長官: 今ですね、昭和47年の映像がありました。
当時と比較をして、42年間たってるんですよね。
例えば国際化、その間にどのぐらい進んだかですよね。
今、わが国の国民は、150万人の人が海外で生活をしているんです。
そして1800万人の人が、これ、海外ですね、旅行を含めて渡航してます。
そうした時代になりました。
そしてまた、わが国を取り巻く安全保障の環境というのは、極めて厳しい状況になっていることも、ここは事実だと思います。
そういう中にあって、どこの国といえども、一国だけで平和を守れる時代ではなくなってきたという、まずここが大きな変化だというふうに思います。
そういう中で、わが国としては、例えばですよ、これ、総理がこの政府の基本的な方針を決定をしたときに、記者会見で事例の一つとして申し上げましたけれども、総理自身が国民の皆さんの生命と平和な暮らし、そして国の安全を守るために、現在の法制度で、そこについて大丈夫かどうか、そして、もし変える必要があれば、最善のほうはどうかということを、安保法制懇というこのいわゆる安全保障の専門家の皆さんにお願いをしたんですね、当時。
そして、その報告書を受けて、今回、政府の基本方針というものを、与党の中で11回議論をして、政府としての基本方針というものを閣議決定をしたんですね。
そういう中で、やはりこの日米同盟、ここを強化をする。
強化をすることによって、抑止力、これが高まりますから、その抑止力を高めることによって、わが国が実際、この武力行使をせざるをえなくなる状況というのは、大幅に減少するだろうと、そういう考え方のもとに、今回、新要件の3原則というものを打ち立てたわけであります。 
例えば、一つの例としまして、総理が言ったのは、例えば近隣諸国で武力攻撃があった場合、日本は国民、かつてはそんなに海外で生活していない、今は多くの人がいらっしゃいますから、その人たちを米軍に輸送をしてもらうということに、日米の間になってます。
その米軍の輸送船、これを現在の憲法では邦人を避難するための輸送船ですけれども、現在の憲法では、わが国に武力攻撃が発生しなければ、日本の海上自衛隊は防護する、護衛することもできないんですよ。
ですから、果たしてそうしたことで、国民の皆さんの生命を守ることができるのかどうか。
そうしたことも含めて、この隙間のない法整備をするということが、やはり極めて今、重要だろうと。
政府にとって、まさに政府の…という考え方の中で、今回、この閣議決定をして、閣議決定をした後に、これから法案を作るんです。
法案を作るのに3、4か月、これ、かかると思いますから、国会で法案をまず、私ども政府案を作って、そしてそれを国会に提出する、その段階で、国会でこれは議論しますから、そこで徹底をして議論をする、慎重に議論をしたうえで、国民の皆さんにも理解をしていただける、そういう努力をしっかりしていきたいというふうに思ってます。

国際的な状況が変わったからといって、
解釈を変更してよいのか?


国谷キャスター: 憲法の解釈を変えるということは、ある意味では、日本の国の形の在り方を変えるということにも、つながるような変更だと思うんですけれども、その外的な要因が変わった、国際的な状況が変わったということだけで、解釈を本当に変更してもいいんだろうかという声もありますよね。

管官房長官: これはですね、逆に42年間、そのままで本当によかったかどうかですよね。今、大きく国際化という中で、変わってることは、これ、事実じゃないでしょうか。
そういう中で、憲法9条というものを、私たちは大事にする中で、従来の政府見解、そうしたものの基本的論理の枠内で、今回、新たにわが国と密接な関係がある他国に対する武力攻撃が発生して、わが国の存立そのものが脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険という、そういうことを形の中に入れて、今回、閣議決定をしたということです。

「密接な国」を、その時々の政権が
あらかじめ決めるのか?

国谷キャスター: その密接な国というのが、どういう国なのか。
当然、同盟国であるアメリカっていうのは、想像できるんですけれども、それはあらかじめ決めておくのか、それともその時々の政権が、これは密接な関係のある国だと決めるのか、これ、限定的な行使ということをきちっと守っていくうえでも、影響がある問題だと思うんですけれども。

菅官房長官: そこについては、同盟国でありますから、アメリカは当然であります。
そのほかのことについては、そこは政府の判断、時々のこれは状況によって判断していくということに、これはなってくるというふうに思います。

時の政権の判断で拡大解釈されるのでは、
という懸念にはどう応える?




原記者: ちょっと懸念を持っている方の中では、時の政権の判断で、拡大解釈されるんじゃないかっていう懸念もあるんですけれども、その辺についてはどのように?

管官房長官: そこは、ここで、この新要件の3原則の中で、「わが国の存立が脅かされる」。「わが国」ですから。
そして国民の生命・自由、そうしたものの幸福の権利が根底から覆されるという、ここで一つのしばり。
また国民を守るために、「他の適当な手段がないこと」。
さらに必要最小限度の実力行使。
ここで新3要件の中で、しっかりと歯止めがかかっているというふうに思います。
あくまでも「わが国、国民」であります。

「他国への武力攻撃が発生し、
日本の存立が脅かされる事態」とは?


原記者: 他国への武力攻撃が発生して、これによって日本の存立が脅かされる事態というのは、これはなかなか具体的にイメージしにくいんですけれども、これはどういう事態、具体的に何かこう?


管官房長官: 例えば先ほど一つ事例で申し上げましたけれども、かつて北朝鮮が、日本の領空をミサイル発射しましたですよね。
例えば日本海で、そうした兆候があると、そういう中で、アメリカの船舶と日本の船舶が警戒をしてたとしますよね。
そういう中でアメリカの船舶が攻撃をされた。
これは日本の安全のために出動してくれているわけですから。
現在の憲法解釈では、それ、相手に攻撃することは、日本の海上自衛隊はできないんですね。
それは日本が武力攻撃があって、初めてできるわけですから。
果たしてそれで日米同盟が維持することができるかということです。
ここはやはり、非常に問題がありますよね。
こうしたことについて、切れ目のない、この法整備をしっかりしていこうということなんです。

機雷除去には与党内で
一致していなかったが、
政府としての立場は?

原記者: 与党協議の中の具体的事例などでは、シーレーン、中東の例えば海上交通路ですね。
あのへんは必ずしも意見が一致していなかったわけなんですけれども、政府としては、どういう立場を取ってるんですか?



菅官房長官: ここは海洋国家ですからね、わが国。

わが国にとって、エネルギーだとか、食糧、こうしたものの輸入、この安全のために、やはりこの安全を確保するということは、極めてこれ重要だと思いますよね。
そういう中で、現在、ホルムズ海峡、あそこで原油の約8割が、あそこを通ってきておりますから、あそこでもし紛争が発生した場合、ここについては、機雷がまかれたような事態になれば、わが国の国民生活にとってこれは死活的な問題になりますよね。
こういう状況にあったときに、先ほど申し上げましたけど、3要件、新たな3要件が満たす場合に限り、ここは憲法上、機雷を除去するために、動くことは可能だというふうに思います。
集団的自衛権
“歯止め”は

他国の強力な支援要請があった場合、
果たして断りきれるのか?


国谷キャスター: 本当に歯止めがかけられるのかということ、多くの人たちが心配していると思うんですけれども、非常にごく一部の容認だと。
そしてその歯止めがかかっているということは、政府のほうから聞こえてくるんですけれども、ただ憲法上、集団的自衛権の行使が容認されるとなりますと、非常に密接な関係にある他国が、協力に支援要請をしてきた場合、これまでは憲法9条で容認されないと、認められないということが、大きな歯止めになっていましたけれども、果たして断りきれるのかと。


菅官房長官: ここは、新要件の中に、わが国の存立を全うすると、国民の自由とかですね、そこがありますから、そこは従来と変わらないというふうに思ってます。

国谷キャスター: 断りきれると?

管官房長官: もちろん。
集団的自衛権
管官房長官に問う

日本独自のプレゼンス(存在感)が
失われることはないか?


国谷キャスター: もう一つの心配はですね、この集団的自衛権の行使が容認されるようになれば、抑止力が高まる、そして国際紛争を抑止することができるというふうにおっしゃっているんですけども、ただ、これまで日本は、非常に慎重のうえに慎重を重ねて、例えばアメリカとの一体化をしないように、非戦闘地域での活動だけに限るといったことなどをして、アメリカが敵対されるような地域でも、日本独自の活動を行って、一種の存在感というのを得られてきたと思うんですけれども、今回はそれを失うのではないか、そうした日本のプレゼンスというものを、失うおそれというのはありませんか?

菅官房長官: それは全くないと思います。
私、申し上げましたように、日本と関係のある他国に対する武力攻撃が発生をし、「わが国の存立が脅かされ」て、そして「国民の生命、そして自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」ということで、しっかり歯止めかけてますから、そこは問題ないと思ってます。





集団的自衛権で第三国を攻撃したら、
日本から攻撃したことになるのか?


国谷キャスター: ただ、集団的自衛権の行使が、密接な関係のある他国のために、もし行使した場合、第三国を攻撃することになって、第三国から見れば、日本からの先制攻撃を受けたということになるかと思うんですね。
それは戦争っていうのは、他国の、自国の論理だけでは、説明しきれないし、どんな展開になるか分からないという、そういう危険を持ったものですから。

菅官房長官: こちらから攻撃することはありえないです。

国谷キャスター: しかし…。

管官房長官: そこは。

国谷キャスター: しかし集団的自衛権を行使している中で、防護…。
菅元首相: ですから、そこは最小限度という、ここに3原則という、しっかりした歯止めがありますから、そこは当たらないと思いますよ。

東シナ海や南シナ海に対して今後、
政府としてどう取り組んでいく?


原記者: 抑止力を高めるということは、緊張感も高まるということにつながると思うんですけれども、今、東シナ海ですとか、南シナ海では、現実問題として、日本というよりは、中国側の事情で、緊張感が高まっているわけなんですけれども、こういった問題に対して、今後、政府としてどういうふうに取り組んでいく考えですか?

菅官房長官: これはぜひご理解をいただきたいんですけど、わが国は10年前と比較をして、防衛力はマイナスです。
そして安倍政権になって、私たちが防衛費、よく軍国主義とか、他の国に言われるときありますけど、私たちは0.8%しか伸ばしてないんです。
そして昨年の暮れですね、防衛大綱というものを決定をしましたよね。
その中で、中期防衛計画というのは、現在と同じ5年間の防衛費というのは現在と同じぐらいですから、そこは明らかに日本の安全保障というのは、変わらないということが一つの証しじゃないでしょうか。
しかし、近隣諸国ですよ、10年で4倍になってる国さえあるじゃないですか。
そういう中で、2桁、まだ軍事費を伸ばし続けている国があります。
そういう意味において、やはりわが国の取るべき道というのは、やはり日米関係を強化して、抑止力を高めていく、このことを私たちは、今回、閣議決定をして、これから法案にするについて、法案を作るのに3、4か月と言いました。
これは約1年かかると思いますよ。
そういう中で、国会で審議をして、そこの日本の新3要件を含めて、国民の皆さんにしっかりとそれは理解をしていただくように、丁寧にこれから国会で審議をしていきたい、こういうように思っております。

不安や懸念は、払拭できるのか?


原記者: 不安や懸念というのはありますけれども、このへんは払拭できますか?

菅官房長官: ですから国会審議の中で、しっかりとこれは慎重に、一つ一つ、具体的なことを挙げながら、国民の皆さんに間違いなく理解をしていただけると、このように思っています。